ふと思い出した「すごい奴」 | 榊邦彦 OFFICIAL BLOG new

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けれど一方で、言葉や愛がまったく立ち向かうことのできない不安や困難も、
また、存在しないのではないか……僕は、今そう思っている。
『100万分の1の恋人』榊邦彦(新潮社)

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今まで会ってきた、「すごい奴」はたくさんいるけど、最初に会ったのはこいつかもしれないなあと、突然、思い出した。

 小5のとき。
 塾の夏合宿に行った。七泊八日という強行軍のスパルタ勉強合宿。
 その頃、僕には、好きな女の子がいて、その子の写真をお守り代わりに鞄に忍ばせ、合宿に持ってきていた。(いま思えば、なんともませた小学生だが……)
 休み時間に部屋で休んでいるとき、同部屋の友人に隠れて、僕はこっそり写真を見ていたのだが、不意に彼女の写真を友人に見つかってしまった。というか、あわよくば、見つけてもらいたいような感じで、僕は、あえて無防備に見ていたような気もする。
 悪友に写真を取り上げられ、「お前、なに、女の写真なんか見てんの」と、ひやかされる。期待とは違った悪友の反応に、僕は無防備に写真を見ていた自分を後悔した。
「返せよ~」
 と情けない声で繰り返す僕。そんな僕を尻目に、悪友は部屋の皆に写真を回していく。やいのやいのと騒ぎ立てる皆。
「やめてくれよ~」
 力なく伸ばす僕の指をすり抜けながら、写真はパスされ続ける。
 写真はやがて、部屋の隅にいたAに回った。
 Aは、その一週間ほど前に入塾したばかりの生徒だった。転校して間もないということぐらいは知っていたが、僕もほとんど話したことはない。
 当然、Aも僕をひやかす輪に入るのだろうと思ったのだが、写真を回されたAは、僕に、すっと写真を返した。
「好きな子なんだろ……大事にしまっておけよ」
 疑問も恥じらいもまったくない、あまりに自然な口調だった。僕はもちろん、周囲で騒ぎたてていた連中も、時間が止まったように黙ってしまった。
 沈黙すること、数秒。しかし、写真を渡したAは、まるで、今あったことなど、すべて忘れてしまったかのように、不意に明るい声で言った。
「みんなでトランプやろうぜ」
  ……
 その後のトランプは、多分、にぎやかにやったと思うのだが……トランプの間中、自分がとってもちっぽけに思えて、世の中にはなんてすごい奴がいるんだろうと、そんなことばっかり思っていたのを、よく覚えている。