何とか万一の際のリスクに対する万全の備えをした上でこの計画を進めてみて欲しい。僕などはそう思ってしまいます。

 僕は林業を専門に学びましたので,ときに「林業とはどのようなものか」と問われることがあります。この質問に的確に答えることは非常に困難ですが,僕はそのような問いには「農業と似た産業だよ」と答えることにしています。林業の中には「天然林を再生可能な範囲で伐採する」といったものもあれば,或いはキノコや山菜・樹液(メイプルシロップなど)等の「非木材林産物」を対象にしたものもありますが,少なくとも現代の日本においては「経済的利用を目的として林産地に植樹し,育成・管理して木材として伐採する」という形で行われるものが殆どです。その営みは「経済的利用を目的として田畑に苗や種を撒いて育成栽培し,葉や根や果実を収穫して出荷する」という農業と同じですね。僕の母校を含めて大学で林業を学習研究する研究室は殆どの場合,農学部に設置されています。これは「農作物も樹木も植物である」という理由も勿論あるでしょうが,それ以外に「農業と林業というのは類似した産業である」という理由も無視出来ないのではないかと僕は考えております。

 とはいえ,林業には農業とは大きく異なった特徴があることも無視は出来ません。農業というのは殆どの場合,月単位の短いサイクルで行われています。苗や種を撒いてから収穫するまでには1年も掛かりませんね。中には複数年を掛けて栽培する農産物もありますが,それでもせいぜいが数年という単位で行われていることは同じです。一方で林業というのは,植樹から伐採までの間に短くとも数十年という長い年月を要します。無論,その過程では「間伐」という農業でいう「間引き」に相当する作業があって,間引きされた野菜とは異なり間伐された樹木は間伐材としての利用が可能ですが,それとて植樹からかなりの期間を経たものでなければ市場価値のある商品にはなりません。つまり資本を投下してもそれを回収するまでには大変な長期間を要するということです。近年,国内林業においては国産材の生産が盛んで木材自給率の向上と同時に国産材価格の低迷という明暗両面の様相を呈していますが,これは第二次世界大戦後の住宅難の時代,将来の需要向上を見越して植樹された木材が今になって伐採期を迎えたからだと申し上げれば,そのサイクルの長さについて皆様にも容易にご理解頂けるところでしょう。日本国内の林産地の中には現在過疎に悩む地域も少なくありませんので「林業を振興して地域活性化を」というのは誰でも考えることですが,林業には「資本を投下しても長期間にわたって回収出来ない」という構造的弱点がある以上,それはなかなか難しいことです。

 この問題,何とか解決出来ないものか。実は外国に目を向けると,日本よりも遥かに効率的に投下資本を回収する林業が行われている例が実在します。たとえばニュージーランドなどにおいては植林から伐採まで僅か20年という,日本においては考えられないような短いサイクルの林業を実現させていることが知られています。実は以前にも僕はこの話を聞いて,最初は「そんなことが出来る筈が無い。これはデータの誤りなのではないか」と考えて少し調べたことがありました。結論を先に申し上げるとこれはデータの誤りなどではなく,ニュージーランドでは極めて成長の早いユーカリを植樹することでこの異常なまでに効率の良い林業を実現しているのでした。
 その際には僕も「では日本でもユーカリを植樹して同じことを実現出来ないものだろうか」と空想を広げましたが,林業というのはそんなに簡単なものではありません。日本でもユーカリの木が街路樹等に使われている例はあり育樹自体は可能と思われますが,気候の違う日本でもニュージーランドと同じように育つかは不明です。また仮に育ったとしても,木材として使用に耐える保証も無い。実際,インドでも日本から持ち込まれた杉が植えられていることがありますが,インドの気候で育った杉は木質が柔らかくなり過ぎて建材としては使用出来ません。何より外来の生物を大量に持ち込んで生態系が乱れてしまっては大変なことになってしまいます。現在日本で林業目的に植樹されている樹木は日本固有種であったり,或いは外来種であっても長年の実績から「生態系に悪影響を及ぼさない」と確認されているものですが,ユーカリを大量に植樹しても安全であるという保証は何処にもありません。ユーカリ林業は魅力的ではありますが,日本でも上手く行くのかは全くの未知数です。

 今回,兵庫県佐用町でまさにユーカリの植樹による林業活性化計画が進められていることを知りました。町内の森林の多くが放置されたままになっていて自然災害すら発生している現状に対し,同町は「希望する住民から森林を買い取ってユーカリを植樹し,建材やバイオマス燃料などとして活用する」という意欲的な林業活性化プランを立案し,東京農工大学とともにそれを進めようとしています。それに対し地元の林業家からは歓迎の声が上がる一方,地元の住民や専門家からは幾つもの懸念の声が上がっているということです。ユーカリが日本でも木材としての使用に耐えるように育つのかという懸念については先述の通りですが,それ以外にも「ユーカリの中には根から有害物質を出して他の植物を寄せ付けないアレロパシーを起こす特徴を持つものもある。他の植物に悪影響を及ぼさないか」「(ユーカリの大量植樹によって)微生物や昆虫がどんどん偏り生態系が壊れてしまわないか」等の懸念が寄せられているということです。因みにアレロパシーは行き着くところまで行き着くとその有害物質を出した植物自らの成長をも阻害してしまうので,最悪の場合には何も育たない荒地を作ってしまうというリスクも有り得ないではありません。
無論,そういった問題について佐用町や東京農工大学も決して無策ではありません。「アレロパシーを起こさない種のユーカリを植える」「まずは小規模な植樹に留めて影響を見定める」といったリスク回避のための方策を取ろうとしています。

 ユーカリを活用した林業。これは魅力的なプランではあることは疑い有りません。もし成功すれば林業の活性化によって地域振興を実現することが可能です。しかし失敗してしまった場合のリスクは到底無視出来るようなものではありません。最悪の場合,破壊された生態系と何も育たない荒地が残るだけということにもなりかねないのですから。一体どうすれば良いのでしょうか。これは机上の空論でその得失を判断出来る問題ではありません。外来種を入れて生態系が破壊された事例も,破壊されなかった事例も世界には数多く存在しますが「林業を目的として日本にユーカリを導入した」事例ではない以上,それらは決定的な証拠にはなり得ないのです。
 僕としては,やはり「万一のリスクに万全の備えを行いつつ,実験によってその得失を判断してほしい」と思ってしまいます。万全の備えとは具体的には「アレロパシーを起こさぬ品種のユーカリを植える」「小規模な植樹に留める」「専門家による徹底的なモニタリングを行う」といった事柄です。そしてこの記事を読む限り,佐用町の試みはこの備えを満たしているように思われます。毒素の低いユーカリを選んだことを根拠に同町の井土達也・農林振興課長が「危惧や心配はいらない」と,またまずは植林される範囲は5ha(東京ドームと同じ程度)に留められていることを理由に戸田浩人・東京農工大学教授が「生物などにどんな影響が出るか、それをあまりいきなり大規模ではなくやる」と,それぞれ明言しているとおりです。そしてユーカリ植樹計画は佐用町の単独計画ではなく,大勢の優れた専門家が在籍している東京農工大学も共同で進めている以上,モニタリングについても不安は無いといえるのではないか。
 それらの点についてコンセンサスを得るにはやはり,地域の人々への説明によって不安を取り除いてもらうことが重要でしょう。佐用町では既にユーカリの試験植栽などを行っている一方で,全町民を対象にした住民説明会は2024(令和6)年3月8日になってやっと初開催されたということです。上述のとおりリスクのある事業でこれほど説明が遅れたのでは不安を抱く人々が出るのも道理というもので,現に住民説明会の前月には1,145名の反対署名が町議会に提出されています。同町の人口は約15,000人ですから,これは決して少ない数ではありません。佐用町と東京農工大学による取組自体にはリスクへの万全の備えがあると評価出来るものなのですから,その点を含めて住民の不安を拭うことが急務と言えるのではないでしょうか。

 ユーカリによる林業活性化プランには幾つものリスクがあることを認めつつ,僕としては「是非とも実行して欲しい」という願いを胸に抱くことを禁じ得ぬ思いです。それはやはり,林業活性化による地域振興に対して僕の抱く期待があまりに大き過ぎることの反映にしか過ぎないものなのでしょうか。



ユーカリ植樹に賛否 町の狙いは『放置される森林を買い取り...早く育つユーカリ植えて建材や燃料に』一方で住民は『全国で杉やヒノキは失敗』『生態系への影響は?』