riririのブログ

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ririri のブログです

最近買取詐欺と思しき訪問を2回経験しました。幸い家に上げなかったので被害はありませんでしたが自戒の念を込めて記録したいと思います。

 

買取詐欺の訪問とは

「不用品を買い取る」などと言って自宅に来た業者が、相場より極端に安く買い叩いたり、貴金属など予定していない品を強引に持ち去るなどの手口で金品をだまし取る行為。

昭和のせんp

1度目 泣き落とし

完全に私のミスでした。ちょうど宅配便を待っていた日だったので、モニターに映った名札を見て確認もせずドアを開けて門扉のところまで行ってしまったのです。

 

すぐに「あっ‥しまった😱」と気づきましたが後悔先に立たず。きっと居留守を使う人が多いのでしょう、顔を見せてしまった以上そう簡単には退散してくれません。

 

引っ越してきたばかりなので不用品はないと断ったのですが、壊れたラジオでも古いレコードでも何でも良いと。

 

引っ越しの時全部処分してきたと重ねて断ったところ「実は会社からのノルマがある。実績を作るため形だけで良いのでご自宅で鑑定させてもらえないだろうか」かと。

 

もう何を言っても無駄、絶対引き下がらないと悟り、業者が諦めてくれるまでひたすら「ごめんなさい。スミマセン。」を繰り返しました。

 

なぜ勝手にきた業者に平身低頭しなければならないのか悔しい思いはありましたが、自宅を知られている以上“逆恨み”されずに帰ってもらうためにはそれしか選択肢はありませんでした。

 

最後は「分かりました」と言ってなんとか帰ってくれたのですが、捨て台詞のようなものを言われるのではと最後まで怖かったです。

 

 

2回目 後から恐怖が襲う

姉から「介護用のポータブルトイレを業者が引き取りに来てくれるのだけど、急な用事が入ったのでその間家に居てくれないか」と頼まれたのです。

 

市の粗大ゴミ回収に出すためには重いポータブルトイレをゴミ置き場まで自力で運ぶ必要があり悩んでいたところ、ポストに買取業者のチラシが入っていたそうです。チラシの買取リストに介護用ポータブルトイレもあり、問い合わせたところ引き取りに伺うと言われたとのことでした。

 

最初から雲行きがおかしかった‥

軽トラに乗った作業員が回収に来ると思いきや、スーツを着たどちらかと言うとホストっぽいイケメン風の若い男が1人立っていたのです。そして「お庭が広い、立派な門構えのお家ですね」とペラペラ話しだしたのです。

 

姉に頼まれた話しと違う、何か胡散臭い、これはサッサと回収して帰ってもらおうと思ったのですが「品番によっては引き取れない物がある。品番を本社に連絡して調べてもらうのでしばらく待って欲しい」と。

 

すると5分くらいですぐ業者の携帯に電話がかかり「本社で調べたところ残念ながら引き取れない型番とのことだった。せっかく来たので何か他に不用品があればお引き取りします」と。

 

そんなことは姉が電話した時に最初に品番を聞けば簡単に分かったこと。これはグルだ、最初から引き取るつもりはないのだと気づき「留守番なので家のことは何も分からない」とこれまたひたすら謝り続けやっと帰ってもらいました。

 

でも後から“危なかったんだ”と背筋が凍る思いでした😱

 

業者が諦めて帰ったのは、姉がポータブルトイレを玄関先まで運んでおいたからだと思います。作業員さんが大変だろうからと、床に毛布を敷きその上にトイレを置いてズルズル引っ張って玄関まで運んだようです。だから玄関先でトイレをみせることができた。

 

もしいつもどおり物置に置いたままだったら‥回収してもらうため家の中に案内してしまったでしょう。

 

平日の昼間なんて大体女性しか家にいません。脅したりされなくても上がり込まれて居座られたらとても怖い。言われたとおり貴金属を出すしかない状態に追い込まれたと思います。

 

“買取詐欺”といっても手口は“恐喝”に近い。本当に恐ろしいと改めて思いました。

 

人間のクズ

1回目と2回目の共通点は、業者が紺のスーツ&名札を着けたイケメン風(本当のイケメンではない)の若めの“チャラ男”だったこと。“買取詐欺”は家に上がり込んでからが勝負。女性から警戒されない容姿と態度であることが重要なのでしょう。

 

それに孫みたいな年齢の男に「ノルマを達成するために形だけでも」なんて泣きつかれたら、おばあちゃん世代は同情して家に入れてしまうかも。

そして貴金属を安い値段で買い叩く。ニコニコしていても目は笑っていない。それが手口だとしたら本当に人間のクズだと思います。

 

 

扇風機はどこに行ったのか

一つだけ面白かった光景があります。

ポータブルトイレの引き取りを拒否した業者が扇風機を一機回収して帰ったのです。

 

実は姉から「昔使っていた古い扇風機がある。ついでに引き取ってもらえないか業者に聞いてみて欲しい」と頼まれていたのです。

 

でね。忘れないように真っ先に業者に聞いたのです。すると「はい。値段はつきませんがそれで良ければ引き取らせていただきます」と受け取ってくれたのです。

 

まずは相手の要望を聞き入れて安心させる‥おそらく買取のテクニックだったのだと思います。

 

がしかし‥目当ての貴金属の買取に失敗。さすがに今更突き返す訳にはいかず渋々持ち帰ったのだと思います。

 

昭和時代の大きく武骨な扇風機を抱えた今流行りの細身のスーツを来たイケメン風の男。

その図がちょっと面白かったです。

 

たぶん車では来ていない。持ちにくいしけっこう重かったはず。良く引き取ってくれたと一瞬感謝しそうになりました。

 

がしかし‥相手は“人間のクズ”の詐欺業者。1円にもならないものにリサイクルの手間をかけるだろうか。もしかしたらその辺に不法投棄して誰かに迷惑をかけているかもしれない。

 

そう考えると“面白い光景”なんて呑気なことを言っている場合ではないです。詐欺業者につけ込む隙を与えてないよう細心の注意を払おうと思い直しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログというよりただの日記です。

 

10数年ぶりの海外旅行準備のタイミングで、ここ数年まったく使っていなかった布製のキャリーケースの存在に気付きました。

 

 

年に1、2度の使用頻度だったせいか汚れもなくとても綺麗な状態でしたが、記憶を辿ると既に購入してから15年近く経っています。

 

“AI”!に聞いてみると「年に1、2度の使用でもハンドルやキャスターが経年劣化するので10年以上の使用は避けたほうが良 い」とのご回答。

 

断捨離を考える年代だし、元々必要に迫られてドンキーで一万円もせず安く購入したものなので処分することにしました。

 

私の住む市町村では粗大ゴミの廃棄にはいくつかの手順が必要です。

 

粗大ゴミ受付センターに回収の申し込み→コンビニで特定廃棄物処理券シール(今回は315円)を購入→指定された回収日にシールを貼ってゴミ置き場に出す

 

手間と時間はかかりますがこの料金で引き取ってもらえるなんてありがたいことです。

 

しかしその前に「もし売れなくても無料で引き取ってくれるかもよ」という姉の助言で、ダメ元で近所の“セカンドストリート”に持っていくことにしました。

 

結論から言うと250円で売れました。粗大ゴミに出す時間と費用を考えると非常に良い選択をしたことになります。

 

しかし“A I”の回答を考えると素直に喜べませんでした。

 

もちろん相手はプロ。おそらく査定の段階で品番からいつ頃販売された商品かは把握したうえで、この査定額をつけたのだと思います。つまり適正価格。

 

でもいつ壊れても不思議ではない物と知りながら売りに行った‥その事実が変わるわけではありません。

 

そして‥自責の念と共に自分がショップを利用する際の教訓にしようと思いました。

 

中古ショップで電化製品や経年劣化による破損の恐れがある品物を買ってはいけない。

もし破格の値段に惹かれて購入したとしたらそれは完全に自己責任だと。

 

 

永久輝せあさん主演の『冬霞の巴里』を映像で観ました。

2022年に東京建物 Brillia HALLで観劇して以来4年ぶりの再見でした。初観劇のときはストーリーにちょっと不自然さを感じ“モヤモヤ”してしまった記憶があります。

今回その“モヤモヤ”が解消し更に感想が180度変わりました。こんなことは滅多にないので記録に留めたいと思います。

 

アンブル目線

それは偶然拝見した宝塚ファンの方の感想のおかげでした。「アンブルのオクターヴへの執着が恐ろしい」と記されていたのです。

 

私が一番最初に舞台を観たとき不自然と思ったのは、星空美咲さん演じるアンブルが血の繋がらない父の復讐のために実母を殺そうとする理由が今一はっきりしないことでした。

 

でもね。この一文で腑に落ちました。「永久輝せあさん演じるオクターヴへの執着」というアンブル目線で再見したところ“確かに‥”と納得することができたのです。

 

アンブルの執着

アンブルはずっと以前からオクターヴを愛していた。

アンブルとオクターヴは血の繋がりのない兄弟。

しかしおそらく世間的に“お似合い”というには歳が離れていた。

いずれオクターヴは弟ミッシェルの婚約者のような素直で心優しい若く可愛い娘に心惹かれ、年上の自分は顧みられなくなるだろう。

だったら永遠に“2人きりの兄弟”でいよう。

 

だからオクターヴを繋ぎ止めるために復讐を利用した。

 

オクターヴより年上のアンブルはオクターヴの父が周囲から恨みを買う人物であったこと、姉の自殺の原因であること、そしてオクターヴは愛人の子、つまり母とも自分とも血のつながりがないことを知っていた。

 

なのにその事実を隠し「心優しい父が義理の父となった叔父と実の母の謀略によって殺された」という“宿命と憎悪”を年若いオクターヴに背負わせた。

 

そして“復讐”という二人だけの秘密を持った。

 

オクターヴが切望し憧れたミッシェルとその婚約者のいる明るく幸せな世界。

本来はオクターヴだってその世界の住人のはずなのに、オクターヴに執着するアンブルは闇の世界にオクターヴを引き摺り込んだ。

 

この“復讐”を主導し唆したのはアンブル。

その結果、オクターヴは殺人に手を染め二度と明るい世界に戻れなくなった。

 

でもあなた一人ではない。私も共犯者。永遠に。だって私たちは姉と弟なのだから。

 

姉と弟。それで良いの?

 

ええそうでしょ。だからずっと一緒。

 

そうか そうだね それで良い。俺だけの姉さん。俺たちだけの罪。

 

アンブル目線で見るとこのラストの二人の会話がとてもとても怖いです。

一生オクターヴは自分から離れられない。恋人と違い兄弟の縁は切れないから。

執着成就、共依存成立‥です。

 

ファンタジーじゃなかった

最初観劇したときね。ギリシア悲劇を題材にした復讐が復讐を呼び憎しみの連鎖が最後まで途切れない重いストーリー、だけどガラス越しに風景を見ているようなどこか感情移入を拒むファンタジーな世界と思ったのです。

 

ちなみに“ファンタジー”はギリシャ語の“ファンタシア”が語源で、幻想とか空想とかいう意味らしいです。

 

 とんでもなかったです。こんなに恐ろしい話とは‥そしてこんなに初見と再見の感想が異なった舞台は初めてでした。

 

再再考 オクターヴ目線

その後考えたのです。

 

初見で感情移入できなかったのはオクターヴ目線でストーリーが完結しなかったからだ。『冬霞の巴里』の主人公はオクターヴ。聖乃あすかさん演じるアナーキストから叔父を庇い“復讐”という呪縛を断ち切ったオクターヴが、最後に姉からの精神的自立を示唆する結末にしても良かったのでないかと。

 

ここから完全な妄想です。

 

姉さんはすべて知っていたのだろう。父さんのことも俺の出生のことも‥なのになぜ?

 

‥あなたを愛していたからよ。いつかあなたは私から離れていく。それが怖かった。

 

自分が犯した罪は自分だけで背負っていく。もう二度と姉さんには会わない。

姉さん、俺も姉さんを愛していたよ。

 

うーん。でも犯した罪を償おうとすれば全てが露見し、唯一“明るい世界”にいる弟ミッシェルの将来まで奪うこととなる。オクターヴは一生罪を隠して生きていかなければならない。

 

二人で終わりのない闇の世界をともに彷徨い生きていく。やっぱり今のストーリーが『冬霞の巴里』という題に相応しいラストなのかもしれません。

蛇足でした。

新橋演舞場 OSK日本歌劇団「レビュー春のおどり」 公演に行ってきました。OSKの公演を観劇するのはこれが初めてでした。登録しているサイトから割引チケットのお知らせが来てこの機会に行ってみようと思ったのです。

 

 

きっかけは悠浦あやとさん

きっかけはOSKのスター悠浦あやとさんに惹かれたことでした。

と言っても悠浦あやとさんはもうOSKにはいらっしゃいません。2018年に体調不良で休養しそのまま復帰することなく翌2019年に退団なさったからです。もう7年も前になるのですね。しかも、私は悠浦あやとさんに一度もお目にかかったことすらないのです。

 

 

なのになぜ?なのですが、私が悠浦あやとさんを初めて認識したのはその休養する前年にYouTubeでOSKの動画を偶然見たことがきっかけでした。背が高くスタイルも良く尚且つ歌がとてもお上手。しかも笑顔が可愛くそのまま女優さんになれるくらいの美しいお顔立ちで、本当にキラキラ輝いていました。

 

宝塚ファンになってOSKの厳しい現状‥かつては宝塚と並び称される劇団だったが今は人気も経営も低迷状態であることを知ったので、“なぜこんなステキな男役さんが宝塚ではなくOSKに?掃き溜めにツル?”と驚き俄然興味を持ったのです。

 

しかもご本人が幼少期からずっとOSKに憧れ入団を切望されていたと知り、“なんと奇特な!宝塚に入団したとしても絶対トップスターになれただろうに‥”と応援したい気持ちになったのです。

 

そして‥来るべき 100周年、OSKの起死回生は彼女にかかっているのだろう。彼女ならどこに出しても恥ずかしくない(いったい何様😅)。年に1回東京でも公演をするらしいからその時はぜひ観劇したい。そう思うようになりました。

 

YouTubeで動画を数本見ただけの私がそんな風に思ったのですから、長年の ファンの方々の期待はいかばかりだったでしょう。休養中も“何とか復帰して欲しい”というファンの切なる願いと祈りをヒシヒシと感じました。

 

退団後もね。どこかでまた活躍して欲しいと願いネットで調べたりもしたのですが見事なまでに消息はプッツリ。完全引退の意思を強く感じ、だから7年経った今でも喪失感が拭えずその存在を時折思い出しています。

 

なのでね。“悠浦あやと”というスターさんはもう現実には存在しないけれど、OSK日本歌劇団の舞台を観劇したいと願ったのは事実。だったらこの機会に悠浦あやとさんが憧れていたというOSKを一度は観ておこうと思い立ったのです。

 

「レビュー春のおどり」感想 

公演を観るにあたって気をつけようと思ったことがあります。

それは宝塚と比べないこと。宝塚と同様のお芝居とショーの二本立て。さらに宝塚にも関わっているスタッフが演出や振り付けを担当することが多いと聞き、それは構成や雰囲気が似通って当然だし、その結果予算も規模も小さいOSKが見劣りしてしまうのも当然と予想がついたからです。そんな目で見ていたらつまらない。せっかくだから目の前のOSKを楽しもうと思いました。

 

第一部は『たまきはる 命の雫』

『ロミオとジュリエット』をアレンジした創作和物ミュージカルだと思っていたのですが、意外にも正統派『ロミオとジュリエット』でした。

 

お芝居を観ていてね。登場人物の台詞、特にロミオとジュリエットの台詞が原作にとても忠実だということに気づいたのです。学生時代、『ロミオとジュリエット』の翻訳(台詞とト書きのみの戯曲)を読んだことがあってその時の記憶が甦りました。

 

なにしろ作者は“世界最高の劇作家”と称されるシェイクスピアですから、当然ストーリーに破綻なく言葉の一つひとつが珠玉のように美しく。そのおかげでストレスなくお芝居を観ることができました。

 

第二部は 『Silenphony』

やっぱりラストのパラソルの踊りがとても見応えがあり良かったです!

クルクル回転するピンクのパラソルがとても綺麗でした。これが伝統のパラソルかと感心しました。OSK日本歌劇団の舞台を観たという満足感がありました。

 

また終演後アフタートークがあったのですが、娘役も過剰に遠慮したりせず普通にハキハキ話して大きな声で笑っていて、男役娘役の垣根が無い感じが新鮮で好感が持てました。舞台を降りれば皆んな同じ職場の同僚って雰囲気が伝わってきました。

 

勝手な妄想と反省

観劇後、どんなOSKならこれからも観に行きたいと思うのだろうと勝手に妄想しました。

 

やっぱり“人”と“演目”かなと思いました。

例えば“もはや存在が2.5次元レベル。美しいしカッコ良い!”とSNSで映像が拡散され話題になるような“スター”候補生が出現したら‥きっと一度観てみようと思う若い世代が増えるのではと思います。

また宝塚が“ベルばらブーム”で低迷期を乗り切ったように起爆剤となる魅力的な演目に巡りあえたら‥きっと評判が評判を呼び何度も見たい思う人が増えるのではと思います。

 

でも“言うは易く行うは難し”ですよね。

そんなこと誰でも分っているし願っていることです。

宝塚とは違う魅力を打ち出す必要があると思っても、割引チケットにつられてたった一度観劇しただけの人間に具体的な解決策が見出せるわけはなかったです。反省です。

昨年元宙組の緒月遠麻さんが出演する舞台を観劇しました。『デスティニー -アドラメレクの鏡-』という公演で場所は池袋のサンシャイン劇場でした。

登録しているサイドからお得チケットのお知らせがきて、そのキャストに元宙組の緒月遠麻さんの名前がありこの機会にぜひ行ってみたいと思ったのです。

 

緒月遠麻さん♡

私が宝塚ファンになったころ緒月遠麻さんは既にタッチの差で退団された後だったのですが、雪組の朝海ひかるさん時代の映像をよく観ていたのでその存在は存じ上げていました。

 

そして退団されてからですが、

早霧せいなさんと共演した『ニジンスキー-奇跡の舞神-(’11年雪組・バウ)』

凰稀かなめさんと共演した『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA(’12年宙組・宝塚)』

朝夏まなとさんと共演した『翼ある人びと-ブラームスとクララ・シューマン-(’14年宙組・ドラマシティ)』を映像で拝見しました。

 

なんていうのでしょうか。どのお役も温かみと包容力を感じるのですよね。

 

特に上田久美子さん演出の『翼ある人』。才能が枯渇し精神を病んでいくロベルト・シューマンを演じられたのですが、伶美うららさん演じるクララと子供たちを愛し、朝夏まなとさん演じるブラームスが妻に想いを寄せていると知りながらも愛弟子の苦悩を思いやる愛情あふれる人でした。

そんな恩師を裏切ることなどできない‥緒月遠麻さんがシューマンを演じられたからこそブラームスの苦しさがより伝わってきたと思います。

 

また緒月遠麻さんのSNSを退団直後のブログから現在のInstagramに至るまでずっと拝見させていただいているので、飄々としていてそれでいて温かみを感じるお人柄に惹かれていました。

 

そして何より退団して10年以上もずっと舞台の第一線で活躍されていらっしゃる。トップスター経験者であってもOGになると厳しい現状のなかそれは凄いことです。ぜひ一度実際に舞台に立つお姿を見てみたいと願っていたのです。

 

緒月遠麻さん♡♡

この公演で何と緒月さんは“将軍”役でした。Instagramによると退団後初の男役だったそうです。口髭も甲冑も違和感なく、むしろ他の俳優さんより身に付いているいうか堂に入ってました。将軍の威厳がありました。長年の研鑽し磨き上げた男役としてのスキルはたとえ退団し何年経とうとも普遍なのだと思いました。

 

そして舞台をとおして伝わる温かみと包容力。素人目にも他の出演者とは演技力が違うのが分かりました。今度はぜひ女優さんとしてお芝居をする緒月遠麻さんを観に行きたいと思っています。

 

ガラガラ公演

この公演が記憶に残った理由がもう一つあります。とても客入りが悪い公演だったのです。S席が半額に近い値引チケットにも関わらず宝塚だったらSS席のすぐ後ろって感じの良席で、なぜなら私の席から後ろの席は人もまばら‥つまりガラガラだったです。

 

2階席はもっとガラガラだったらしく、主催者(兼出演者)らしき人が公演前に2階席に向かって「何人いますか〜」と声をかけていました。値引チケット購入の手前ちょっと心苦しかったです。

 

ガラガラの理由

良作といえどチケットの売れ行きに苦心する公演は多いですが、この公演については不入の原因が分かりました。需要と供給のバランスが取れていませんでした。

 

レーザー光線を使ったスペクタルなアクションシーンが多い公演なので、主演と敵対する2番手役は『仮面ライダー』に出演するような若くて爽やかなイケメン、そして可愛いヒロインを起用して、若い層をターゲットにすべきだった。『キングダム』もそうですがエンターテイメント性の高い作品はビジュアル大切ですよね。

 

にも関わらず主演が50代の元アイドルで、いくら認知度があるとはいえ昔のアイドルなので背も低くはっきり言って普通の“おじさん”で「なぜこの人がヒーロー役?」と思いました。

 

主催者(兼出演者)が終演後に語ったところによると、長年の盟友で一緒に舞台をやれて嬉しいとのこと。それって自己満足では‥だったらこの元アイドルを見たいと思う年代の観客に刺さるテーマの公演をすれば良かったのにと思いました。

 

例え客入りが悪くても出演者は全力で演じなければならない。気の毒でした。

国際フォーラムで鳳月杏さん主演の『侍タイムスリッパー』を観劇しました。

山口馬木也さん主演の映画『侍タイムスリッパー』は昨年観た映画のなかで一番元気を貰えた映画でした。映画館でプログラムを売ってなくて、最初は一館のみ上映の自主制作映画だったことを知りました。評判が評判を呼び大ヒット映画になったのですね。

 

 

元々の映画の構成がとても良かったし、演出が小柳奈穂子さんだったので宝塚版も絶対面白い公演になるだろうとの確信はありました。そして予想以上でしたので記録に残したいと思います。

 

会津藩の場面

それは会津藩の場面を入れたことです。映画版では会津の歴史は語られていますが映像化はされていませんでした。

 

私が映画を観て、唯一疑問に思ったのは後半の真剣を使った殺陣シーンでした。映画のクライマックスとして固唾を呑む殺陣シーンを入れたのだろうと思ったのですが、間延びして長すぎる、むしろ蛇足だったのではと思ってしまったのです。

 

だってね。真剣での勝負ということはどちらが死ぬかもしれないということ。いくら幕末の決着をつけるためとはいえ今二人が生きているのは現代日本。映画はお蔵入りだろうしお世話になった撮影所の人たちにどれだけ迷惑をかけるか。勝手すぎると思ったのです。

 

宝塚版には会津藩のシーンがありました。記憶だと3場面。家老とその娘五月、そして白虎隊の少年たち。実際に場面として演じられたことによって敗戦の痛ましさがよりリアルに伝わってきました。その結果、故郷会津藩の歴史を知った新左衛門は過去に決着をつけない限り前に進めないのだろう。風見恭一郎との真剣での勝負は必然だったのだろうと納得することが出来ました。

 

演出の素晴らしさ

宝塚で映画や漫画を原作にした公演を行う場合、組子の出番を増やすため原作にないオリジナルのキャラクターを登場させることはよくあることです。小柳奈穂子さんはそれがとても上手い。けして原作のイメージを壊さずむしろプラスに働く。今回の作品もそうでした。

 

またそれだけではなく星組公演『阿修羅城の瞳』では、桜姫、安倍晴明、鶴屋南北だけを残して主役にあまり絡んでいなかった劇団⭐︎新幹線版の複数の登場人物をバッサリカットしていました。

きっと冷静にストーリーを評価し再構築し演出する能力がある方なのだと思います。

新宿ミラノ座で咲妃みゆさん主演の『クワイエットルームにようこそ』の千秋楽を観劇しました。

好奇心を大切に

千秋楽観劇というと熱烈ファン♡のようですが、実はこの公演の存在を知ったのはほんの数日前なんです。よく拝見させていただくブロガーさんが「面白かった」と観劇の感想を書かれていて、しかし絶賛でなく色々注釈付きでかえって好奇心をそそられました。

 

好奇心…年齢とともに、「これをやらねば!私がやらねば!」といった“使命感”を感じることが少なくなってくるので、今後生きる糧として“好奇心”を持つことを大切にしようと思っています。

 

東京に居ると、大人気公演(+宝塚)以外は直近でも定価もしくはそれ以下でチケットが手に入るのもありがたいことです。

 

感想はモヤモヤ

売れっ子ライターの主人公が仕事と交際相手とのストレスから睡眠薬の過剰摂取を起こし自殺危険者として精神病棟に隔離され、入院患者たちとの交流を通して自分を見つめ直す。重いテーマをポップなミュージカル仕立てで描くエンターテイメント…でした。

 

私は単純な人間なので、演出家がこの作品をとおして何を伝えたいのか、ヒロインが何を求めて生きているのか、その理由を知って安心したいんです。その視点で考えると都会に生きる女性たちの連携とか、時間に追われる現代へのアンチテーゼとかなのでしょうか。

 

でもこの作品はもっと自由でモヤモヤで結論などなくてよいのかも。自分の身に置き換えてもよいし、ファンタジーとして鑑賞してもよいし、この作品を通して観た人が好き勝手に自由に色々考えるそのきっかけになればそれで良い作品なのかもと思いました。でも自分の判断で傑作か駄作か定めらる作品のほうが観ていて楽ですね。

 

役者さんって凄い

毎日この作品に向き合っている役者さんて凄いと思いました。きっと歌や踊りといった技術力だけでなく感受性が豊かなんですよね。特に主役の佐倉明日香を演じた咲妃みゆさん。

 

他の入院患者役だったらね。髪の毛をチリチリにする役でも拒食症や過食症の役でも振り切ってむしろ楽しく演じられると思うのです。主役である明日香の目から見た自分を演じれば良いから。奇妙であればあるほど等身大の自分と違えば違うほど、非日常って感じで割り切って役作りに励める気がします。

 

でも明日香は自分自身を演じなければならない。私のように感受性が乏しく単純な人間は、自分が理解できない行動やセリフを自分の言葉として毎回演じるストレスに耐えられないかもと思いました。

 

 

映像で2017年宙組公演『神々の土地』~ロマノフたちの黄昏~を観ました。

もう何度見返しているでしょう。私は宝塚時代の上田久美子さんの作品で『神々の土地』が一番好きです。観るたびにストーリーも演出も素晴らしいと改めて感じます。

“イレーネ”なぜ?

この評価が変わることはないのですが、今回伶美うららさん演じるイリナの台詞で“なぜ?”と思う箇所があったので記録に残したいと思います。

 

それは冒頭の雪原の場面で朝夏まなとさん演じるドミトリーに語る「ペトログラードに行きお姉様たちを守ってください」という台詞です。その言葉を聞いた時にね。「それってドミトリーに頼むよりあなたのほうが適任だったのではないの?」と思ってしまったのです。

 

皇后アレキサンドリアとイリナは共にドイツからロシアに嫁いできた実の姉妹。しかもイリナの夫は身を挺して皇帝を守ったロマノフの英雄。

 

聡明で心優しいイリナなら、皇帝一家に常に寄り添い皇后の話し相手となって皇后の孤独と哀しみを癒す存在になれたはず。そうすれば皇后も孤独につけ込まれてラスプーチンの言いなりになることもなかったのではないか。

 

皇帝の護衛のためペトログラードに呼び戻されたドミトリーに「前線にいるよりもっと重要な働きができる」と諭しますが、民衆の憎しみが皇帝一家に向っている状況下、イリナこそ野戦病院になどに行っている場合ではなかった気がします。

 

マリア皇太后主催の舞踏会での再会によって叔母姪の関係でありながら皇女オリガとイリナは子どもの頃会ったきり、オリガはイリナの顔も忘れていた‥つまり没交渉に近い関係であったことが判明しました。

 

ドミトリーに語る「お姉様たちを守ってください」という切実な願いと温度差があり過ぎて、イレーネ何故?と思ってしまいました。

 

“イレーネ”が世界の中心

でね。そのなぜ?の理由が自分なりに分かった気がするのです。

それは‥伶美うららさん演じるイリナがあまりにも美し過ぎてイリナに感情移入し過ぎて、いつしか“イレーネ”中心に『神々の土地』が回り始めてしまった。本来『神々の土地』の主役はドミトリー、イリナはあくまでその想い人。主役に関わらない事項は省略されて当然なのにイリナに関する矛盾を一つも許せなくなってしまった‥だからだと思っています。

 

やっぱり『神々の土地』は素晴らしい

もう何年も前の作品なのに見るたびに新たな感想が生まれてくる。やっぱり『神々の土地』は語り継がれるべき名作だと思います。

 

上田久美子さん

上田久美子さんの素晴らしさは、私のようなごく普通の人間が「観て良かった」と素直に感動できる作品を作ってくれたことだと思っています。

私には宝塚退団後自由な創作を始めた上田久美子さんを理解する能力はなく、おそらく今後公演を観に行くこともないでしょう。でも多くの感動を与えてくれた事実は消えるわけではありません。今はありがとうって思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

スタジオジブリ制作の『かぐや姫の物語』を映像で観ました。制作に8年の歳月を費やした高畑勲監督の最後の作品だそうです。シブリ作品だけあって映像が素晴らしかったです。

 

かぐや姫の犯した罪と罰って?

しかし『かぐや姫の物語』はどこか感情移入を拒む映画でした。私は主人公に感情移入して感動したいタイプの単純な人間なので、遠くから“手招き”だけされてあとは自分で考えなさいって突き離れたよう。正直あまり面白いとは思えなかったです。

 

なのでキャッチコピーの“かぐや姫の犯した罪と罰”が何なのか結局最後まで分からなかったのですが、唯一、かぐや姫が“ここに居たくない”と強く願ったのはなぜか。かぐや姫の哀しみだけは理解できた気がします。

 

かぐや姫の哀しみ

かぐや姫の哀しみは女に生まれたこと。そして女でありながら「獣や鳥、自然を愛し野山を自由に駆け巡る」ことを望んだことだと思います。希望にあふれて生まれてきたのに「こうあるべき」「こうあるのが自然」という社会のなかの固定観念に追い詰められ、遂に月に還えらざる得なくなった、そう思っています。

 

なぜなら、かぐや姫が“人魚姫”のように生きられたら、あるいは“姫”ではなく“皇子”として生まれたら、月に還らず幸せに暮らせ“メデタシ メデタシ”のエンディングを迎えられたと思うからです。

 

もし“人魚姫”だったら

人魚姫もかぐや姫同様、自ら望んで違う世界からやってきます。でも目的が違います。人魚姫の願いは人魚時代に出会った愛する王子と再会し結ばれること。しかしその愛が得られず、それでもなお王子の幸せを願い自らを犠牲にして泡となって消えていきます。

 

もしかぐや姫の最終目的が人魚姫のように“男”だったとしたら、帝という王子以上の存在に巡り合い愛されたのですから「やったー!月に還らずにすむわ。メデタシメデタシ」だったと思います。

 

しかしかぐや姫の願いはそうではなかった。しかも月の住人で人ならざるパワーを秘めているはずなのに、その能力は男を惹きつけること、あるいは今の状況から逃げるだすことにしか発揮できない。これじゃあ、かぐや姫を巡って男たちの争いが続くだけ。帝の寵愛を受けることが自分の幸せと感じられない以上、もうかぐや姫に月に還る以外の選択肢は無かったと思います。

 

もし“かぐや皇子”だったら

シンデレラにしても白雪姫にしても、おとぎ話のヒロインはステキな王子様と結ばれて幸せに暮らすところで終わります。それが女性の幸せのゴールなのです。玉の輿という言葉もあるのでも今の時代もそうなのかもしれません。だから翁もかぐや姫の幸せのため都に行かねばと思ったのでしょう。

 

源氏物語の紫の上を思い出します。子ども時代、雀を追って山里を自由に走り回っていたのに、美しいが故に源氏に見込まれて拉致同然に都に連れていかれた。そして源氏(つまり男)の理想の女性になるよう教育された。かぐや姫もそうだったと思います。

 

もし竹から生まれたのが男の子だったら‥。おそらく翁は自由に野山を駆け巡る“かぐや皇子”を逞しい、立派に成長したと肯定し、都など行かず得た金銀を皇子の能力を生かすために使ったことしょう。

 

そして人ならざるパワーを持つ皇子として人々から崇められる存在となり、遂には「その地を治める王となり愛する幼馴染と結ばれる。メデタシ メデタシ」‥そんな未来もあったと思います。

 

つまり竹から生まれたのが“姫”ではなく“皇子”だったら、かぐや姫が叶えられなかった願い全てを良しと認められるのです。当然、死にたい、逃げ出したいなどと嘆く必要もなく、もちろん月に還る必要もなく幸せに暮らせたと思います。

 

再びかぐや姫の犯した罪と罰って?

でもね。その考え方を突き詰めていくと、かぐや姫の罪は「女に生まれ、女でありながら自由を求めたこと」、罰は「そんな自由は許されないのだと思い知らされたこと」になってしまいます。つまりジェンダーの問題。確かに女性に選挙権が与えられたのがわずか70年前、長い日本の歴史を考えたらつい最近のことですから未だに男女格差は大きな社会問題です。

 

でもね。“これじゃない”感があるのです。感動の超大作にして観客動員数を増やしたいスタッフを押し切ってまで、高畑監督が拘りぬいて製作した映画の主題にしてはステレオタイプすぎる気がするからです。

 

おそらくもっと人間の本質をついた深い意味がある映画なのでしょう。でも私には残念ながら理解できなかった。だから面白いと感じられなかった‥そう思っています。

歌舞伎座で『壽 新春大歌舞伎』昼の部を鑑賞しました。定番のB席です。

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ニワカ“着物眼”

お正月ということで私が生息する2階席、3階席のロビーでも着物姿の方々を多くお見かけしました。
 
私は大昔に振袖を2回、浴衣を数回着たことがあるだけの全くの着物素人なのですが、あら不思議。行き交う皆さまのお姿を拝見しているうちに徐々に着物の良し悪しが分かってきたんです。

この感覚は‥
数年前宝塚雪組公演を観た時、群舞の中から大抜擢中の華世京さんを発見できた感覚に似ています。最初は何十人もいるタカラジェンヌさんの中から写真すら見たことのない新人を探すなんて無謀だと思ったのですが、目が慣れてくると分かってくるのですよね。たぶんあの子なんだろうなと。同じ衣装。同じ振り付け。条件が全て一緒だからこそ逆に優劣がハッキリ分かったのだと思います。

意外とカジュアル
そんなニワカ“着物眼”の私の感想は皆さん意外とカジュアルモードだったということ。
ウールや化繊ぽい着物も多かったし、着付けもビシってしてなくてちょっとヨレっとした感じ。メークも地味だし、髪型もアップにしている人が多かったけど後れ毛が目立ちちょっとやつれ感がありました。

最初はね。天下の歌舞伎座にしかもお正月に着物で観劇に行くなんて、一般人にとっては結婚式列席に匹敵する一大イベントのはず。なぜ、もっと気合いを入れないのだろうと不思議に思ったのです。

皆さん着物が好きなんだ
でも途中から気づきました。気合いの入れる方向が違うのだと。おそらく皆さん着付けを含めてぜんぶ自分で支度して歌舞伎座に来ている。そこに気合いを入れていらっしゃるのだと気づきました。

そりゃ〜自分で着付けるとなれば、柔らかく扱いやすい素材の帯や着物になるし、後ろに目がないのですからちょっとヨレってしまうのは当然です。メークだって着物に負けないよう華やかにと思っても、普段使っているメーク道具だけではおのずと限界があるし、髪をアップするといっても美容院で逆毛をたててスプレーでガッチリ固めて盛ってもらうようにはいきません。

でも自分で出来るって凄いことですよね。私は浴衣しか自分で着ることができませんが(今は浴衣も無理)、それでも1人で着られるまで手が怠くなるほど何度も何度も練習しました。ちゃんとした着物となったらその何十倍も時間と努力が必要なことは容易に想像できます。YouTubeの着付け動画を見ながら簡単にできるものではないのです。

皆さん、着物が好きなんだ。お正月に着物で歌舞伎座に行こう!とチケットを取り、11時の開演に間に合うよう朝から気合を入れて支度をする。本当に着物が好きな皆さんなのだと改めて思いました。

そして、桟敷席や特等席周辺には、着物の格式やルールについてウンチクがありかつそれを正しいと思って人に押し付けようとする人たち‥“着物警察”というらしいです‥がいる恐れがある。おそらくそんな煩わしい視線に晒されないよう2階席や3階席のチケットを取り、自由に着物姿を楽しんでいるのだろうと思いました。

プロとしての着物
終演後混み合う正面入り口付近に着物姿の女性が数人佇んでいたのですが、その中のお一人から目が離せなくなってしまいました。30歳前後の小柄で華奢で細面の楚々とした感じの方でした。

 

きっと普段だったら人混みに紛れて見つけられなかったと思いますが、ニワカ“着物眼”のセンサーがピピピと反応したのです。けして派手では無いけれど錦糸銀糸を使った見るからに高価そうな着物をすっきりと着こなし、髪もメークも上品で美しく‥なんて言ったら良いのでしょう、隙がない佇まいでした。

 

もしかしたら新橋あたりの芸者さんなのではと思ったのですが、周りの人たちの話し声から歌舞伎役者中村七之助さんの奥様だと分かりました。皇族の方が観劇に来ていてそのお見送りに出ていらしたようです。前職は京都の芸妓さんだそうなので着物についてはプロ中のプロですね。思わず見惚れてしまいました。

今はすっかり“着物眼”は消えてしまいましたが、偶然とはいえ趣味として着物を楽しむ皆さんと仕事として着物を着こなす方々と両方の着物姿を見ることができ、新春に相応しい良い経験ができたと思ってます。