クリスチャン・ラッセン氏の作品,実は見事な色遣いをもその特徴としているのですね(๑˃̵ᴗ˂̵)

 僕がまだ少年だったころから,あちこちの広告でラッセン氏の作品を見掛けておりました。東京に来て地下鉄に乗るたびに「ラッセン展」の紹介ポスターと,そのポスターに印刷された同氏の作品をよく見掛けたものです。当時の僕は美術には全く興味が無かったのですがそれでも記憶に残っているのですから,やはりそれなりに心惹かれるものはあったのでしょう。
 その後僕は都内の大学に入学し,美術には何の興味も無いながらも美術館に足を向けることはあったのですが,そこでラッセン氏の作品を観ることは全くありませんでした。代わりに地下鉄では相変わらず「ラッセン展」の広告を頻繁に見掛けましたが,僕はそちらに出掛けることはありませんでした。最大の理由は美術に興味が無かったからですが,それ以外にも「おかしな『展覧会』もあるから気をつけろ」という話を耳にしていたことも一因です。僕は実際に体験したことはありませんが「そうした展覧会ではラッセン氏の作品を道具に使い,市場価値の低い作品を高額で売りつけられる」「購入するまで帰してくれない」などという噂がありました。無論,実際にはラッセン氏の展覧会でもそういった不当な販売を行うものばかりではなかったのでしょうし,またそういった妙な「展覧会」で販売されるのもラッセン氏の作品には限らなかったのでしょうが。そういった噂が流れてそれが作品の評価にまで悪影響を及ぼしてしまったことは,誰よりもラッセン氏にとって不幸だったと思います。美術家でなくても,これは社会人であればだれでも納得の行く話でしょう。どのような仕事であれ,自らの仕事の成果がおかしな金儲けの道具として使われているなどと噂され正当に評価されないというのは無念なことに違いありません。
 少々話は余談に及びますが,噂によればそうした「展覧会」の販売員の多くは若い女性だったということです。強引に契約を迫ることもありましたが,ときには男性客に対してまるで恋人のように親密に話し掛けたり時にはお茶に誘ったりして相手をその気にさせることもある…と。非常に俗な言い方をすれば「女を武器にする」売り方ですね。僕はこういう売り方は好きになれません。画商が商品の販売に尽力するのは当然のことですが,その商品というのは美術品であって女性の魅力ではありません。かく言う僕も男ですから若い女性に話し掛けられれば悪い気はしませんし女性との会話を楽しく思うこともありますが,美術鑑賞の場で人とかわしたいのは美術の話です。恋人のようなことを話し掛けられても「今はそういう時じゃないから」としか感じませんし,万一にもそれで心惹かれもしない作品を購入したとしたら後に残るのはお金を無駄にしたという後悔ばかりでしょう。たまたま心惹かれる作品を購入出来れば後悔はしないでしょうが,それならば若い女性が僕に恋人であるかのように話し掛ける必要自体がありません。現に僕は良い作品だと思えば,作者や売子さんの性別や年齢に関係無く購入しています。なお,以上の話は男性である僕が自らの立場から感じたことを述べていますが,男性販売員が女性客に対し「男を武器に」作品を販売することに対しても僕の考え方は全く同じです。

 そんな僕も今は美術鑑賞が大好きになり,展覧会があると聞くとあちこちに足を運ぶようになりました。また今では先に述べたような怪しげな「展覧会」は姿を消し「美術を観に行ったら売りつけられる」などというリスクは今や殆ど存在しません。そうして素人なりにあちこちの美術館に行ったり専門家のお話を聴いたりするうちに,今も展覧会が頻繁に行われているクリスチャン・ラッセン氏の作品が実は美術の世界ではあまり高く評価されていないということを知りました。だから美術館では見掛けなかったわけですね。
 ラッセン氏の作品への評価が高くないのには先述のとおり「怪しげな販売に使われたから」という理由もあるようです。しかしこれは正当な理由とは言えないでしょう。僕が以前から申していることですが,美術作品の評価は作品自体の価値で決まるものです。過去にどのような売り方をされたのであれ良いものは良く,悪いものは悪いのです。仮に「そうではない」というのであれば,たとえば「僕が何かで莫大な資金を入手し,フィンセント・ファン・ゴッホの作品を買い揃えて怪しげな商売を始めた」という状況を想像してみてください。僕の振舞でファン・ゴッホの作品の美術的価値は損なわれるでしょうか。そんなことはありませんね。
 無論,そうした理由がラッセン氏の作品の美術的価値を否定する正当な理由にはならないことは多くの人々もよく認識しているところで「遠近法を無視していて,奥行きが無い」「余白が少ない」などといった技術的な理由を挙げて同氏の作品の価値を否定する言説が存在します。また同氏の作品を「平和頭の理想的自然志向」と評する奈良美智氏や「極彩色で『人間も動物も争わず、共存して』みたいな、ライオンと人間とシマウマが仲良く草原にみたいな」「"スピリチュアル"な雰囲気」と評する大野左紀子氏のように,ラッセン氏絵画の内容について否定する向きも存在します。しかしそれらが「だから美術として駄目なのだ」と断ずる理由になるのか。僕は「駄目と断ずる理由にはならない」と思いますし,以前にも奈良氏や大野氏の見解を取り上げて批判的に考察させて頂いたことがあります(※)。
 とはいえ,僕の意見はあくまでも一素人の考えに過ぎず,どこまで妥当なものかは甚だ怪しいと言わざるを得ません。しかし仮にラッセン氏の作品が本当に美術的価値の低いものだったとしても,それでも僕は海や海洋生物を魅力的に描き「マリンアート」と称される同氏の作品を非常に好ましく感じます。これは全くの僕の好みの話なので,正しいか否かという問題ではないでしょう。またこれだけ日本全国で広く展覧会が開かれている以上,少なくとも同氏の作品が日本では広く好まれていることも疑いの無い事実と言えるのではないか。僕はそのように考えます。

 そうは言いつつ実は僕も最近,ラッセン氏の作品について「ややワンパターンかな」ということを感じないでもありませんでした。同氏の作品には海を描いたものが多い以上,必然的に青系統の色合いのものが多くなります。青は僕の好きな色ですが,それでも青の強い作品ばかり観ていると少々飽きが来てしまうことは否定出来ません。
 しかし今回,こちらの記事に多数紹介されているラッセン氏の作品を観て,必ずしも青色系統の作品ばかりではないことを知りました。この記事で紹介されている「ルビー・オブ・ザ・サウスパシフィック」や「アンバードーン」の赤みを帯びた画面にはとても惹きつけられるし,また「サクラファンタジー」では白やピンク色が多用されていて海の青と見事な対照を見せています。「好ましく感じる」などと大見得を切った割に僕がラッセン氏の作品について全くの知識不足だったことを改めて実感させられたし,また同氏の作品の魅力について再認識を迫られたようにも感じます。

 幸いに,というべきか,今もラッセン氏の展覧会は各地で頻繁に開催されています。僕も実際に足を運んで,しっかりと鑑賞してみたいと思っているところです(*^^)v



ラッセンとは?マリンアートの作品価値や絵画商法について詳しく解説!

https://media.thisisgallery.com/20225021

 

※僕が以前にラッセン氏の美術作品について論じた文章は,こちらをご覧ください。