【古文】主語の省略・主語の転換 | 榊邦彦 OFFICIAL BLOG new

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すいません。
ちょっと、本名の方のお仕事。

「古文は読んでいるうちに、いつのまにか主語が変わったり、しかも主語が省略されたりするから、何がなんだか分からなくなる」というのは、古文を勉強する人が、一度はぶつかる大きな壁だと思います。

これについて、この壁を乗り越えられる、ちょっとしたきっかけになるような文章を、旺文社さんのサイトに書きました。古文に興味がある方、古文を勉強中の方、(そうでない方でもぜひ)よろしければ、のぞいてみてください。
現代語と比べたり、テレビ画面と比べたりしながら、簡単に理解できるように書いた……つもりです。


・主語の省略は怖くない
・主語の転換は怖くない

 

*上記リンク切れしていましたので、以下に、原文を貼り付けておきます。【2024/6/2記】

【超古典】 主語の省略は怖くない

 パスナビの読者のみなさん、こんにちは。

 神田邦彦です。

「ラヴソングは歌えない」の連載、楽しんでくださっていますか。

 前回で、全99話のうち、第一章の34回が終えました。

 ここで、ほんの少しだけ休憩して、古文読解のちょっとしたコツみたいなものをお話ししたいと思います。
 

 よく、「古文は主語が省略される上に、一文の中でころころと主語が変わるから、何がなんだか、分からない」というような悩みを聞きます。


 ここで、一番大切なこと。
「省略されるから、分からない」

 と考えていると、いつまで経っても古文は分かるようになりません。

書かなくても分かり切っているから、省略される

 というふうに、発想を転換することから始めてみてください。

 考えてみれば、当然です。

「誰にも分からない主語なら、書かないと分からない」のです。

 そういう主語は、必ず書かれます。書かなくても分かる主語だから、省略されるだけの話なのです。

 日本語では、この「書かなくても分かる主語は省略される」ということは頻繁に起こります。まずは、現代語で考えてみましょう。


(例文)昨日、叱られたばかりだったので、少し気まずかったけれど、「おはようございます」と元気よく申し上げたら、「いい挨拶だね」とほほ笑んでくださった。

 ここで問題。

「おはようござます」と言ったのは誰ですか?

「いい挨拶だね」と笑ってくれたのは誰ですか?


 主語はまったく書いてありませんが、だいたい想像はつくのではないでしょうか。

「ほほ笑んでくださった」のは、「くださった」と尊敬語が使われていることから、多分「先生」など、筆者よりも目上の人でしょう。一方、「元気よく申し上げた」というところには、尊敬語は使われていません(『申し上げた』は謙譲語です)。従って、「申し上げた」の主語は、筆者にとって、敬意を払う必要のない人ですね。しかも、主語が示されていませんから、通常「自分自身」と考えるのが自然です。これが、「太郎君」だとか「花子さん」だとか、自分以外の人であったら、省略されるはずはありせん。書いてくれなければ、絶対に誰にも分かりません。

 また、「叱られる」という語も、この文に含まれる人間関係を想像させてくれます。常識的に考えれば、「先生が生徒を叱る」という構図が見えてきますよね。

 したがって、先の例文に、主語など人間関係を示す言葉を補うと、

 

(例文)昨日、私は先生に叱られたばかりだったので、少し気まずかったけれど、私が先生に「おはようございます」と元気よく申し上げたら、先生は「いい挨拶だね」とほほ笑んでくださった。


 のような感じの文であることが分かります。まったく難しい推理ではありません。分かりやすい文にはなりましたが、むしろ、なんだかくどい感じがして、言葉を省略したくなりませんか?

 

 古文でも同じです。敬語やその他の情報があり、主語を書かなくても、必ず内容が分かる、(むしろ、書くとくどい感じがする)から、誰にも分かり切った主語を省略するだけの話なのです。

 

(例文)月ごろ(=数か月)、待ちたるに、ゆくりなく(=突然)、来たまへり。


 さて、「来たまへり」の主語は誰でしょう?

「たまふ」と尊敬語が使われているので、語り手から敬意を払う必要のある人ですね。

 一方、「待ちたるに」の主語は誰でしょう?

 尊敬語が使われていません。また主語が示されていません。これだけの情報で判断するのなら、「私自身」だと判断するしかありません。「私」以外なら、書かれなければ分からないからです。

 以上のことは、「敬語」の有無という情報から推理できることです。


(例文 訳) 数か月、私が待っていると、突然、A様がいらっしゃった。


 みたいな内容の文ですね。

 さらに、ここで、「待つ」という動詞のことも考えてみましょう。古典の中で「数か月にわたって待ち続ける」とあったら、まずほとんどの場合は、「女性が男性の訪れを待っている」場面です。「待つ」のは女性。「来る」のは男性です。こういったことは、当時の結婚形態「妻問ひ婚(男性が女性のもとを、夜訪れることで婚姻が成立する)」から推理できることです。現代語の例文で、「叱る」から、人間関係を推理できたのと同じようなものですね。
 敬語・社会常識、そのような情報が、筆者と読者で共有されているので、わざわざ「主語」を記さなくてもよいのです。

 以上、推理してきたことを、すべて補うと、先の例文は、

「私が、数か月、殿方の訪れを待っていると、突然、殿方がいらっしゃった」

 という内容の文であることが分かります。この殿方は、その動作に対して尊敬語が使われていますから、しかるべき地位の人のようですね。

「私が、数か月、A大臣の訪れを待っていると、突然、A大臣がいらっしゃった」

 のような感じでしょうか。どうやら、この文は、女性の日記の一部のような気配も感じられてきます。

 なんだか、推理小説を読み解くようで楽しくありませんか?

 この推理小説を読み解いていく証拠が、「敬語」や「古典常識」ということです。


 この証拠のうちでも、最重要なものは、当然「敬語」です。古文のいたるところ、証拠だらけというわけです。証拠の見つけ方、読み解き方さえ知ってしまえば、こちらのものですね。

 実は、受験生が覚えなくてはならない敬語は、せいぜい40語程です。たったそれだけの単語を正確に覚えるだけで、一気に古文の読み方が変わってくると思います。

『ミラクル古文単語396』では、それらの単語はもちろん、巻末には、「敬語総論」として、敬語の基本的考え方が理解できるように、詳しい説明を載せました。ぜひ、『ミラクル古文単語396』で、敬語のスペシャリストになってほしいと思います。

 

【超古典】 主語の転換は怖くない

 パスナビの読者のみなさん、こんにちは。
 神田邦彦です。

『ラヴソングは歌えない』の連載が始まって、半年程経ちましたが、いかがでしょうか。受験勉強の気分転換や、古文嫌いの人が古文に親しみをもつような、そんなきっかけになっていれば、こんなに嬉しいことはないのですが。

 

 さて、第一部の終りでも、少しお邪魔して、「古文を読むちょっとしたコツ」を紹介しましたが、今回も、連載の合間を縫って、そんな話をしようと思います。気楽に読んでみてください。

 

 前回は、「主語の省略は怖くない」という話でした。今回は、「主語の転換」の話をしてみたいと思います。

 一文の中で、いつのまにか主語が変わり、何が何だか話が分からなくなってしまったということは、古文を学習する人は誰でも経験することだと思います。

 例えば、

「上のおはしましたるに、歌一つ扇に書きて、宮の奉らせたまひければ、読ませたまひて、いみじうめでさせたまふを、うれしくおぼゆ。(上=帝・宮=中宮様)」

 のような文を考えてみましょう。

 語り手(作者)は、中宮のもとに仕える女房です。中宮のお傍に仕えていたところ、帝がいらっしゃった場面だと思ってください。

 みなさん、気がついたでしょうか。一文の中で、コロコロと主語が変わっています。このような文を読み解く上で、ポイントになるのは接続助詞です。

 

 例文にある「を」「に」「ば」は、その前後で主語を変える傾向が強い助詞です。

 一方、「て」は、その前後で主語を維持する傾向が強い助詞です。

 どちらも100パーセントのルールではありませんが、長い文を読み解くのに、非常に有効な「マーク」です。

 私は、これら「マーク」になる助詞について、

「を」「に」「ば」は、映像を一区切りする。

「て」は、映像を続ける。

 と教えています。

 テレビドラマの画像を想像してください。ある人物のカット【一続きの映像】から、他の人物のカット【一続きの映像】に、画面がパッと切り替わるような瞬間ってありますよね。この変わる瞬間が、「を」「に」「ば」の感じです。

 一方、「て」は、ワンカットで、ずっと映像が続く……あの感じです。

 

 先の例文に戻ってみましょう。

 

►「上のおはしましたるに、(帝がいらっしゃったので)」

 テレビ画面に「帝」が映っている感じを想像してください。帝が向こうから歩いてきました。そして、「に」のところで、画面がパッと切り替わります。

 

►「歌一つ扇に書きて、(歌を一つ扇に書いて)」

 テレビには違う人が映りました。誰でしょう? 主語が書かれていない、尊敬語が使われていない、そういう情報から、「私」と考えるのが一番妥当な感じですが、ちょっと待ってください。実は、ここは「て」で終わっているので、次の部分と一続きにして考えなければいけない部分なのです。

 

►「宮の奉らせたまひければ、(中宮様が差し上げなさったところ)」

 ここで主語が示されました。中宮(皇后)です。中宮が歌を差し上げたところが、テレビに映っています。ここでようやく、前述の「書きて」の部分にもさかのぼって考えることが出来ます。「書きて」と「て」で繋がっていましたから、同じ主語だと判定して、歌を扇に書いたのも中宮だと分かるのです。「書きて」には尊敬語は使われていませんでしたが、この部分の「せたまひければ」で、ひとまとめにして、敬意を表しているので、問題はありません。先の部分の「て」の連続性が肝になっています。

 例えば「大きな声で笑っ、先生がほめてくださった」のような文と同じ形ですね。「笑って」のところには敬語が使われていません。主語も示されていません。「て」の後続部分がすべて解決してくれています。現代語でも変わらないんです。

 さて、「奉らせたまひければ(差し上げなさったところ)」には、中宮が歌を差し上げた先は、書いてありませんが、当然、帝だと分かります。テレビと同じです。たとえ相手が映らずに、中宮が歌を差し上げるような様子だけ映ったとしても、視聴者は、相手が誰だか分かります。それとまったく同じですね。

 そして、「奉らせたまひければ」と「ば」になっていますから、ここで映像はカットされます。

 

►「読ませたまひて、(お読みになって)」

 次の映像です。何が映りましたか?「せたまひ」と尊敬語が使われています。また、直前の「ば」で、すでに中宮からはカットが変わっています。以上のことから、ここの主語は「帝」だと分かりますね。帝が中宮から献上された歌を読んでいる映像です。

 そして、最後は「て」ですから、同じカットのままで映像が続きます。

 

►「いみじうめでさせたまふを、(たいそうお誉めになったので)」

 帝の映像のままです。帝がとても喜んでいる様子が画面に映りましたが、最後が「を」なので、ここで映像がカットされて、次の映像に映ります。

 

►「うれしくおぼゆ。(うれしく感じる)」

 最後が「おぼゆ」と尊敬語が使われていません。しかも、主語が書かれていません。以上のことから、この部分の主語は「私」と考えるのが妥当です。テレビ画面には、語り手である女主人公(中宮のお傍に仕える女房)の嬉しそうな笑顔が映るというわけです。

 

(この「カットが変わる」「カットが変わらない」というのは、とても有効な考え方だと思います。例えば、テレビではたとえカットが変わっても、同じ人物を違う角度から映したりすることもあるでしょう。これが、「に」や「を」でカットされたけれど、主語は変わらない感じなんです。)


 いかがでしょうか。

 もっと長く複雑な例文でも基本は同じです。「て」では映像を続けて、「を・に・ば」でカットして、考えてみてください。

 

「て」のように一続きの映像を続ける助詞には、「で」「つつ」などもあります。一方、「を・に・ば」のように映像をカットする助詞のグループには、他に「ど・ども」などもあります。

を に ども ど ば 【鬼どもドバっ】」

 などのように、ゴロにして覚えておくのも方法ですね。

 

 二回にわたり、「古文の主語の判定の仕方」に関する話をしてみました。皆さんに、何かきっかけをつかんでもらえたら幸いです。敬語や接続助詞などをヒントに、いろいろな例文にあたって、主語を判定するコツをつかんでください。

 


 

 センター試験まで、残り二カ月を切りました。

『ミラクル古文単語396』には、単語の最終確認用のページも作ってあります。14ページの短話を読むと、172単語が自然と復習できる形になっています。20分程で、簡単に読める内容ですから、勉強の合間に、電車の中で、学校の昼休みに……気軽に、繰り返し読んで最終確認にあててほしいと思います。

 25年近く、教壇に立ちながら、多くの受検科目を前に苦しんでいる生徒をたくさん見てきました。

「ほんの少しでも、古文の受験勉強の負担を減らしたい。楽しく効率的に古文単語を学習してほしい」

 これが『ミラクル古文単語396』の願いです。

 

 それでは、次回からの第三章、お楽しみください

 



 それでは、次回から、「ラヴソングは歌えない」の第二章が始まります。

 掲載された古文単語の詳しい説明は、一単語一単語、本書の左ページにありますので、そちらも参照してもらえると幸いです。



 それでは、第二章をお楽しみください。