俺は根っから芝居の事ばかり。

幕末塾の皆んなが女の子にチヤホヤされて、尻追っかけてる時に、俺はどうしたらロバートデニーロみたいな芝居が出来るかの練習してた

幕末塾は、《歌って踊って芝居も出来る》をコンセプトに秋元康さんがプロデュースしてくれた事で、マンスリーで舞台を一日公演してた。

毎回、映画や、ドラマプロデューサー、監督なんかが観に来てダメ出しされり、口も聞いて貰えなかったりした(笑)

それでも、やり続けたのさ

幕末塾だけで1000人のファンがいたから、公演は常に満杯に出来たしね(実際来てくれてたコアなファンは200人いなかったけど(笑))。

そんな中、ドラマが決まって稽古に中々出れなくなってね

でも、公演はあるから、踊りも、芝居も、コントも考えなきゃで相当大変だった

そうなると、仕事がまた増えて来て、ドンドン忙しくなった。

気がつくと、口も聞いてくれなかった方々が話し掛けて来てくれるように(^^)

あの時は実力が認められたと大喜びしたが、実際はそうじゃなかった

テレビに出る事が多くなって、知名度が上がったから青田買いに来てただけ。

30歳で本物の役者になる為に事務所を辞めて、殆ど何も決めずに飛び出しちゃったから、まー凄く大変だったけど(笑)

37で劇団も立ち上げ、いよいよ理想に近くなって来た訳だけど、本当に大変だった

頑張っても、頑張っても、前に進めない

若い子を売り出したかったから自分は主演を避けて、皆んなに芝居を教えてたけど、人気は出ないし、俺はあまり出ないから集客も減って赤字ばかり。

それでも、芝居を続けて頑張った

皆んないなくなったけど、それで良かったんだと改めて思う

何故なら

役者ってネーミングが好きなだけで、芝居なんて、そんなに好きじゃないんだから、水を与えようが、肥料与えようが育つ訳ない

気が付けば、カーテンコールが3回も来る舞台のプロデュース、演出、主演になれた(笑)

人の為に頑張れば、必ず良い結果が付いて来るんだと思う

でも、それが明日なのか、15年後なのかは判らないけども(笑)