例えば 辻井伸行さん という鏡。 | 日本画家 榊山敬代 オフィシャルブログ 人生こんなもん。Powered by Ameba

例えば 辻井伸行さん という鏡。




雨の しとしと 降り注ぐ

一年前 の こと。



音楽を 愛する 親友より

1枚の CD と 出会いました。


彼女は CD を バックから 取り出すと。



「辻井さんって いう ステキな ピアニストなんだけどね

ちょっと 今 一緒に聞いてみない?」



・・・と。

カフェ に ひとまず 入り。


混み合う 店内のなか

街が 見下ろせる 窓側の席に

並んで 腰をかけました。


わたしは 左の イヤホン を 借りて

おともだちは 右耳に イヤホン を はめると



再生 ▶ ポチリ・・・



  

   

   

    




「・・・!」




青い 音粒

淡い 音しぶき

眩しい 光の粒 たちが


絡み合うように 流れながら


うれしくて うれしくて

はにかむような よろこびに 満ちた ハーモニー が

イヤホンから・溢れてきたのでした・・・



見下ろす 街の景色 は 雨。

曇り空は 白くまぶしく 輝いて 観え。


行き交う カラフルな 傘は

クルクル と 鮮やかに 映るのでした。



「実は ピアニストの 辻井さんはね、目が見えないの。」


・・・と おともだち。



言葉に ならない 驚き の なか。



悲しみ や 絶望感 よりも

喜び と 輝きに 満ちている

彼の音楽 へ

改めて おどろかされたのでした。



この地球 には。

数えきれない 人たち が 宿っている なか。


ひとりひとり。

与えられた 等しい舞台 が あるものです。



辻井さん の ように 目が不自由に 授かった 世界。

わたし の ように 健康な身体を 授かった 世界。



一見 不平等 な 舞台 に 映るかもしれませんが。


眼差しとしては。

等しい 舞台に生かされているのだ と おもいたいです。



辻井さんの 舞台では

きっと・まぶしい光 が 観えるのでしょう。


それは 目で見える 具体的な 灯り ではなく


生きている 喜びが 溢れる

真っ直ぐな 光 なイメージ とでも いいましょうか。


自らにとって・不自由なことに 落ち込み

下を 向きつづけるのではなく。


生きている 原点から 真っ直ぐと 上へ差す 光を

大きく 見上げ。

そして・等しく 与えられている 光を 信じて。


日々・上を向いて 歩んでいかなきゃね

・・・と。


辻井さん の 音楽は

わたしたちの 心へ

にこやかに 手招きを しながら

遊びにきてくれるような 気がするのでした。




「結果よりも、ボクの演奏で

みんなが いいきもち に なってほしいです。」



ピティナコンクール にて。

辻井さんが インタビュー された 言葉の ひとコマです。


この 一瞬の 言葉から も

辻井さんの 人柄が 大きく感じられ

しあわせな キモチに なれる ひとコマでした。



結果 とは。

誰かが 評価した 一時的なひとコマに 過ぎず

目指すところでも ないのかもしれません。



演奏 しているときや

「今」 という かけがえのない 時間が 連なる 「過程」 こそ 。


意識を 込めていきたい 人生の目標 です。



今の時代。

悩み 苦しい おもいを されている方も 多いと 耳にします。


しかし・少なからずも。

この ブログを 読んでいただいている 方におかれましては。

しあわせな 事に 目が 見えます。


見る ことを 通して

コミュニケーション が 楽しめる こととは。


本当に 本当に・・・

贅沢な ひとときのように おもえてきます。



せっかく 与えられた 人生です。

自らに 与えられている ステージに 感謝して・・・

辻井さん の ように

真っ直ぐ上に 光る 眩しい 空を 感じながら・・・


今 を 少しでも

生き生き と たのしみたいものです。







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