悪夢のような震災から今日でまる2年が経ちました。


2年前のあの日。

当時メディア関係の仕事に携わっていた私は

休みを利用して映画館にいました。


眩暈のような気分の悪さを覚え

上映途中というのに、そこにいた誰もがざわめきました。

揺れなんてすぐ止むだろう・・・


止まることのないフィルムを見続け、外に出たときには・・・



番組はすべて緊急報道

ちょうど仙台空港に津波が到達する映像でした。


すべてを飲み込む大津波と手の付けられない爆発の瞬間。

絶望に泣き叫ぶ人々の声。

まるで日本ではないような、悲劇の映像でした。


当時の同僚は混乱する名古屋駅から情報をつたえ

社内は飛び交う情報で 台本のない 報道が続いたそうです。


その翌日、緊迫した静けさの中に鳴り響く余震のアラーム。

増え続ける行方不明者の数が留まることはありませんでした。


こんな緊迫した日々にいつものような能天気な情報を明るく伝えることに

迷いが出ました。

それでも『こんなときだからこそ、いつものように』と。それが当時の私の仕事でした。


震災から二日後。

私が出会ったのは偶然にも消防士さんの結婚式でした。

主賓、来賓、同僚、軒並み欠席者がありましたが、

『これが私たちの使命です』と、現場の最前線に彼らは向かったのです。


使命だから。



そして後日、自衛隊にいる同級生がメールをくれました。

彼は現場に行き、惨状を目の当たりにし、同級生に一斉メールを送りました。


『募金を支援を一過性のもので終わらせないで欲しい。


 この日を、この惨状を忘れないで』


見てきた世界のすべてが

なんの前触れももなくひっくりかえされ、奪われてしまったあの日。

当事者の方々の心中は計り知れません。


それでも生きてほしい。

いつか必ず笑える日がくるから。


一刻も早い復興と

この震災で失われた方のご冥福を祈って。



いち。