”オウム死刑囚が移送:執行の時期は?一斉執行か?森友問題との絡み?” | 占星術小説家@酒井日香の占い死ね死ねブログ

ということで、上祐代表が

こんなことを。。。↓    ↓    ↓


 

昨日くらいでしたか。。。元弟子たちがそれぞれ、これまでの

東京拘置所から別々の拘置所に移送されましたね。

 

 

 

 

そろそろ死刑執行なのでは、という話が出ている

みたいです。事件が起きたのは95年くらいだった

ので、23年くらい生かされていたわけですか。。。

その心中やいかに、という感じ。 移送は死刑の

準備である、ということは、彼らもうすうすわかっている

のかも知れません。

 

 

 

 

 

森友問題で佐川さんが証人喚問されるタイミングにぶつける

のでは、との噂のようですが、政府ってそういうことよく

するね。だいたい証人喚問ある日は東京地検がどこか

有名人のところに踏み込むか、有名犯人を死刑にするかの

どっちかであることが多い。

 

 

 

 

 

一斉執行になるのかどうなのか。。。 複雑な気持ちですが

ニュースとして見守ろうと思います。

 

 

 

 

 

私がオウム事件に興味を持ったのは、占いへの疑問

からでした。

 

 

 

 

 

事件が起こった95年は、占星術ムーヴメントが

非常に加熱していた時期でもあります。オウムの

末期には 「占い庁」 という部署まで作られ、オウム帝国

から予言を発表する部署にする予定(しかしこの部署が

できて間もなく強制捜査が入った)だったそうです。

 

 

 

 

 

また、サリンやVXを撒く日を占星学で選んだとも。。。

幾人かの有名占い師が教団と交流がありいろいろ

助言した、などというまことしやかな噂も聞きました。

 

 

 

 

 

 

とにかく、 「占い」 とは何なのか?

なぜ 「占い」 は、学ぼうとする者に妄信を強要するのか??

 

 

 

 

 

私には長年そのことが疑問だったのです。

その疑問を解消しないと気持ちが悪くてどうにも

なりませんでした。前に進めなかったのです。

 

 

 

 

のちにご縁があり、 「ひかりの輪」 になった東京本部

道場(元オウムの修業場)に行き上祐代表から

「占いの真実」 を聞かされた時、すべての疑問が氷解

したのです。

 

 

 

 

 

そのときのことはこちらの評論文

↓     ↓      ↓

 

 

「占いと霊能力」 ~承認欲求の源泉~

https://ncode.syosetu.com/n7247de/

 

↑の、第四章 「宗教と占い」 の項目に詳細を記してあります。

 

 

 

 

 

しかし、その 「もやもや」 からさまざまな文献を読み、

上祐さんの言葉を思い出すにつれ、占いとはそのまま

「我が心の現象化」 であるという重大な結論を得る

ことができました。  

 

 

 

 

 

 

これは現代の量子力学で言う 「観測問題」 そのもなのだと。

 

 

 

 

 

そして観測天文学を知り、実際に黄道座標や赤道座標

などについて学びを深めると、そもそも中世の占星術師たちは

最初から 「占星学とは観測問題である」 ということに

気づいていたのではないか?? という気がするのです。

 

 

 

 

 

偉大なる天文学者にして大占星術師でもあった

ヨハネス・ケプラーは、惑星の運動法則を解いた

晩年、自分の墓碑に刻んでほしい言葉として以下の

ような言葉を記したそうです。

 

 

 

 

 

「わたしはかつて天を測った。

  今は地球の影を測っている。

心は天に属し、体の影はここにある」 

 

ヨハネス・ケプラー(1571~1630)

 

 

 

 

 

↑ この言葉、実際の天測(観測)をしてみると、なんとも

切実に迫ってくる言葉です。そして量子力学における

「観測問題」 そのものについて言及している気もします。

どうして現代の占星術師は実際に夜空を観測しないの

でしょうか? 夜空を見れば占星学の言わんとしていることは

そういうことなのだ! と、紙ペラ一枚のプリントされたホロスコープ

を見るより明らかです。

 

 

 

 

 

そして占いが 「観測問題」 としての 「我がこころの現れ」

であるならば、それは驚異の超常現象であり、驚異の引き寄せの

法則であり、 まさに図面はそのまま 「わたしのこころ」 であります。

 

 

 

 

この世の森羅万象、見えているもの全部、見て、評価している

その 「観測と評価」 という延々とした営みがストレートに、むきだしで

現れているのが占いです。 カードも、易も、占星学も全部そういう

ことなのです。

 

 

 

 

ということは、 「わがこころの現れ」 なのだから、当然 「惑星の

働きかけ」 というような形而上の作用は断固否定される。

 

 

 

 

 

 

そして量子力学的な大問題なのが 「誰も観測しなかったら

月は存在しない」 という、量子力学の結論です。

 

 

 

 

 

なんと天に浮かぶ月も、星々も、天の川も、量子力学的

には誰も観測するものがいなければ存在できないのです。

これはシュレーディンガー方程式やコペンハーゲン解釈などで

明らかにされた 「計算上の真理」 です。

 

 

 

 

 

あの広大な宇宙でさえ、 「わがこころ」 が観測するから

存在している。

 

 

 

 

 

となれば、見えるもの、触るもの、風景のすべてが

ホロスコープであり、タロットであり、易であり、そうなれば

もはやテーブルの上のただの紙きれにはもはや意味も

なくなります。

 

 

 

 

 

 

そういう 「こころの現れ」 のどこか、ボタンを掛け違えて

しまうと、オウムのような暴走になったりしてしまうのかも。

 

 

 

 

だから、 「こころに何を映すか」 というのは

とても大事です。 もっというと見えた現象をどう

「理解・解釈」 するかということです。 罪を犯した

オウムの元幹部たちの 「こころの解釈」 が、どこか

間違っていたから、こんな事件に至ったのだし、我々も

そういうところを注意していないと、彼らと同じ過ちを起こす

ということです。

 

 

 

 

 

オウムは、元信者の方に聞いたところによると、閉鎖された

空間で自然に触れず、建物の内部でひたすら修業を

する宗教だったと。

 

 

 

 

 

しかし、汎神論的に 「この地球こそ神の母胎」 と

考えれば、本当の宗教は自然界の中にこそある

と言えましょう。

 

 

 

 

 

そういう意味で、プリントアウトされたコンピューター計算の

ホロスコープ、機械印刷の量産タロット、味気ないコンピューター

の易、などなどだけを見て、 人間を理解した気になる占い師

たちもオウム真理教と同じです。

 

 

 

 

 

実際オウム信者と占いマニアは陥る 「生きにくさ」 の部分が

非常に似ている。 やはり占いと科学は表裏一体、

占いの母胎は自然界から受けるインスピレーションそのもので、

いい加減占星学は観測天文学に戻らなくちゃいけないのかも

知れないということです。

 

 

 

 

死刑囚たちは、刑死のとき、何を思うのでしょうか??

恐怖?? 後悔?? わかりません。

 

 

 

 

 

けれども私たちは、ケプラーの言う通りこころは天に

属している。 すると、殺された人も殺した人も最後は

みんな天に帰り、大いなる流れの中に帰っていくのでしょう。

 

 

 

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