やはり僕が常々申し上げているとおり,百貨店は都市にとって極めて重要な文化発信の装置なのではないか。そのようなことを考えさせられました。

 かつて百貨店は小売業界の王様とも言われ,それなりに大きな都市には必ず百貨店があったものです。しかし現在では都市のスプロール化に伴う市街地の衰退や郊外型のロードサイドショップ・ショッピングセンターとの競争等もあって,現在では昔日の面影も無いほどその数を減らしてしまいました。それでも数年前までは各都道府県や各政令都市に必ず一つは百貨店が存在したものですが,今では都道府県では山形県・徳島県,政令指定都市だと川崎市・相模原市は百貨店の存在しない自治体になってしまいました。

 僕が百貨店の衰退を常々深く嘆き「百貨店は文化を発信する場所として,都市にとって非常に重要な存在だよ」ということを何度も申し上げているのは,皆様も既にご承知のことと存じます。しかし「昔はそうだったかもしれないが,今ではもう百貨店はそんな役割を果たしていないのではないか」というご意見を頂いたこともあります。「かつては東京や大阪などで流行している最先端の文化というべき商品が地方都市で最初に販売されるのは百貨店だった。しかし今はそうとは限らない」「百貨店で取り扱われている高級な商品についてはそれ自体が美術品としての価値があるというし,たしかにロードサイドショップやショッピングセンターでそういった商品は販売されていない。しかし地方百貨店の品揃えは良くない。それならば品揃えの良い大都市に直接買いに行ったほうが良い」「文化の発信というが,それは美術館や博物館の整備が遅れていた時代の話だ」などなど。これらは必ずしも全くの間違いとは言えないでしょう。しかし若者向きの比較的安価な服やグッズは別にして,郊外型のロードサイドショップで中高年向けの最先端の流行である衣服やアクセサリーが販売されているかといえば通常はそのような商品の取扱はありません。いや若者向け商品であっても,たとえば結婚指輪を郊外のショッピングセンターで購入する人はあまり多くないでしょう。そして品揃えについても「本当に東京や大阪の百貨店と,地方百貨店を比較した上で言っていますか」と僕は疑問を感じます。無論「実際に比較した上で,地方百貨店は駄目だと言っているのだ」と言われれば僕としては反論出来ませんが,少なくとも現在でも残っている地方百貨店は売場も広く高級なブランド品を数多く揃えています。今でも或いは年に1件売れるか否かといった珍奇の品であれば違いがあるかもしれませんが,そのような品物を即決で買う人はごく稀でしょう。買いたいと思ってから店に取り寄せてもらっても実質的な違いはありません。
 但し「文化の発信というが,それは美術館や博物館の整備が遅れていた時代の話だ」というお話については,これは「一理ある」と言わざるを得ません。たとえば僕が子供だった頃までは,百貨店の大催事場では「恐竜展」「宇宙展」など,現代ならば科学博物館で取り扱うような展覧会もしばしば開催されていました。ときには生きた動物たちを入れて「動物展」などと言う者も開催されていたものです。僕は夏休みに地元百貨店で「世界最大のフクロウ」と「世界最小のフクロウ」とをともに展示した動物展を家族で見に行ったのを今もよく覚えています。大フクロウが「ホー,ホー」と低い声で鳴いていたのに対し小フクロウは何故か全くの無言で,我が家の食卓ではその後暫くの間それがよく話題に上ったものです。今ではそのようなイベントが百貨店で開かれることは今や殆ど無くなってしまいました。当時はまだ博物館の整備も進んでいなかったし,当時既に存在したそうした施設も外部と連携して展覧会を行うといったことは殆どありませんでしたが,今はそうした展覧会を博物館で行うことも可能になりました。美術展は今でも百貨店で開催されることがありますが,これも美術館の整備が進み市民団体の展示にも供されるようになって,百貨店ばかりが会場になる訳ではありません。

 では,展覧会などを開催する場としての百貨店は,現代ではその意味を失っているのでしょうか。今回「そうではないぞ」と感じさせる記事を読みました。先述のとおり,今や山形県には県庁所在地の山形市を含めて百貨店は存在しません。それを憂えて,元十字屋山形店外商部長の大類敏彦氏と同氏の部下たちが山形市内に展覧会などを開催できる場を開設したというニュースです。
 この記事は「山形県内から百貨店がなくなり、催事場で開かれていた美術品の展覧会など文化発信の場も失われた」と指摘し,更に「県内で展覧会を開く機会を失ったかつての取引先の美術品取引業者」が紹介されています。この記事では触れられていないので一般論を申し上げるしかないのですが,実は美術館で販売を兼ねた展覧会を開催することは非常に困難です。特に公立の施設には「営利を目的とする事業には貸さない」という規則のあることが多く,たとえそれが営利・公益両方に資する事業であっても例外ではありません。美術館は画廊ではないのでそれはある意味では止むを得ないことでもあるのですが,それで展覧会そのものが開催出来なくなれば結果として市民が美術に触れる機会も減ってしまうわけです。なおこの記事では「山形市内の美術館の一角を借りて月2回のペースで展覧会を開いてきた」とあるのみで詳細の説明が無く,或いは例外的に美術館で販売を兼ねた展覧会を開催出来たのかもしれませんが,恐らくは販売の無い展示のみの展覧会を開催したということなのでしょう。そのため大類氏や部下の新海秀幸氏が,市街地の商業ビル「ナナビーンズ」を活用したアートギャラリーを設立したということなのだろうと思います。

 大類・新海両氏の試みが成功して欲しい。僕は心の底からそう思います。事は市民が美術に触れる機会の存廃に関わる問題なのですから。ナナビーンズは商業ビルですから百貨店と同様「他の目的で来てみたら,展覧会をやっていたので美術鑑賞をした」という利用も見込めるでしょう。しかしこのナナビーンズ,現在ではテナントの流出等で必ずしも利用活発ではないようです。また現存の店舗も果たして美術展示の場たる展示場と調和の取れるようなものなのかも不明です。そうした点では不利が予想されますが,何とかそれらの困難を跳ね返して欲しいものです。
 とはいえ,これは「県内から全ての百貨店が姿を消す」という異常な事態に対応する苦肉の策であることもまた事実です。そもそも百貨店さえ残っていればこのような問題は発生しなかったわけで,現在も百貨店の残っている都市は「文化の発信基地」としてそれを大切にしてほしいと願うし,行政も経済界もそのために百貨店の存続出来る環境の醸成に全力を尽くす必要があるのではないか。僕はそのように思います。



失った文化発信の場、取り戻そう 百貨店元部長らが催事場開設
https://mainichi.jp/articles/20210928/k00/00m/040/024000c