『光る君へ』第23回 「紀貫之の歌」「枕草子の一節」の引用が絶妙! | 榊邦彦 OFFICIAL BLOG new

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『光る君へ』にはまっています。

 

今回は、ドラマ内に引用されていた「紀貫之の歌」「枕草子の一節」が、なんとも胸に染みる引用でした。

中宮定子が女児を生んだことを藤原行成から聞いた一条天皇は、行成の筆写した「紀貫之の歌」を中宮が最も好きだったということを語ります。
「夢ぢにも  露や置くらむ  夜もすがら  かよへる袖の  ひちてかはかぬ」
「古今集恋二」に収められている歌です。
「口語訳:夢の道にも露が置いているのだろうか。一晩中、貴女に逢おうと通い続けた私の袖が濡れて乾かないことだ」【「ひつ」:濡れる】

「恋する女性に逢いたくて夢の中でも通い続けたけれど、夢の中でさえ会うことが出来ず、ふと目覚めると袖が涙で濡れている。夢の通い路にも露が置いていて、その露が現実の自分の袖を濡らしたのだろうか」と詠んだ歌です。
ドラマ内では、短い場面でほんの一瞬引用されただけでしたが、絶妙な歌ですね。一条天皇が愛する定子に逢うことができず、毎夜毎夜恋しく思う心が、見事に二重写しになっています。

前回の「鸚鵡(おうむ)」の逸話でもコメントしましたが、『光る君へ』では、わずかに描かれる場面・古典の引用が絶妙です。上記の紀貫之の歌もそうですが、今回は、さらに『枕草子』からの引用も見事でした。

中宮定子が、清少納言に向けて「そなたが御簾の下から届けてくれるこの草子がなければ、私はこの子とともに死んでいた」と伝えた場面で、定子は「鶏の雛が……」の一節を読み上げていました。これは『枕草子』の155段「うつくしきもの」に記された文章です。
「鶏の雛の、足高に、白うをかしげに、衣短げなるさまして、ひよひよとかしがましく鳴きて、人のしりに立ちてありくも、また親のもとに連れ立ちてありく、見るもうつくし」
(現代語訳:鶏の雛が、足長に、白く面白い様子で、着物を短く来たような様子で、ぴよぴよと賑やかに鳴いて、人の後ろに立ってついて歩くのも、また親鳥のそばで一緒になって歩く様子も、見ていると可愛らしい)

雛の愛らしい様子、親を慕って追う様子が語られています。この場面を読み上げて(ドラマの中では口語で語られていましたが……)、定子は「目に浮かぶようだ」と評し、「そなたの文がなければ、私もこの子も死んでいた」と語ります。定子は、鶏の親と雛の様子を描いた文章から、自分の子供が生まれた後の様子を思い描いていたのかもしれません。清少納言も、鶏の親と雛の姿に託して、中宮へ切実な願いを伝えていたのでしょうか。
いままで単純に読んでいた「うつくしきもの」でしたが、一気に切なさを増していきます。
 
『枕草子』の成立過程には諸説あり、章段の順に書かれたとは言えないのですが、この「うつくしきもの」の章段は、先行研究では、長徳二年の夏から秋頃に書かれたものと類推されています。
二条邸が焼失したのは同年の夏、定子が第一子・脩子内親王を出産したのは同年の12月16日です。二条邸火事の中「私はこのまま死ぬ」と語った定子に、清少納言は「お腹の子のためにも生きなくてはなりません」と諫め、定子の傷心を癒すため「枕草子」を執筆するという流れがドラマ内では作られていましたが、この155段、まさに、定子懐妊中に書かれている!

史実としてのポイントを抑えつつ、圧倒的な想像力で新しい物語を作り上げる。
なんとも、とてつもないドラマに仕上がっていっていると感じます。