これは観ているだけでも楽しくなるような,素敵な器ですね。是非観に行きたいし使ってみたい(ღˇ◡ˇ*)♡

 お皿や丼といった食器は我々の暮らしに不可欠な道具であると同時に,観賞の対象でもあります。僕たち人間が自ら道具を使って食事を始めるのは幼稚園にも入らない小さなうちですが,彼ら幼少の人々のための食器には可愛らしいイラストが描かれていることが珍しくありませんね。これは「食器は道具であると同時に,目で見て楽しむ対象でもある」「そうした鑑賞の体験は人間としての豊かな情操を養う上で極めて有益である」ということを我々が経験的によく知っているからでしょう。これは食器の使い手が大人であっても全く同じです。たとえば高級な料亭や割烹は芸術的にも価値の高い食器を数多く備え,お客に料理を供する際にはそうした高価な器を惜しげも無く使用します。そこまでは高級な食器を使用することの出来ない家庭においても,やはり可能な範囲で美しく時節に合った食器を使用しますね。それは子供向きの食器にイラストが描かれているのと全く同じ理由,つまり「食器は目で見て楽しむ者でもあり,そうした鑑賞が人間の情操を養う」というものによるものでしょう。人間が人間らしくある為には,ときに何らかの美というものに触れる場が不可欠です。美術館に足を運んだり音楽会に赴いたりするのもそうした体験を得るのに極めて有益であることは言うまでもありませんが,食という人間誰もが生きるために欠かせぬ行為の場で美しい食器を使うというのは芸術にあまり関心の無い人や多忙極まる人に対しても「美に触れて情操を養う」という経験を提供する,大変優れた人間の知恵であると言えるのではないでしょうか。

 こちらの記事で紹介されている鹿児島睦氏による陶芸作品にはたくさんの動物たちや草花が描かれた賑やかな柄で描かれており,一見したところ我々の日常使いに適した食器のようです。料亭での使用にはあまり向かないと思われます。割烹などであれば煮物などの野趣溢れる料理を盛り付けるのに好適かとも思われますが,これはそうしたお料理が家庭料理の延長線上にあるからでしょう。つまり,鹿児島氏の作品は家庭料理での使用に相応しいものと言えそうです。或る時にはお料理をチョコンと盛って食べる楽しみと美に触れる楽しみとを同時に味わい,また或る時には器一杯に料理を盛り付けて「料理の食べ終わりに近づくと見事な模様が登場する」というサプライズを感じるのにも向いていると言えるのではないか。写真を見ただけで,思わずそんなことを感じました。

 僕は勉強不足で鹿児島睦氏という方を今まで存じ上げなかったので,こちらの記事に紹介されている同氏の来歴等についてもしっかりと読んでみました。鹿児島氏は美術大学で陶芸を専門的に学んだ方のようですね。お祖父様が物づくりのお好きな方で老境に入ってから陶芸をも手掛けるようになった姿を見て「技術を身に付けておいたら、おじいちゃんみたいにずっと楽しく過ごせそうだ」と進路を選択したということで,きっととても仲の良い祖父と孫息子だったにに違い無いと想像してしまいます(◍•ᴗ•◍) 大学卒業後はギャラリー併設のインテリアショップなどで働き,35歳で故郷で陶芸家として独立なさったのだとか。同氏の創るイラストのような柄の器は当初「おもちゃみたい」などとも言われたものの,現在では内外で人気を集めているとのことです。
 僕が特に興味を惹かれたのは,この記事を執筆した飯田樹与記者も「驚いた」と仰る鹿児島氏の主張です。「私が作っている物は作品でもあるけど、器である以上、道具でもある。であれば、主義主張や物語は全く必要ない。むしろ邪魔になってしまう。できるだけ自分の感情をなくし、皿の中にデザインを落とし込む仕事に専念しています」という発想は,近年盛んな「美術とは感情の表出であり社会への問題意識を盛り込むべきだ」という考え方と真っ向から反するものと言えるのではないか。しかし僕は,柳宗悦の「雑記の美」を彷彿とさせるような鹿児島氏の主張に強い共感を抱きます。実は僕は常々思っておりました。「美術家もまた社会人である以上は個人として主義主張を抱くのはむしろ当然だし,社会への問題意識を持つのも大変結構なことだ。しかしそれを強引に作品に盛り込むことは必ずしも必要無いのではないか」と。世の中には,作者の主義主張や問題意識を強引に盛り込んだせいで完成度を損なった作品は珍しくありません。酷いものになると「言いたいことは判るが,それをアートという形で訴える必然性が何処にあるのだ」と言いたくなるような作品すら存在する。無論,世の中には作者の主義主張・問題意識と芸術性とを見事に両立させた作品も存在しますがそれは決して数多くはないし,それを成功させるのは極めて困難なことのように思われます。そんなことをするくらいなら「作品は作品。問題意識は問題意識」として割り切って作品には特に主義主張を盛り込まず,制作を離れた場で一個人として自らの考えを訴えたほうがよほど健全だし伝わり易いのではないか,とも。

 ・・・こちらの記事を読んで,僕の常々考えていたことを思わず長々と書き連ねてしまいました。写真や文章を通じて感じた鹿児島氏の作品の魅力,そして同氏の制作姿勢への共感。それらがどの程度妥当なものかを確かめるためにも,2024(令和6)年1月8日まで東京・立川の"PLAY!MUSEUM"で開催中の展覧会「鹿児島睦 まいにち」にお邪魔して同氏の作品をしっかり鑑賞したいと思っています。そして,もし可能であれば同氏の作品を僕もコレクションしてみたい。鹿児島氏の作品の大きさや価格についてはこの記事では判らないながら,そんなことを感じているところです。
 時間を取って,是非とも立川に足を運ぼう。そう固く心に誓いました(ლ˘╰╯˘).。.:*♡



「使って楽しい」を作る 動物や草花を大胆に描いた器を制作 鹿児島睦(かごしま・まこと)さん(陶芸家・アーティスト)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/289463