是非観賞したいものですね。土井利位という人物が行政・政治や科学のみならず美術にも深い見識を持っていたことを伺わせてくれる,とても素晴らしい刀だと思いました。

 茨城県古河市は「雪の街」とも称されます。平成の大合併前から古河市に属していた地域の市立小学校の校章は全て雪の結晶をモチーフにしたものですし,市内の歩道には雪の結晶をデザインしたタイルがしばしば用いられています。また古河歴史博物館のエントランスには「暗い夜空から雪が降る」というさまが再現されている上に,毎年8月に行われる同市の花火大会でもスタートには白い花火を使って雪の降るさまを再現し,僕を含む大勢の見物客に「真夏の空に雪が降るとは」と深い感銘を与えてくれています。

 実は古河市は関東平野のほぼ中央部に位置し,決して降雪の多い地域というわけではありません。ではどうしてその古河市が雪の街なのか。これは江戸時代の古河藩主である土井利位(1789~1848)に由来します。利位は譜代大名たる土井家の当主として,古河藩主のみならず幕府の高級官僚・政治家としても大きな活躍をした人ですが,それと同時に非常に優れた自然科学者でもありました。激務の合間に顕微鏡を用いて沢山の雪の結晶を観察しその研究成果を「雪華図説」「続雪華図説」という書籍に纏めて出版したことで,当時の社会に雪華模様という雪の結晶のデザインの一大流行を巻き起こした人物でもあります。その流行は国内に留まらず,当時は独立国でありしかも雪の降らない琉球においても雪の結晶をデザインした織物が制作されたほどです。利位は現在ではむしろ科学者としての活躍のほうが広く知られていますね。彼は大坂城代として大塩平八郎の乱の鎮圧に成功した辣腕の官僚であり,後に老中首座に上り詰めた後にはそれまで赤字続きだった幕府財政を米の先物取引等の巧みな資産運用によって単年度黒字に好転させた偉大な政治家でもあったのですが,それら行政・政治の分野における大きな功績については現代ではあまり取り上げられることが無いようです。

 今回,その土井利位が愛用した大小刀を古河市が取得することになったというニュースを知りました。先述のとおり利位の研究は「雪華模様」として大きな流行を見せましたが,自らの刀をも雪華模様で装飾していたのですね。現代でも主に若い女性がスマートフォンなどを煌びやかに装飾しそれが「デコる」という言葉で呼ばれますが,大名にして科学者でもあった土井利位もまた自らの刀をデコっていたなどと聞くと何とも微笑ましく感じられ,江戸時代後期の大政治家が何だかとても身近な存在のように思われて参りますね(⁎˃ᴗ˂⁎)
 もっとも,そこはお殿様ですからそのデコり方も贅を尽くしたものです。鞘にはエイの皮が用いられ,刃は当時の名工である固山宗次の拵えたもの,そして雪華模様の散りばめられた柄や鍔などもまた当時の名工によるものです。但しそれらを統括して大小刀という作品に仕上げたのは利位自身であり,いわば「土井利位プロデュース」と称すべき品と言えるでしょう。現代でもインテリアデザイナーやプロダクトデザイナーなどがこのような方法で自らの作品を制作しており,その出来栄えは統括者の能力に大きく左右されます。その上でこちらの刀の写真を見ると実に見事な美術品というべきで,利位が美術についても高い見識と能力とを持っていたことが伺えますね。

 もともと日本刀は武器であると同時に美術品として鑑賞の対象にもなる存在であり,こちらの刀が美術品としても高い価値を有することは明らかです。僕としても是非是非鑑賞したいし,同じ望みを抱いている人も少なくないでしょう。記事によると2025(令和7)年春の古河歴史博物館で初の一般公開が行われるということで,それが今から楽しみでなりません♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
 それと同時に望むことは「ゆきとのくん」にもこちらと同じような雪華模様の「デコ刀」を佩用してもらうことでしょうか。実は土井利位は決して過去の存在ではなく,今も古河市のゆるキャラ「ゆきとのくん」として古河市におけるイベント等で活躍を続けています。せっかく利位愛用の刀が古河に帰ってきたのですから,ゆきとのくんにも同じ柄にデコった刀を佩用して頂きたいものだと考えているのは,きっと僕だけではないに違いありません٩(๑˃̵ᴗ˂̵๑)۶ °



古河市が土井利位 愛用の刀取得へ 象徴の雪華文、至る所に 新たな財産 2025年春に一般公開予定
https://www.tokyo-np.co.jp/article/296831

ゆきとのくん
http://gotouchi-chara.jp/chara/yukitonokun/