こちらの展覧会,時間を作って是非鑑賞に行きたいと思います。

 今の僕は現代美術にも深い関心を持っておりますが,以前はそうではありませんでした。以前にも申し上げたことがあったと思いますが,現代美術の絵画作品を観ても「何が描かれているのかも判らない」「敢えて奇を衒っているのだろう」などと感じるばかりで,無関心どころか敵意すら持っていたように感じます。意味のよく判らない文章などに出会うと「これは前衛芸術だ」などと心無い悪口を言っていたのですから,今から考えると恥ずかしいばかりです。
 現在の僕は抽象画などを観ても「この作品は一体何を表現しているのだろうか」と考えたり「線や色が綺麗だ」などと感じたりするようになりました。これは全て,美術を好きになったことによる変化です。「美術に関心を持つようになって,果たして自分は進歩し成長しただろうか」という問いに対して僕は傲岸不遜に聞こえることを承知で「大いに進歩した」と胸を張って答えます。今の僕も決して感心したものではないのは存じておりますが,それでも「現代美術に対してかつての自分は酷い偏見を持って観ようともしなかったが,現在の僕は努めて鑑賞するようにもなったし,それを楽しいと感じるようにもなった」ということを自覚しているし,それは当時と比較して著しい改善であると感じているからです。

 そんな不当な偏見の虜だった僕の青年時代ですが,ジョルジョ・デ・キリコやポール・デルヴォー,それにサルバドール・ダリといったシュールレアリスムの画家の作品については「何やら興味深い」と全く違った捉え方をしていました。或いはシュールレアリスムがたまたま僕の好みに合致したからなのかもしれませんが,それよりも「何が描かれているのかは明白ながら,そこに描かれているのは現実にはあり得ない世界である」というギャップや,そもそも描かれている非現実の世界に興味を抱いたからなのではないかと思います。たとえばサルバドール・ダリの「記憶の固執」という有名な作品がありますが,その作品では幾つかの時計がまるで布のようにフニャフニャになり,しかもそのうちの1つは木の枝に掛けられて干されています。シュールレアリスムの作品というのは多かれ少なかれ「何だい,これは(・・?)」という好奇心を抱かせる傾向を持っていて,それが現代美術嫌いだった僕の心をもとらえたということなのでしょうか。

 今回,東京都美術館で「デ・キリコ展」がオープンしたことを知りました。その名のとおり先述のシュールレアリスム画家の中の最年長であるジョルジョ・デ・キリコ(1888~1978)の作品を取り上げた展覧会です。古代風の建築の並び人の気配の無い街並みを描いた謎めいた幾つかの作品などで既に印象に残っている人物ですが,残念ながら彼の作品を沢山知っているわけではないので「勉強の為にも是非観たい」と感じさせられました。
こちらの記事を読むと,実はデ・キリコはシュールレアリスム作品ばかりを描いていたのではないのですね。シュルレアリスム的な作品を描いたのちになってから「横たわって水浴する女」や「風景の中で水浴する女たちと赤い布」などのむしろルネサンス美術や19世紀のアカデミック美術を想起させられる作品を手掛けていたとのことで,正直に申し上げてかなり意外の感を抱いております。またこちらの記事にはありませんが,晩年になると若い頃の自作について「贋作」と難癖をつけてみたり同じモチーフの作品を再制作してみたりというエピソードもあり,なかなか一筋縄ではいかぬ人物だったことを伺わせます。生涯を通じでジョルジョ・デ・キリコという人がが何を思いどんな作品を制作していたのか,興味の尽きぬところですね。

 こちらの「デ・キリコ展」,2024(令和6)年8月29日まで東京都美術館企画展示室で開催されるということで,是非観賞に訊ねたいところです。上野公園の一番奥で少々不便な場所ではありますが,数多くの作品が展示されていると聞けばそんなことを問題にする必要は全く感じません。「デ・キリコ展」,一日も早く鑑賞出来るのがとても楽しみでなりません♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪



デ・キリコ“幻想的な静謐さ”を湛えた形而上絵画など、代表作が一堂に -「デ・キリコ展」東京都美術館で