2016年ブログ34 ありがた〜い神聖不可侵な教典“学術雑誌”(その3)
2016年ブログ34
ありがた〜い神聖不可侵な教典“学術雑誌”(その3)。
このような雑誌主義ともいうべき価値観は、基本的に、科学者の実力を計る目安になる。
では、地位肩書き称号名誉を授与する際に、その学術論文の内容の善し悪しを評価する人物は誰か?
直接、選考し研究職を与える人達あるいは博士などの学位授与の判定をする人達ということになる。
また、科学者に授与される何とか賞の場合も発表された学術論文の内容に依存しているから、その場合は選考委員達ということになる。
ノーベル賞だって同様である。
選考委員会もあれば選考委員もいる。
彼らも科学者である。
しかしながら、日常の昇進や学位授与程度の判定に、そんな本格的な判定努力をする人は少ない。
姑息な方法がある。
一番簡単な方法は、出た雑誌に順番があるのなら、順番の上位の雑誌に出ている論文は素晴らしい、順番の低い雑誌に出ている論文は内容が低いと判定することである。
これなら実に簡単、内容の評価は自分でやらずに雑誌のレフリーにやってもらったことになる。
こういう現象が嵩じてくると、受験戦争における大学名によく似て、中身と無関係に雑誌の名前が一人歩きするようになる弊害を生みがちである。
雑誌名がブランド化していく訳である。
掲載していただく側の研究職は載せていただくことに血眼になって、猛烈な競争の前についには、雑誌の崇高な発行理念からは遠く外れて、なんでもよいから載りゃよいんだろう、という発想になってしまうことである。
特にバイオなどは今やマスコミの寵児となり、内輪のくだらない研究の話でも針小棒大に書いてくれる。
おまけに、掲載雑誌がNature だと、新聞雑誌などは訳も分からず、ネイチャーだ、ネイチャーだ、ネイチャーに出ているぞ〜、凄いぞ〜凄いぞ〜〜、なんかわからんが何でも良いから凄いぞ〜、と、どんどんと書いてくれる。
するとさらに「論文を読み評価」をしなければならない側もマスコミの影響を受けることは避けられないのが人情である。
マスコミの記者達は研究職とは無縁の世界にいる人達だから、この雑誌の名前で論文の内容の評価に代えるという短絡した議論は実に理解し易く書き易い。
こうなると相対的に流行していることをやる、つまり真似をして隙間狙いをした方が楽。
レフリーの好みに合わせた方が楽であると言う認識が普及する。これは本末転倒である。
でもこれが今や日本中に蔓延している。
No 1とOnly 1の話を思い出していただきたい。
しかも残念なことにこういう学術雑誌で順番が上位のものは、ほとんど全部アメリカまたはヨーロッパで発行されている。
レフリーのほとんども西欧の方々と言うことになる。
掲載の基準が大変に厳しいので有名な雑誌に掲載されたのだから大いに自慢したい気持ちはよく分かる。
しかしなんだか受験戦争を連想してしまう。
例えて言うと、模擬テストの一番、一流大学に受かった実績、の価値観である。
皆、競争している、そして、彼らを判定する超越した人たちがいる、その人達に順番を付けてもらう、俺がトップだ、さあどうだ!という流れに似ている。
雑誌のレフリーが超越した神様達つまり大学入試問題を出し採点する大学教授たちであり、論文を送る日本の方々が入試の点数を判定してもらう優等生の学生さん達ということになる。
なにせ、載れば「勝ち」「合格」なのだから、なるべくレフリーのご機嫌に合うような答えを書き、ゴマをするのが一番ということになったりしかねない。
でも、確かにこれは現代の日本人社会の価値観に如何にも合ったシステムである。
分かり易い。
受験と教育と職業/Sakaguchi Publisher
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人の脳を考えてみよう —記憶・意識の分子的基礎って何?—/Sakaguchi Publisher
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がん治療法の21世紀型革新: —新しい放射線増感剤 —
新しい高校の生物: ー遺伝子と進化と多様性ー/Sakaguchi Publisher
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技術大国日本を取り戻そう
鉄のない未来
大学のある理系研究室の風景
21世紀の創薬 第1部
21世紀の創薬 第2部
放射線が身体に当たると?
体細胞分裂と減数分裂
博士になろう! -理系のための研究生活ガイド- (B&Tブックス)/日刊工業新聞社
自滅する人類-分子生物学者が警告する100年後の地球- (B&Tブックス)/日刊工業新聞社
バイオ発電/ワック
くり返し聞きたい分子生物学講座/羊土社
ありがた〜い神聖不可侵な教典“学術雑誌”(その3)。
このような雑誌主義ともいうべき価値観は、基本的に、科学者の実力を計る目安になる。
では、地位肩書き称号名誉を授与する際に、その学術論文の内容の善し悪しを評価する人物は誰か?
直接、選考し研究職を与える人達あるいは博士などの学位授与の判定をする人達ということになる。
また、科学者に授与される何とか賞の場合も発表された学術論文の内容に依存しているから、その場合は選考委員達ということになる。
ノーベル賞だって同様である。
選考委員会もあれば選考委員もいる。
彼らも科学者である。
しかしながら、日常の昇進や学位授与程度の判定に、そんな本格的な判定努力をする人は少ない。
姑息な方法がある。
一番簡単な方法は、出た雑誌に順番があるのなら、順番の上位の雑誌に出ている論文は素晴らしい、順番の低い雑誌に出ている論文は内容が低いと判定することである。
これなら実に簡単、内容の評価は自分でやらずに雑誌のレフリーにやってもらったことになる。
こういう現象が嵩じてくると、受験戦争における大学名によく似て、中身と無関係に雑誌の名前が一人歩きするようになる弊害を生みがちである。
雑誌名がブランド化していく訳である。
掲載していただく側の研究職は載せていただくことに血眼になって、猛烈な競争の前についには、雑誌の崇高な発行理念からは遠く外れて、なんでもよいから載りゃよいんだろう、という発想になってしまうことである。
特にバイオなどは今やマスコミの寵児となり、内輪のくだらない研究の話でも針小棒大に書いてくれる。
おまけに、掲載雑誌がNature だと、新聞雑誌などは訳も分からず、ネイチャーだ、ネイチャーだ、ネイチャーに出ているぞ〜、凄いぞ〜凄いぞ〜〜、なんかわからんが何でも良いから凄いぞ〜、と、どんどんと書いてくれる。
するとさらに「論文を読み評価」をしなければならない側もマスコミの影響を受けることは避けられないのが人情である。
マスコミの記者達は研究職とは無縁の世界にいる人達だから、この雑誌の名前で論文の内容の評価に代えるという短絡した議論は実に理解し易く書き易い。
こうなると相対的に流行していることをやる、つまり真似をして隙間狙いをした方が楽。
レフリーの好みに合わせた方が楽であると言う認識が普及する。これは本末転倒である。
でもこれが今や日本中に蔓延している。
No 1とOnly 1の話を思い出していただきたい。
しかも残念なことにこういう学術雑誌で順番が上位のものは、ほとんど全部アメリカまたはヨーロッパで発行されている。
レフリーのほとんども西欧の方々と言うことになる。
掲載の基準が大変に厳しいので有名な雑誌に掲載されたのだから大いに自慢したい気持ちはよく分かる。
しかしなんだか受験戦争を連想してしまう。
例えて言うと、模擬テストの一番、一流大学に受かった実績、の価値観である。
皆、競争している、そして、彼らを判定する超越した人たちがいる、その人達に順番を付けてもらう、俺がトップだ、さあどうだ!という流れに似ている。
雑誌のレフリーが超越した神様達つまり大学入試問題を出し採点する大学教授たちであり、論文を送る日本の方々が入試の点数を判定してもらう優等生の学生さん達ということになる。
なにせ、載れば「勝ち」「合格」なのだから、なるべくレフリーのご機嫌に合うような答えを書き、ゴマをするのが一番ということになったりしかねない。
でも、確かにこれは現代の日本人社会の価値観に如何にも合ったシステムである。
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