母の通知表 | 榊邦彦 OFFICIAL BLOG new

榊邦彦 OFFICIAL BLOG new

けれど一方で、言葉や愛がまったく立ち向かうことのできない不安や困難も、
また、存在しないのではないか……僕は、今そう思っている。
『100万分の1の恋人』榊邦彦(新潮社)

榊邦彦の公式ブログです。
ご連絡はこちらまで
evergreen@sakaki-kunihiko.jp

母の遺品の中から、小学校の通知表が出てきた。

「学校手帳」と題された小冊子。
開くと、まず、「教育ニ関スル勅語」(明治23)があり、次ページには「戊申詔書」(明治41)、次ページには「国民精神作興ニ関スル詔書」(大正12)、「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」(昭和14)と、天皇の言葉が続く。

母親の入学は昭和17年。
太平洋戦争まっただ中だ。

数ページ先から、いよいよ母親の成績。
出来具合はともかくとして、その表記の方法は、「優・良・可」方式。
初等科第一学年から初等科第五学年まで、各学年、各一ページでまとまっている。
僕がもらっていた各学年一枚ずつの通知表ではなく、数年間をまとめた「通知手帳」である。

もちろん、初等科第六学年のページもあるのだが、なぜか未記入。
疑問に思っていると、今度は、手帳の後ろの方に、
「学校生活のあらわれ」と題した小ぶりのわら半紙が二枚挟まっていた。

小6時の通知表だ。学年成績と、二学期成績。
僕がもらっていた通知表に近い書式に思える。
学年通知表では、それぞれの項目が、「ごくよい」「よい」「ふつう」「わるい」「ごくわるい」の五段階評価で記され、
二学期の通知表は、「よい」「ふつう」「わるい」の三段階評価。一学期の通知表は見当たらない。

どうして、小6だけ違う書式なのかと思ったが、すぐに分かった。
母親の年齢から計算すれば、小6進級時は、1947年だ。教育基本法が施行された年である。

教育基本法が施行され、成績通知についても、戦前教育の形から一新され、「学校手帳」は廃止、新通知表になったということだろう。
一学期は、教育基本法施行後、まだ間もないから、新通知表方式が間に合わなかったのかもしれない。

新方式となった小6時の通知表には、段階別評価とは別に「人物態度」「強化全般について」といった項目もあり、手書きで評価内容が記されている。記号的評価だけだったそれまでの「学校手帳」に比べて、こんなところにも民主化教育の雰囲気が感じられる。

達筆の手書きの文を虫眼鏡でたどりながら、読み解いていったが(最近、小さな字がいよいよ読みにくくい……)、
二学期の通知表にある「家庭から」の欄を見たとき、息を呑んだ。
万年筆で記された丁寧な文字には見覚えがあった。
間違いはない。
祖母の字だ。

「多難な日本国家の再建は、先ず今後の民主的文化教育の力によりて進展させる外はありません。
なほそして心も身も健全な持主たる様 先生のよりよき御指導を切に切にお願いする次第で有ります」

どんな思いで、この文章を書いたのだろう。
そのときの時代の様子、戦前・戦後に五人の子供を育てた祖母の思い、そんなことを沢山聞いてみたかった。
まさか、視力の悪くなった孫に、虫眼鏡で読まれるとは思いもよらなかっただろうし。

 ……

母も祖母も、東光寺の墓所に眠っている。
縁あって、今回、自分が新しく建墓した。

今日、お墓参りに行こうと思う。