『突然、僕は殺人犯にされた』を教材に授業に取り組みました | 榊邦彦 OFFICIAL BLOG new

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けれど一方で、言葉や愛がまったく立ち向かうことのできない不安や困難も、
また、存在しないのではないか……僕は、今そう思っている。
『100万分の1の恋人』榊邦彦(新潮社)

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スマイリーキクチさんの著書『突然、僕は殺人犯にされた』を教材に、ネット上の誹謗中傷について考える授業セット(六時間)を終えました。
 途中、やや難しい部分もあるかなとも思いましたが、中二の諸君の活発な発言に支えられて、僕自身も考えを深めることができました。
 主な流れは以下の通りです。毎回、Twitterにて140字報告を続けていましたが、ブログではまとめとして、やや詳しめに記します。

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【1時間目】
 生徒の感想では「スマイリーさんが苦しめられた当時とは違い、今は法整備もされ、ネット上の書き込みに対しても対処が取られるようになったから、安心だ」といったものも散見された。
 しかし、法整備はようやく検討に入った段階であり、ネット上での誹謗中傷にまつわる事件は「SNS上での誹謗中傷を苦にした木村花さんの自死」「旭川いじめ凍死事件の犯人とされた高校生への誹謗中傷」等、現在も深刻なまま続いている。むしろTwitterやLine、Youtubeなどプラットホームが増え、生活への密着度が進んでいることによって、問題はより根深くなっていることを確認した。
 信憑性のありそうな情報に踊らされ、思わず感情が引きずられていくことは、誰にでもあることを実際の例文から考え、ネットの誹謗中傷の問題は「他人事ではない、自分事であること」として考えねばならないことを第一歩とした。

【2時間目】
 それでは、なぜ、ネット上での誹謗中傷が起こるのか。
 道具としてのネットが悪いのか。それとも道具を使う人間の方が悪いのか。
 二時間目では、「道具としてのネット」の問題について、「手軽さ」「匿名という安心感」「自分の意見が即時に大勢に反応するという万能感」「同じ意見の人ばかりが集まり、偏った情報が熱く厚くなっていく(エコーチェンバー)効果」などから考えた。
 そして、そのようなネットの圧力は誰にでも掛かっており、「自分は大丈夫と決めてかからない」ことを抑えた。

【3時間目】
 一方で、当然「ネットを使う人間の側」にも問題はある。
 三時間目では、人間の持つ様々な欲求をマズローの「欲求五段階説」を参考に考えた。
 ネットの書き込みは、「生理的欲求・安全の欲求・帰属欲求・承認欲求・自己実現欲求」などを、大変手軽に充足させ、中毒化させかねない。
 もちろん仮初めの充足であるが、この仮初めの充足の罠は、「身体的にはほぼ大人同然の力を持ちながら、社会的には無力にも等しい」状況におかれて、きわめて自己実現感に飢えた十代の若者が陥り易いものであることを、「アイデンティティ」「モラトリアム」といった概念からも考えてみた。
 そして、ネットの仮初めの充足の罠に陥らないための最大の鍵は、「リアル世界を充実させる努力」であることを探った。

【4時間目】
 4時間目は、「正義の行使感」をテーマに考えた。
「皆で悪者を成敗している」という「正義の行使感」は、ネット書き込みの「卑屈さ・仮初め感」を覆い隠しかねない。また、人間に「仲間を作り、危険と感じるものを排除して生き残ってきた」という生き残り戦略があった以上、この「大勢による正義めいた感情の暴走」から逃れるのが、なかなか難しいことも考えた。
 しかし、この本能的・原始的衝動に疑問を持ち、「徒党を組んだ正義感めいたもの」にストップをかけられるのも、また人間であること、その可能性の芽は、知識と、知識から育まれた理性・感性にあることも考えた。

【5時間目】
 5時間目は、掲示板管理人の「事実無根を証明できなければ削除しない」という論理を元に、「表現の自由」の問題について考えた。
「表現の自由」は人間の尊厳を守るための、たいへん貴重な権利であるが、それを盾に人間の尊厳が損なわれるという矛盾をどう考えるか。
「表現の自由」があるからといって、すべての言論が自由に許されるわけではない。公共の福祉に反するもの、個人の尊厳を損なうもの、そのような言論は許されない。
 しかし、その範囲とはどのようなものなのか?
 「許す・許さない」と判断する主体は一体「何」なのか?
 「法律」なのか、「世間」なのか、はたまた「個人」なのか?   
 等々、完全な正解が見出しにくい問題を考え続けた。
 正解や基準がないから何をしても良いのではなく、正解や基準がないからこそ、自由の下では「書く者の人となり」こそ問われること、「自由の相応しい使い手としての品格」「自由の使い手としての責任・覚悟」が必要であることを問いかけた。

【6時間目】
 最後の時間は、ネットの問題を離れ、「出来事への立ち向かい方」について考えた。
『突然、僕は殺人犯にされた』の「はじめに」や、最終章に書かれたスマイリーキクチさんの言葉を読む。  
 10年もの間、想像を絶する苦難に遭いながらも、他者の痛みに寄り添い、人を大切にし、出会いに感謝し、そして人生を前向きに歩んでいくスマイリーキクチさんの言葉の数々は、読んでいて胸を打たれる。
 ネットの問題に見舞われたとき、それを解決するのに、ネットの知識もネットの技能も必要だ。しかし、一番、支えになるのは現実の触れあいの中で培った人間関係であること。そして、その人間関係を大切にすることが、何よりも人生を豊かにしていくこと。
 スマイリーさんの姿勢、人生への取り組み方について、生徒とともに学んだ。

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 以上のような六時間でした。
 インターネットの問題を取り上げながら、結局は、インターネット上のことだけではないと感じています。
 社会の出来事を他人事として考えないこと。
 狭い世界での情報の偏り、独善性の加速に注意すること。
 自己実現に向けて努力する心を失わないこと。
 同調圧力に流されず、自分自身の頭で考えること。
 自由の使い手としての品格・覚悟を持つこと。
 人を大切にすること。感謝すること。

 僕自身にも、もう一度、問い直してみようと思います。
 ともに教室で意見を交わしてくれた生徒、そして、何より、素晴らしい書籍を執筆して世に問うてくれた、スマイリーキクチさんに感謝します。

 

『突然、僕は殺人犯にされた』