本多平八郎で町興し

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「戦国最強の武将は誰か」

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戦国時代の数多い武将の中で、かならず候補に挙がるのが本多平八郎忠勝。

徳川家康に仕え、生涯57回戦場に赴き、かすり傷一つ負わなかったという猛将です。

徳川四天王の一人であり、忠勝は歴史ファンの間で根強い人気があります。

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忠勝ゆかりの地、千葉県大多喜町や愛知県岡崎市、三重県桑名市では、立派な銅像が建てられ歴史が伝えられています。

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もうひとつ、本多忠勝の有名な地が私の住む静岡県磐田市です。

忠勝の最も有名な戦いが、磐田市の「一言坂の戦い」です。

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敵方の武田の軍学書「甲陽軍艦」でさえ、

「家康に過ぎたる物は二つある 唐の頭に本多平八」と称えられました。

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現在、磐田市民に本多平八郎を知っていますかと問えば、ほとんどの人が知らないと思います。

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2023年、大河ドラマは「どうする家康」です。

いいなぁ 浜松市は、またしても「大河ゆかりの地」として盛り上がるんだからと、磐田市民は羨ましく思っていると思います。

.浜松市も「大河ドラマ館」を作る準備を進めており、やる気満々です。

 

しかし、家康と信玄が最初に戦ったのは磐田市の一言坂であり、遠江国に延べ90泊した信玄が、本陣を置いて70泊したのは磐田市の合代島(亀井戸城)です。

次に多いのが三方ケ原の端にある刑部砦の14日間です。

 

磐田市の合代島で、「二俣城の攻撃」や「仏坂の戦い」を指揮し、家康の二俣城への援軍渡河を阻止しました。

磐田市こそが、信玄の遠江侵攻の拠点だったのです。.

こんなに美味しい町興しのチャンスを、指をくわえて見ているだけで良いのでしょうか。

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過去の大河ドラマ「徳川家康」「武田信玄」「女城主直虎」で、「一言坂の戦い」は全く取り上げられていません。

本多忠勝の一番の活躍場面は全面的にカットされています。と言うよりも戦いの全容が全く知られていないため、取り上げようがないのです。

 

何故なのか、理由は簡単です。

「一言坂の戦い」を取り上げた本が一冊も出版されていないからです。

全容が分からない戦いを、NHKも取り上げようがないのだと思います。

 

痺れを切らした私は12月初旬、「一言坂の戦い」を出版します。

いまから声を挙げても大河ドラマには遅すぎるかもしれませんが、声を上げ続ければいつか注目されることもあるでしょう。

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磐田市における、戦国時代を語り継ぐ最初の一歩になればと思います。

 

https://www.youtube.com/watch?v=2xqqyOjLNlY...

 

 

愛知県岡崎市出身の忠勝は、千葉県大多喜藩主となり、後に加増されて三重県桑名藩主となります。

これらの本多忠勝のゆかりの地では、忠勝の銅像が建てられています。

ゆかりの地「かぶと塚公園」にも銅像を建てたい。

夢は大きく、エイエイオー。