市区町村,特に都府県庁から遠く隣県に跨る文化や行政課題を有する市区町村は自ら主体的に動かねばならない。そんなことを改めて感じさせられています。

 何処の地域でも同じですが,地理的に近い場所においては類似の文化が共有され,また経済的にも密接な関係を有しています。また地域の特性が類似しているが故に住民が行政に求める課題についても強い共通点が認められることも珍しくありません。これ自体は全く当然で,誰もが納得することでしょうし,何もここで改めて説明するようなものでもないと言えるでしょう。
 自治体は必要に応じ,他の自治体と連携してそうした問題に対応することも珍しくありません。たとえば共通の文化を有していることを活用した観光振興,或いは防災や医療などを共同で行うといったことが行われ,こうした取組は一般に「広域行政」と呼ばれています。こうした取組については都道府県庁が音頭を取って市町村に対し実施を促すことも珍しくありません。考えてみれば都道府県というのは市区町村を包括する(法的に上下関係にある訳ではない)広域自治体で複数の市区町村についての情報を有していますから「この地域においては,複数自治体が連携して共通の課題に当たったほうが良いだろう」といった事柄についても判断がつき易いわけですね。

 しかし,これが常にうまく行われているわけではありません。北海道や沖縄県のように他の都道府県と物理的に距離があれば別ですが,人々は通常,都府県境に従って行動しているわけではありません。たとえば神奈川県に住む人が仕事や買い物で東京都に来るなどというのはごく日常的なお話です。しかし都府県庁は,他の都府県における状況についてあまり詳しくありません。他都府県の自治体の状況については驚くほど無知だったりします。僕の知っている事例ですと,某県庁が「画期的な新制度」と銘打って大々的に導入した仕組みが,実は隣県某町ではとっくに採用されていたなどということもありました。もっとも他県の市区町村における状況についての無知ならば止むを得ない面もあり言い訳も通るでしょうが,自県内であっても県庁から遠い自治体の状況についてはよく知らないということも稀ではありません。当然ながら,県境を挟んだ隣接市町村については何も知らないことのほうが普通で,県境を挟んだ隣接自治体同士が共有する文化や行政課題についての知識などは期待するだけ無駄だったりします。また,たまたまそれについて知っている担当者が居ても,都府県境を跨いだ広域行政を行うように市区町村に促すということは滅多に行われません。他都府県に属する自治体に勧告や提言を行うことが難しいということも確かにあるでしょうが,自らの都府県内の市区両村のほうにだけでも「すぐお隣の他県市区町村と連携してみてはどうか」と声を掛けるかというと,よほどの有名事例か切迫した事情でもない限りはそういうこともまず行われません。そしてそうした例外的な事案においても,都府県庁の言ってくる内容はどこかピント外れだったりすることがしばしばです。

 今回のこちらの記事で紹介されているのは,千葉県香取市と茨城県鹿嶋・潮来・神栖各市が利根川下流域の魅力を再発見し観光客へアピールしていくことで協力していこうという合意を結んだという事例です。先述の前提を踏まえて読むと実に興味深く思える事例と言えるのではないでしょうか。
 鹿島神宮と香取神宮とが「式年神幸祭」という祭事等で密接な関係していることは非常に有名なので千葉・茨城両県庁もさすがに知ってはいたでしょう。また茨城県庁も「鹿島地域と行方地域は『鹿行(ろっこう)』といって歴史や文化を共有する地域だ」という意識は当然にあったと思われます。しかしそれでも「では香取市と鹿行地域とで観光振興に関する広域行政を行ってみてはどうか」というお話が千葉県庁や茨城県庁からあったわけではないようです。県庁所在地から遠く他都府県に属する市区町村に隣接するような自治体は都府県を頼りにすることは出来ず,こうした取組は自ら工夫を凝らして行われたものだと言えるでしょう。
 こうした取組を自ら行えば大きな成果を得られそうな場所は,香取市と鹿行地域のみに限られません。僕が長く住んでいた古河なども同じような取組を行えばきっと大きな成果が上がることでしょう。古河は万葉集にも登場する古い都市で,多くの歴史的・文化的資源を有している地です。その中には「静御前が古河まで来て源義経の死を知って思案の末に引き返そうとしたが,間も無く病没した」という伝説や,戦国時代に鎌倉から移り住み関東を支配した古河公方の歴史など,非常に魅力的なコンテンツも少なくありません。しかし古河市単独でそれらを活用した地域振興を行おうとしても,必ずしも成功しないでしょう。たとえば静御前が義経の死を知ったのは古河ですが,命を落としたのは栗橋(現在の久喜市)で,彼女の埋葬された墓は今もJR・東武栗橋駅東口に残されています。また古河公方の政庁・居館は古河にありましたが,第2代の古河公方である足利政氏の隠居所は久喜にあり,公方家の重臣である一色氏の館は幸手にありました。公方の隠居所は甘棠院という寺院として,また一色氏の居館は「一色陣屋稲荷」という神社として,いずれも現代にも残っています。そう考えると埼玉県内の自治体との連携が必要になりそうですね。僕は以前,それを実際に手掛けてはどうかと茨城県庁に提言をしたことがあります。しかし同県庁の担当者は「広域行政ならば福島・栃木・千葉県などと既に行っているから」として極めて消極的だったのを覚えています。
 尤もこれなどは「残念ですね」で済む話ですが,過去には県境に跨る橋梁の管理についてもっと深刻な問題が発生した事例もあったようです。これは大々的に公開するようなお話ではありませんから,詳細は控えましょう。現在では解決されており,複数の県に跨る橋を渡る際に我々が何かを心配する必要は全くありません。

 今回,香取・鹿嶋・潮来・神栖の4市は県に頼ること無く,自らの力で広域行政を立ち上げることに成功しました。これが高い評価に値するのは当然として,他の市区町村も地域を振興したり課題を解決したりするためにこうした先行事例に倣っていかねばならないと僕は考えます。そうした心構えを抱かねばならないのは自治体職員に限った話ではありません。地域の住民も民間主導でまたそうした取組を行っていけばきっと良い成果を出すことが出来るし,場合によっては民間から市区町村の職員や議員への提言をしていくことも必要になるのではないか。そんなことを,僕は感じております。



「東国三社詣」の魅力再発見 香取市と茨城3市 水郷観光で協力
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