長州藩と言えば、吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作や、井上馨に伊藤博文


西郷隆盛と無血開城の立役者になったのは坂本龍馬



皆んな知ってる歴史の人物だし、龍馬に至っては大人気だ。



「じゃあ高島嘉右衛門さんって?」



嘉右衛門さんは、長州藩の後ろ盾でもあり、初代内閣総理大臣の伊藤博文公の後ろ盾でもあった、横浜を作った男



嘉右衛門さんが居なければ、今の日本の発展は無かった。



それなのに、高島嘉右衛門さんを知ってる人は少ない。



「あー高島易の占い師でしょ?」なんて言う人が殆どだが、高島易とは、一切関係無く、勝手に《高島嘉右衛門》の名前を使ってるだけ。



しかし、高島嘉右衛門は易経の達人だったのは本当の話。



伊藤博文が暗殺されるのを易経で知り、必死に止めたが、伊藤博文公は「それが運命なら仕方ない。ワシが行かねば日本の命運に関わる」と上海に行くが暗殺されたのは本当の話。


嘉右衛門さんは、その時に暗殺者の名前まで言い当てて、行かぬように説得したが止める事は出来なかった。


西郷隆盛も止めたが、侍であり続ける事を選び、帰らぬ人となってしまった。




嘉右衛門さんは、幾ら未来が分かっても運命には逆らえない事を知り、占いを辞めた。



弟子は一切取らなかったので、嘉右衛門さんの易経を継ぐ人間は誰も居なかったので、高島易団とは何の関係も無い。