よく宇宙と生命はつながっているといいますが、観念で想うことと実感出来るかは雲泥の差があります。


 仏法では、依正不ニいい自身(正報)と環境(依報)が根源的には一体で有ると説きます。人は環境によって大きく左右され、逆に自身が環境に大きく影響を与えることが出来るというものです。


 本当に純粋な一念(思い)は必ず環境を動かすことが出来ますが、そんなことはあり得ない、非科学的であると純粋な思いに立てない迷いの生命が、邪魔をしてしまいます。科学も生命の法則については、証明できていないに過ぎません。


 生命は、波動でありエネルギーであり、リズムであり法則です。自然が一定のリズムを奏なで、万物を慈しむように、人間の奥底にも同じ生命が

有ります。単純に言えばすべてに慈悲を持って接する正しい生き方ともいえるでしょうか。


 しかし現実はあらゆる八風(仏法では、利い衰え毀れ誉れ称え譏り楽しみ苦しみ)の環境に心が動かされ、そうした本来の生き方を見失うことが、多々あります。


 そのためには、自身の移ろう心を師としない創価哲学の実践が重要になります。その延長線上に、生命はすべて通じている宇宙とも繋がっている実感を味わう事の可能性が広がります。