2、から続き。
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「………………」
ずっとそばにいた志垣が、寺本が去ったあと、悔しさをにじませながら立ち上がった郷原と、それを見つめる川嶋を交互に見て言った。
「そうでもない。寺本組に居続けるのは、それなりに事情があるんだ。こういうのを、心理学では“共依存”って言ってね……。痛し痒しというヤツかな」
「………………」
志垣は、きょろきょろとあたりを見回した。寺本厳が去っていき、郷原と二人で話せるチャンスは、むしろ志垣にとっては好都合だった。寺本にはぜったいに、このことを聞かれたくなかった。聞けば必ず、郷原を悪用する気になるだろうから――。
志垣は、思い切って郷原に尋ねてみることにした。
「あなたは、本当に何も覚えていないのですか、郷原さん」
「え……?」
泥だらけの服を気にしていた郷原の背中に、志垣は声をかけた。
「覚えていないって、何を……?」
「あなたのお父上のことです」
「俺の、父親……?」
いぶかしげに、ゆっくりと郷原は、志垣をふりかえった。
「何のことだ……?」
「しらばっくれないでください!! ご存じのはずでしょう!!」
川嶋が、郷原のかわりに志垣に答えた。
「志垣さん……。申し訳ないですが、個人的なことは……」
「話すのは、憚られますか」
志垣が、川嶋ではなく郷原の眼を見て、一歩近づくと、郷原は少し戸惑いの表情を浮かべて「俺は私生児だ」と答えた。
「ご、郷原……!」
郷原を牽制しようとする川嶋の肩越しに、郷原は、構わねェとつぶやいて、「俺に父親などいない。お袋が勝手に産み落とした私生児だ」と言った。
「私生児……」
「ああ。それが何だってんだ」
「………………」
郷原は、自分からも志垣に歩み寄った。
「あんた、なんだか俺についていろいろ、知ってそうなそぶりだな……。俺の何を知っているんだ……?」
「別に何も。ただ、私の恩人の一家に、ひょっとして、離縁されたお嫁さんがこっそり産んだ男児がいたかも知れぬという話がありましてね……。もし生きていたら、郷原さんのような人生になっていたとしても、おかしくはない子どもなのです……。年齢もちょうど、今のあなたと同じくらい……」
「………………」
「すみませんが、眼鏡を外してみてくださいませんか」
「嫌だ」
「なぜ? 怖いのですか? 似ていると言われることが……」
「………………」
郷原は、仕方がなく眼鏡を外してみせた。志垣は瞳を中央に寄せて、眼を細めてその顔をじっと見た。
「なるほど……。どうか聞かせてください。あなたの母親のこと、幼少期の頃のこと……。少年時代にあなたが起こした殺人事件のこと、雪(ゆき)村(むら)幸造(こうぞう)さんのこと……」
「それ、寺本厳から聞いたのか」
「いいえ。我々の教団“原理”に出入りしている法曹(ほうそう)関係者から聞きました。賭博を申し込む前、あなたのことは一応、少し調べておいたのです」
「……もしかして、俺が、都市伝説の男かも知れないから?」
「はい」
志垣が頷くと、郷原は急にクク……、と、肩を震わせた。それから「はーっはっは!!」と、腹を抱えて大笑いし出した。
「ククク……! よく言われるんだ、それ。なんか、変な都市伝説の男とこの俺をさぁ、みんな、間違えるんだよ、笑っちゃう! 志垣さんまでその噂につられて、4億!! 4億も、寺本にだまし取られてやんのッ!!! ははは!!」
「な……!!」
志垣は、郷原の高笑いを聞いて思わず頬を真っ赤にした。
「あー……、面白い……。クク……。俺が寺本組にいるのは、あんたみたいに、俺を、都市伝説の御曹司だと誤解したバカどもを、占い賭博に誘い込んでカネを巻き上げるためだ。寺本のおっさんと俺たちは、この都市伝説のおかげでずいぶんいい目を見せてもらってる。感謝しているよ」
「で、では……。違うというのですか……。あなたは……?」
「当たり前だ。俺は単なる私生児さ。俺の母親が、誰の子種(こだね)だかわからない子どもを身ごもって、堕(お)ろすカネもないから仕方なく俺を産んだ。それだけ……。それだけだっ!」
「……そ、そんな……」
志垣は、口をわなわなと震わせると、顔面蒼白になった。郷原は悪魔のような表情で「さぁ、誤解が解けたならさっさと帰りな。あんた、経団連(けいだんれん)理事に選出されたばかりで忙しいんでしょうよ志垣さん」と言って、志垣の背後にいるお付きの男に顎をしゃくった。
「お、御大……。今夜はひとまず、帰りましょう……」
「ば、バカなッ!! 郷原さん、誤魔化さないでください!! あなたのその目鼻立ち、そっくりだッ!! 竹虎にっ!! 竹虎浩の若い頃にッ!!」
「いいから帰れッ!! しつこくしたら撃つぞッ!!」
郷原は、懐(ふところ)からお守りのベレッタ・M91を取り出して、スライドレバーをガシャッと引くと、銃口を志垣に向けた。
「ひっ!! ひぃッ!!」
志垣は眼をひん剥いた。お付きの男が飛んできて、引きずるようにして志垣を郷原から離したが、志垣は必死の形相で「郷原さん、思い出してっ!! あなたは、この国の……!!」と言いかけた。
「うるさいッ!!」
郷原はいきなり、志垣に向けて一発撃った。川嶋はそのとき、見てしまった――。郷原の、怒りに燃えた狂気の眼を――。思わず無意識に体が動いて、郷原にタックルをかけてしまっていた。
「やめろッ!! 郷原ッ!!」
「放せッ! ジジィをブッ殺してやるっ!!」
その瞬間、川嶋は、自分の直観が正しいことを悟った。やはり、今のは決して、威嚇射撃ではなかったのだ。思わず郷原の横っ面をぶん殴っていた。
「いい加減にしろッ! 冷静になれッ!!」
「………………」
「単なる噂だろっ!! 自分でいつも言ってるじゃないか、これは単なる噂だと! その自分が取り乱してどうする。余計に真実だと思われるぞっ!!」
「うっ………」
川嶋の言葉に、何も反論できない郷原だった。そのまま大人しく拳銃を川嶋に取られた。
「志垣さん……」
「ひ、ひぃぃぃッ!!」
川嶋が、郷原の拳銃を奪って顔を上げると、志垣とお付きの男は、地面にへたり込んでいた。郷原の撃った弾が、間一髪、お付きの男のジャケットの裾を吹き飛ばしていた。
「お、御大ッ!!」
腰を抜かした志垣は、お付きの男に引きずられるようにして、ちょうど迎えに来たシボレーに押しこめられた。シボレーは危険生物から逃げるように、タイヤを軋(きし)ませて一気に走り去っていった。
「くそっ……、くそうっ!!」
郷原は地面に伏して、悔しさで震えていた。このことは、郷原にとっては何よりも地雷なのだ――。この噂について詮索されると、毎回見境を失くしてしまう――。
「………………」
川嶋は、郷原を掴むと、つまみ上げるようにして持ち上げた。それから、肩を貸してやった。
「一勝負の直後だ。お前、疲れてるんだよ……。な? 郷原……」
郷原は、顔を上げると、川嶋を赤い眼でじっと見た。
「川嶋さんは、信じないよね? こんなバカな話……。川嶋さんは、俺を売ったりしないよね?」
「もちろんだ。どこへも売ったりしないよ郷原……」
「も、もしも寺本厳が、この噂を信じて、誰かに俺を売ったら……」
「それは考え過ぎだ。寺本のおっさんはむしろ、お前をより安全に……、いや、その……、なんというか……。お前とむしろ、もっと深く切り結びたいと思っているんじゃないかな」
「………?」
「それに、お前の噂を裏付ける証拠は、何もない。DNA鑑定でもしないことには……」
「DNA鑑定……」
郷原は、ゾッとして自分の肩を抱いた。
「そんなことされたら……」
俺は死ぬ、と、郷原は、はっきり言った。
「そんなことされるくらいだったら、俺は死ぬ。その場で死ぬ。手当たり次第にその辺のヤツを巻き込んで、派手に暴れて死んでやる。大事件にしてやる」
「……………」
川嶋の背筋に、ひやりとしたものが走った。さきほどの衝動的な発砲といい、過激な占い賭博といい……。寺本厳は気にかけないようだが……。数日前、郷原がスナックに連れ込まれたときも、相手の組員を一人撃ったと田代から聞き及んでいる。ときどき郷原に感じる、ゾッとするような怖さ……。寺本厳に、郷原をゆだねてしまえば、この形容しがたい怖さとも、離れられるのだろうか。
川嶋がふっと息を吐いて、歩き出そうとしたとき、郷原が急に「返してよ」と言った。
「あー……?」
振り返ると、郷原がきっぱりとした顔で、手を出していた。
「返してよ、さっき取り上げた俺のベレッタ」
「あ、ああ……」
川嶋はぎくりとして、固まった。あんなもの、持たせていたら危ないに決まっている。どう言い訳しようか考えていると、郷原のほうがたたみかけてきた。
「あれがないと自分を保てない。大事な精神安定剤なんだ。返してくれよ」
「……こんなものが、精神安定剤……?」
「ああ」
「……返さない、と言ったら……?」
「……なら、構わない。俺は暴力団員だ。そんなもの、いつでも手に入る」
「………………」
川嶋は、自分のほうがおかしいのだと気づいた。自分たちはヤクザだ。武器を持ち歩くのは普通のこと……。
「わかったよ。返せばいいんだろ返せば……」
川嶋が、郷原の手にオートマティック拳銃を戻すと、郷原はそれをケースに入れることもないまま、ストッパーをかけただけでコートの裏ポケットにしまった。
「お前さ……」
「なんだよ」
「結婚する気はないのか?」
川嶋が言うと、郷原はケッと吐きだした。
「なにそれ、くだらない。バカバカしい、そんなもの」
「………………」
「そういうの、ゾッとする。愛だとか家族だとか、そんなのは醜いエゴだ。虫唾が走る」
明日、郷原を婿養子にする話し合いを……。この分では、難しいかも知れない……。いや、難しいどころか、キレて、また今みたいな大騒ぎを起こすかも……。
正直、川嶋は、寺本厳から直接郷原に、婿養子の件を話して欲しいと思った。自分が言ってキレられて、発砲でもされたら恐ろしい……。それくらいのことをしかねない……。郷原にとって、血縁や家庭とは、憎み、唾棄する対象以外の何物でもないことを、川嶋は十分に知っていた。
しかし、だからこそ、厄介な事件を起こす前に、寺本家に入れて、寺本厳にすべてゆだねてしまいたい……。
川嶋は、そう思った。
チラ出し終わり。
続きはもうだいぶ描けてるけど、
まだラストまで行けてないからまた今度。
わはは☆ ( ´艸`)