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2006年に制作された「落下の王国 』4Kデジタルリマスターを鑑賞しました。とても素敵な作品でしたが、実はそれに気づけたのは家に帰って来てからなのです。自力で楽しめなかった“反省”を込めての感想です。

 

鑑賞理由

まず『落下の王国』というタイトルに惹かれました。そして映像や衣装が美しく独創的らしい。数々の賞を獲ったらしい。DVDも廃盤になっていて何十年ぶりかの貴重な上映らしい。何より家から一番近い、だけど一度しか行ったことのないお洒落なミニシアターでの上映で、“お見逃しなく”感を強く感じ‥観てみたいと思いました。

 

ストーリーもね。傷ついた青年が少女に語り聞かせるおとぎ話。愛と勇気にあふれた心躍るファンタジーという感じで、なんだかディズニーっぽくて楽しそうって思ったのです。

 

〈あらすじ〉

舞台は1915年。映画の撮影中に橋から落ちて大怪我を負ったスタントマンのロイは、病室のベッドで絶望の淵にあり、自暴自棄になっていた。そんな彼は、木から落ちて腕を骨折し入院していた5歳の無垢な少女アレクサンドリアと出会う。

 

ロイは動けない自分の代わりに、アレクサンドリアに薬剤室から自殺用の薬を持ってこさせようと考え、彼女の気を引くために即興の冒険物語を語り始める。それは、愛する者や誇りを失い、深い闇に沈んだ6人の勇者たちが力を合わせて悪に立ち向かう壮大な物語だった。ー映画.com:よりー

 

 

途中離脱寸前

しかしこの映画は手強かった。

青年ロイの自殺願望が深く、おとぎ話じゃなかった。絶望と打算がリアルだったです。また、勇者たちが悪に立ち向かう過程で拷問や処刑など残酷なシーンが多く、決してファンタジーではなかったです。

 

何とか最後まで観れたのはミニシアターの真ん中の座席で踏み切れなかっただけで、本当は中盤あたりで観ているのが辛くなり途中離脱寸前でした。

 

 

『落下の王国』の素晴らしさ

離脱寸前だった映画の一体何を語るのかとも思うのですが、家に帰って『落下の王国』の感想が掲載されたサイトを何気なく見ていたらね。さっき見た映画の場面が思い出され、あ〜そうだった、確かにそのとおり‥って何故か素直に共感できたのです。

 

“パンゴン湾”というところらしいのですが冒頭の紺碧の湖と突き抜けた青い空、そして荒涼な砂漠や豪華な宮殿、庭園。世界中をロケーションした壮大な景色が素晴らしかった。

 

衣装もまるで大昔にみたサントリーのウイスキーのcm、ランボーやガウディの世界のよう。赤、青、黄色、緑が色鮮やかで自然とのコントラストが美しかった。

 あ〜そうだった、本当に夢のように美しい映像だったと記憶が甦りました。

 

そしてストーリーもね。自殺する薬欲しさのためだけにアレクサンドリアに物語を聞かせていたロイが、少女の無垢な心に触れ、やがて全員殺されて終わりだったはずの物語の結末を再生に変えていく。

 

間違いなく愛と勇気のあふれる勇者の物語だったし、ロイ自身も再び生きようと思う、確かに魂の救済の物語だった。最初思ったとおりの素敵なファンタジー作品と思うことができました。

 

 

仕方がないけれど‥

人の感想を聞いてやっとその素晴らしさに気づくなんて他力本願にもほどがある。私って何が足りないのだろう?って考え気づきました。

 

不幸や暴力といったマイナスの感情に弱いだと。一度暴力や処刑シーンを見てしまうと、また同じようなシーンがでてくるのではと身構えてビクビクしてしまい、それ以外のことに目を向けられなくなってしまうようです。今回も端っこの席に座っていたら多分途中で退席してたと思います。

 

もちろん無理に最後まで観る必要はないのだけれど、ちょっと損している。多くの観客と同じように、『落下の王国』の素晴らしさを映画館で直に感じられなかったのは残念だった。反省を込めた感想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Yahoo検索画面に表示される広告を消すために広告ブロックアプリ「280blocker」を購入しました。

 

image

 

我慢の限界

Yahoo検索画面の広告、以前からジャマだなとずっと思っていました。

でも無料で機能を利用している以上ある程度は仕方がないと諦め、その都度、広告画面が開かないよう注意しながら“close”や“閉じる”ボタンを押す作業を地味に続けておりました。

 

しかしついに我慢の限界がきたのです。

 

広告が画面の半分以上を占める、勝手に動画が動き出す‥ストレスではありますがここまではなんとか諦められた。でもね。ここ最近、大きな広告が画面中央にドンと表示され、その広告を“×”にしない限り通常の画面が見えない仕様になってきたのです。しかもその広告が決まって気持ち悪い漫画の広告で、それがこちらの意思と関係なく否応なく毎回目には飛び込んでくるようになったのです。

 

これは“迷惑”というよりももはや“暴力”、何とか対応策を考えなければと切実に考えるようになりました。長年年貢の重圧に苦しみ続けた農民がついに我慢の限界を越えて“百姓一揆”を起こす‥大げさですけどそんな心境でした。

 

 

「280blocker」を選んだ理由と効果

“Yahoo 広告 気持ち悪い”で検索したところ、同じ悩みを持っている人が数多くいるのですね。広告をブロックする方法についてたくさんの情報を得ることが出来ました。

 

そして広告を非表示にするには広告ブロックアプリが効くらしい。そしてフリーを含めてたくさんのアプリがでているが、「280blocker」というブロックアプリが現在一番人気らしいということを知りました。

 

いつもはもう少し調べたりするのですがその日のうちに即ダウンロードしました。価格は800円でした。買い取りで毎年継続更新しなくても良いようです。

 

私はケチな性格なもので課金してアプリをダウンロードするのは「280blocker」が初めてでした。そのため800円といえども効果の分からないものにお金を払うことに若干のためらいを感じていたのですが、漫画の広告が本当に本当に気持ち悪く“背に腹は変えられぬ”状態でした。

 

結果は効果てきめん!

なんと!あれほど悩まされていた広告が陰も形もなく消去され、広告駆除という長年の苦行から解放されました。

 

 

映画『下妻物語』竜ヶ崎桃子の気持ちが分かった

ふと思い出した言葉があるのです。

 

人間は大きな幸せを前にすると急に臆病になる。
幸せを勝ち取ることは不幸に耐えるより勇気がいるの。

 

映画『下妻物語』で深田恭子さん演じる主人公桃子が、少女時代に金持ちの医者との再婚を躊躇う母を励まして言う台詞です。状況はまったく違いますが心境が似ていると思いました。

 

アプリを1つ入れただけで長年のストレスが一瞬で解決するなんて信じられない。こんな幸せが長く続くわけはない。明日になればまた画面にゴミ広告が溢れているのではないか。

 

“大きな幸せ”を前にちょっと怖気ずいてしまいました。

 

厚い雲が一気に晴れて見渡す限りの青空が広がるというか。

足の踏み場のないゴミ屋敷から清々しい風が吹く高原に一気にワープしたというか。

本当に怖いくらいの劇的な効果と変化でした。

 

ちょっと困ったのは、いつも利用している食材のネット注文画面が突然ブロックされて開かなくなってしまったこと。最初は原因が分からず戸惑いました。色々調べて「280blocker」の影響だと分かり、今は注文の時だけSafariの“コンテンツブッロッカー”機能を一時的にオフにしています。効きすぎるための弊害だと思います。

 

何を第一優先するかで選択は変わってくると思いますが、広告表示にストレスを感じている方でしたらお勧めできるアプリだと思います。

 

 

『もののけ姫』imax版を鑑賞しました。1997年に公開され空前の大ヒットを記録した映画ですが観るのは初めてでした。

太古から続く美しく豊かな自然とそこに生きる生き物

その自然を醜い利権争いのために侵略し破壊しようとする人間

自然と人間が共存しともに生きる道はないか葛藤し闘い続ける若者

 

今まで観なかった理由

上映された当時、1984年に公開された『風の谷のナウシカ』と、もしかして基本的な考え方や方向性が似ているのではないか。であるなら私のなかで『もののけ姫』が『風の谷のナウシカ』を超えることはおそらくないだろう、絶賛された映画ではありますがそんな予感がしたのです。

 

でも上映から30年近く経ち、imaxの映像と音響で観れるこのタイミングで勝手な判断をせずちゃんと観ておこうと思い立ちました。

 

良かったところ

映像、特に自然の描写が素晴らしかったです。リアルなんだけど実写とは違うんです。まるで絵本のなかに入り込んだよう。太古の森の奥深くに分け入り浮遊しているような一体感を感じました。アニメーションだからこその迫力と臨場感を堪能できたと思います。映像でいつでも観れる作品ですがimaxで観れて幸せでした。お勧めです。

 

そして私利私欲を貪る、勧善懲悪されて当然の“悪人”など誰一人いない、すべての登場人物にストーリーがある。だから観た後も深く考えさせられる映画なのだと思いました。

 

アシタカや、サン、エボシ御前だけでなく、シシ神の森に棲むものたちもタタラバの民もジコ坊も、そしてアサノの侍であっても、皆が己の信念のもと自分たちの仲間を守るために戦っているのですよね。だからこそどう生きるべきなのか、分からないながらも一緒に考えたくなりました。

 

敢えて講評などは読まず鑑賞したのですが大ヒットしたその理由が分かった気がします。

 

言葉は人間だけのもの

それと同時に、『もののけ姫』が『風の谷のナウシカ』を越えられないだろうと思った理由も分かりました。

 

モロの君は流暢に人間の言葉を喋ります。まるで人間のようにペラペラ話す山犬‥何だか映画の吹き替えを観ているようで嘘くささを感じてしまいました。

 

モロの君には「サンに言葉を教え人間への憎しみを植え付ける」という役割がありますから百歩譲って理解できるとしても、シシ神の森の棲むものたちは猪神も猩々と呼ばれる猿の一族も森の精霊たちでさえも言葉を理解し、あまつさえその言葉を使ってお互いの意思疎通を図っているのです。

 

ストーリーを分かりやすく展開するための手段だと思うのですが、その設定って安易で不遜だと思うのです。侵略した国家が自分の国の言葉を公用語として使うよう強制するのと発想は同じと思うからです。それぞれの“多様性”を認めあって共存していこうとするならあるべき姿ではないはずです。

 

『風の谷のナウシカ』で“オーム”は言葉を喋ったりしません。でもだからこそ“オーム”の怒りや哀しみがより伝わってきました。今回も唯一言葉を持たない“シシ神”とタタラ神となった“ナゴの守”のほうが強く印象に残りました。

 

いつの頃からかジブリ映画は生き物たちがみな“擬人化”してきた。もちろんディズニー映画にだって言葉を話す動物はいます。でもディズニーは基本“ヒロインが悪者と戦い王子様と結ばれて幸せになる”ことがメインテーマ。動物たちはヒロインを応援し祝福するためだけに存在する。ジブリ映画が同じではダメだと思うのです。最近シブリ映画を観なくなったのはそのせいだろうと思いました。

 

私が越えられないだけでは

映画を鑑賞して数日、『もののけ姫』が『風の谷のナウシカ』を超えらないというのはただ私が理解できないだけではとも思うようになりました。

 

これは村上春樹さんの本を読んだ時に思った感想と似ています。

学生の頃村上春樹さんが好きでした。安西水丸さんのおしゃれなイラストの「村上朝日堂」シリーズや「日出る国の工場」等エッセイを愛読していたし、小説だと「風の歌を聴け」の頃です。

 

でもその後、続編の「羊をめぐる冒険」を読んでちょっと世界観が違うと感じ、次の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でサッパリ分からんと断念しました。平明で分かりやすい文章なので何とかついていけたのですが、“ここまでだな‥”と悟りました。

 

その後村上春樹さんは「ノルウェイの森」が大ベストセラーになりノーベル賞が噂される世界的に評価される作家になっていくわけなので、早々脱落したことが寂しくはありましたが能力の限界で仕方がないと思っています。

 

もしかしたら『もののけ姫』も私の能力の限界を超えた作品なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原作を読んでいないので映画を観た限りですが、喜久雄と俊介が波乱の人生を歩むことになったそもそもの始まりは「花井半次郎が自分の代役に喜久雄を選んだ‥選んでしまった」ことに尽きると思いました。

 

なぜ喜久雄?

通常だったら誰が考えても俊介が順当です。

血筋を受け継ぐ俊介とその俊介よりも華も芸も全てに秀でた喜久雄。一門の安泰を第一優先に考えたら、むしろ代役の指名はこの微妙な関係にけじめをつけるちょうど良い機会だったと思います。

 

花井半次郎の死後それ以外の後ろ盾を何も持たない喜久雄は、襲名したにも関わらず同じ歌舞伎役者から嫌がらせや虐めを受け主要な役に就けず燻っている。

 

おそらく8年も失踪しブランクがある俊介がすんなり歌舞伎界に戻れたのも、“ヤクザの息子、隠し子、名前の横取り”と喜久雄を悪役に仕立てて俊介を後継にした方が興行的にも上手くいくという興行主サイドの思惑があったからだと思います。それだけ才能より“血筋”がものを言う世界なのです。

 

 

ifはないけど

もし、俊介が代役を務めたら、市川猿之助さんの代役を市川團子さんが務めた時のように「危機的状況を御曹司が救った」と世間から絶賛され、判官贔屓もあり次期花井半次郎は確固たるものになったのではないか。そうなれば俊介も失踪などせず芸の道をより邁進したと思います。

 

喜久雄だって「どんなに芸を極めようと血筋を持たない自分が俊介を超えることはできない」と早い段階で思い知ることができれば、諦めて別の道に進むか、それでも歌舞伎の世界に残りたいと思えば自分の“分”を弁えて俊介のもとで修行を続ける覚悟が定まったのではないか。

 

そうなれば喜久雄の才能を知る俊介はけして悪いように扱わないだろうし、人間国宝の万菊さんにように見てくれている人は必ずいる。そこそこの役者人生が送れた気がします。

 

 

たとえファンタジーだとしても

全てはこの半次郎の決断が始まり。通常ではあり得ない“ファンタジー”です。でもこの判断は現実的ではなかったとしても映画として必然だったと思います。

 

血筋を持たない自分が歌舞伎の名門を背負う。だからこそ「神様と話してたんとちゃうで。悪魔と取引してたんや。日本一にしてくれるんやったらなんもいらないって」と取り憑かれたように芸を極めようとしたのでしょう。

 

また喜久雄が人間国宝にまで上り詰められたのは、痩せても枯れても“花井半次郎”という看板があったからこそだと思います。

 

類稀な美貌と女方として生まれてきたような天賦の才能。曽根崎心中のお初を喜久雄がどう演じるのか、その姿をこの目で確かめずにはいられなかった。

 

吉沢亮さんが演じられる美しい女方の姿をみると、たとえ現実に縛られない空想だとしてもこのファンタジーなら信じられると思えました。

 

憑依と必死は違う

人間国宝となった喜久雄が全身全霊をかけて“鷺娘”を舞う。鷺の精が憑依したようなその姿に観客は魅入られる。それは理解できました。

 

でも俊介が壊死した足の痛みに耐えて曽根崎心中のお初を演じる、痛みは限界を超えるが最後まで演じ続ける、観客は心打たれ万雷の拍手おくるって、それは違うと思いました。

 

あんなふうには生きられないよな‥

舞台に立つ者にしか解らない凄みと覚悟を表現するためのシーンだと思うのですが、あまりに必死で余裕のない舞台は楽しめないです。舞台で死ねたら本望という言葉がありますが私が観客なら迷惑です。同じ一心不乱でも“憑依”と“必死”はまったく違うものと思います。

 

今週、映画『国宝』を観ました。

大ヒット絶賛ロングラン上映中の映画で既に評価も定まっている作品なので、今更それ以上の感想などはないですが、実は鑑賞中ずっとモヤモヤしていたことがあって、その一点のために鑑賞中はストーリーにあまり入り込めなかったのです。

でも幸い、家に帰って「こういう事なのかな?」って自分の中でスッキリ整理ができたので記録しておきたいと思います。

 

モヤモヤ点

俊介という血筋を受け継ぐ実の息子がいるにも関わらず喜久雄が花井半次郎を襲名する。

 

絶対有り得ないと思いました。

確かに坂東玉三郎さんや片岡愛之助さんのように、歌舞伎の名門の出身で無くても名跡を継いで活躍している方は現実にいらっしゃいます。

 

でもそれは、そもそも後継ぎの男の子が生まれなかったからその素養を見込まれ養子になれた。もしそれがなければ、おそらくあの坂東玉三郎さんだって人間国宝どころかメインの役を演じるチャンスさえ与えられず終わってしまったのではと思います。それだけ“血筋”が強い世界なのです。

 

花井半二郎には俊介という実子がいます。しかも俊介は少女マンガに出てくるような典型的な意地悪でボンクラな御曹司ではありません。幼いころから喜久雄と切磋琢磨して芸事を極めようと努力を重ねる喜久雄のライバルになりうる存在です。

 

その俊介を差し置いて喜久雄が後を継ぐなどいくらフィクションでもありえない。そう考えてしまうとね。その後の展開も全て嘘臭く感じてしまいました。

 

 

スッキリ点

花井半次郎も当然後継は俊介だと決めていたのだと思います。歌舞伎の伝統は学校や養成所で教わるものではなく父から子へと伝承していくもの。つまり家業。

 

名前だけでなく、設備投資した稽古場などの不動産、昔から居る従業員、ご贔屓筋なども引き継ぐ訳だから“血筋=相続権を持つもの”が引き継ぐのが一番スムーズで現実的です。もちろん理屈抜きに我が子が可愛いというのもあったと思います。

 

交通事故の代役に喜久雄を指名することだって本来だったら考えられないことです。でもそのときのベストの選択だと判断したのだろうと理解できました。

 

類い稀な美貌、女方をするために生まれてきたような天賦の才。その才能を見出し見込み仕込んだのは他ならぬ自分自身。『曽根崎心中』のお初を喜久雄がどう演じるのか、純粋に観てみたかったのだと思います。

 

そしていずれ後を継ぐ俊介にとっても良い発奮材料になるであろうという計算もあったのだと思います。しかし俊介はその重圧と苦しさに耐えきれず失踪して行方知れずになってしまった。喜久雄の襲名はその結果の苦渋の選択。

 

そう思ったらね。その後の展開もスッキリ受け入れられました。

 

 

糖尿病の怖さ

半次郎は失明の上血を吐いて死亡。俊介は壊疽により両足を切断したにも関わらず死亡。この映画を観たら糖尿病恐ろしいと思いますよね。  

 

進行の早い癌と違い1、2年でこんな状況になるわけではありません。長年の高血糖を放置してきた結果の合併症‥でも2人はきっと糖尿病の家系なんですよね。  

 

特に家族に糖尿病の人がいる場合は、たとえ標準体重を維持(太ってない)していても食べ過ぎ飲み過ぎに常に気をつけ、年に一回の健康診断は絶対受けた方が良い‥啓発効果あったのではと思います。

 

 

吉沢亮さん

今更ですが喜久雄を演じた吉沢亮さんのイケメンぶりにビックリしました。 

白塗りの横顔があんなに美しいなんて‥

ルッキズムは良くないという風潮ですが美しさには理屈抜きの説得力があります。

仁侠の出でありながら歌舞伎の世界で努力を重ね遂には人間国宝となる、吉沢亮さんが演じたからこそよりリアルに感じたのだと思いました。

 

 

 

秋の夜中に蘭寿とむさん主演の花組のショー『CONGA!!』を鑑賞しました。

2012年の作品だそうです。望海風斗さんや柚香光さんが若手スターとして出演されていました。

 

 

ダンスが凄かった!

なんと続けて3回観てしまいました。ノンストップ感がハンパじゃなかったです。熱くて明るくてパッションに溢れていて元気をもらえました。ダンスの素養がなくても分かるものなんですね。観ていて快感を感じるというか。目を奪われるというか。感動がダイレクトに伝わるというか。本当にダンスが凄かったです。

 

私は感動した作品については、その当時実際舞台を観た人がどんな感想を持ったのか知りたくなって、ファンの方々のブログを検索するのですが、『CONGA!!』の感想は読み応えがありました。やはり優れた作品には優れた所感を寄せる人が多いのです。

それも一場面ごとに曲名や出演者について分かりやすく説明をしたうえで感想を述べてくれるので、3回目はブログを読みながらの“実況解説付き”鑑賞!でした。より楽しかったです。

 

再演を願う

映像で観るだけでは勿体ない。同じ藤井大介さん演出の『EXCITER!!』は花組の“十八番”として何度も再演されています。『CONGA!!』は『EXCITER!!』に匹敵する“血湧き肉躍る”素晴らしい演目だと思います。

 

全国ツアーだとラテンショーの黒塗りのメークは時間的に難しいのでしょうか。

何よりトップコンビ両方がダンスが得意でないと成立しないですが‥いつかぜひと願っています。

 

蘭乃はなさんの魅力が分かった

『CONGA!!』のトップ娘役は蘭乃はなさんでした。

ダンスが素晴らしかったです。蘭寿とむさんと花の中で“シャチホコ”みたいな海老反りポーズでの登場は本当にビックリしたし、難易度の高いリフトも軽々とこなし、ラテンショーということでガシガシ踊っていて、まさにダンサーコンビ。

メークも髪型もお人形のように可愛く、メリハリのあるナイスボディでどの衣装もおしゃれで似合っていました。

 

私が宝塚ファンになったのは2015年なのですが、その当時トップ娘役、特に蘭乃はなさんへの誹謗中傷が酷かったです。宝塚で『エリザベート』、退団後東宝でも『エリザベート』を演じていた頃でしょうか。唯一の褒め言葉が“根性がある”“メンタルが強い”って‥すごい世界ですよね。

 

私自身も失礼ながら、もっと美しいお顔立ちの娘役はたくさんいるし、ガリガリで衣装も似合ってないし、歌唱力もないし、そもそも何でトップ娘役になれたのだろうと不思議に思っていました。

 

でも『CONGA!!』は凄かった。その当時の評価もね。素晴らしい“ダンサーコンビ”と絶賛に近かったです。何処にだしても恥ずかしくない宝塚のトップ娘役でした。

 

おそらくトップ娘役としての在位が長かったため、その間『ファントム』『オーシャンズ11』『エリザベート』と美貌と何より歌唱力が必要な演目のヒロインを演じることができ、それが逆に“歌下手”“実力不足”と叩かれる原因になったのだろうと推測しました。

 

毎日のように誹謗中傷がネットに溢れる日々。平気でいられる人なんて誰もいませんよね。

 

きっとごく普通の任期をごく普通のお芝居とショーの演目で務めていたら、叩かれることなくダンスの上手な“蘭々コンビ”という評価が得られたと思います。

 

でも『ファントム』『オーシャンズ11』『エリザベート』って娘役だったら誰でも一度は演じてみたいヒロインです。

 

どちらが良いかは、「宝塚の人気の演目のヒロインを演じるチャンスを与えられた」と前向きに考えられる強さがあるかどうかで決まるのだろうと思いました。

 

もちろん誹謗中傷が一番いけない。最近悪質なネットへの書き込みは本人を特定して罰せられるようになったみたいで、やっとというか当然だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数年前ですが『阿修羅城の瞳』を映像で観ました。舞台を映像化したゲキ×シネ版と、映画版の2本です。主演の病葉出門はいずれも市川染五郎(7代目)さん、闇のつばきは舞台版が天海祐希さん、映画版が宮沢りえさんでした。

 

劇団☆新感線も“いのうえ歌舞伎”もまったく知らなかったのですが、『阿修羅城の瞳』という美しくも妖しい言葉の響きに惹かれたのだと思います。

 

そして今年、星組で公演された礼真琴さん主演の宝塚版『阿修羅城の瞳』を観ました。

 

劇団☆新幹線『阿修羅城の瞳』の魅力

阿修羅が目覚めるとき逆しまの天空に不落の城が浮かびやがて現世は魔界に還る

恐怖が少女を女に変え 

恋が女を阿修羅に変える

 

鬼殺しの病葉出門と女盗賊闇のつばき。

自分が愛した女は5年前自分が殺めた童だった。そして自分を愛したことにより女は阿修羅に転生した。巡る因果を断ち切り愛した女を彼岸の彼方に送るため、二度と戻れないと知りながら逆しまの天空で阿修羅と対峙する。

 

奇想天外でありながら筋が通っていると思いました。特に“恋が女を阿修羅に変える”という設定。恋が激しいほど、お互いを思う気持ちが強ければ強いほど女は阿修羅に転生し鬼の王となる‥ちょっと演歌っぽいと言うか「天城越え」風味ではありますがラブストーリーとして秀逸だと思いました。

 

 

市川染五郎(7代目)さんの魅力

鬼の表現でいうと、映画版はSFXを駆使できるので逆にマンガチックで、舞台版のほうが“鬼の巣食う魔の都”をリアルに感じられました。でも舞台版も映画版はストーリーはほぼ一緒なので、あとは好みの問題と思いました。

 

なぜなら‥

『阿修羅城の瞳』の成功は病葉出門を演じた市川染五郎さんの魅力に尽きると思ったからです。もちろん阿修羅王に転生する闇のつばきも重要な役ではありますが、それも病葉出門の存在があってこそと思います。

 

今までね。失礼ながら市川染五郎さんに魅力を感じたことは一度も無かったのです。歌舞伎の名門の後継ぎで松たかこのお兄さんで、だけど覇気のない“死んだ目をした人”ってむしろマイナスのイメージでした。

 

ところがー! 『阿修羅城の瞳』の病葉出門は違いました!!!

長身痩躯、黒い着流しがとても似合う。

長い髪を総髪に束ねた横顔が美しい。

歌舞伎役者だけあって見得や立ち回りもバッチリ決まる。

年齢も絶妙。その当時おそらく30歳前後だと思います。

際立つ美しさ‥でも若いだけじゃない退廃的な大人の魅力も併せもって、縦横無尽に立ち回るその姿はゾクゾクするような色気がありました。

『阿修羅の瞳』が注目され人気が出たのは市川染五郎さんの存在があってこそと思いました。

 

 

残念と思ったところ

とにかく長かった。舞台版はほぼ3時間。しかも無駄に長い。

本来脇役に過ぎない祓刀斎、鶴屋南北、安倍晴明、桜姫、そしてそれを取り巻く人々が、まるでサイドストーリーの主役かのように一場面取っている。出門とつばきの物語に絞った方が良かったと思います。

 

おそらく‥商業的に舞台を成功させるためには主役級の役者を外部から招聘せざる得ず、劇団の役者たちにも見せ場を作ってバランスを取る必要があった。そのためだろうと推測したのですが正直長すぎたです。

 

特に劇団☆新幹線独特の畳み込むような台詞のやり取りや特徴的な言葉選び。

きっとこれがこの公演の魅力なのでしょうが、”くどくて寒い親父ギャクの連発”にしか聞こえない場面が多々あり無駄に長い感により拍車をかけました。

 

 

宝塚版『阿修羅城の瞳』の魅力 演出の素晴らしさ

劇団☆新幹線のテイストを残しつつ、尚且つ多くの組子に出番を与えつつ、この物語を1時間半にまとめた小柳奈穂子さんの演出力が素晴らしいと思いました。月組公演『今夜、ロマンス劇場で』の時も思ったけれど、無駄な場面が一つもない。 

 

オリジナル作品を書ける演出家が重要視されますが、既存の作品の本質を見抜いて場面や登場人物を選択し、歌と踊りを入れてミュージカル仕立てにし、定められた時間のなかに収めて皆が楽しめるエンターテイメントに仕上げるって凄いことです。オリジナル創作に匹敵する素晴らしい才能だと思います。

 

 

星組だから?

礼真琴さんの退団公演の演目が『阿修羅城の瞳』と知ったときちょっと意外と感じました。

 

礼真琴さんは退団前『赤と黒』『BIG FISH』と2公演連続してトップ娘役と組まず、しかも相手役の舞空瞳さんは礼真琴さんより一作前に退団しています。

 

これはトップスターの終盤、自分の歌唱力に拮抗する相手役と組んで、もっと高度な楽曲に挑戦したい、もっと深い演技ができる作品に出たい‥そんな礼真琴さんの意向があってのことと推測していました。

 

だからきっと最後の公演には、その歌唱力が存分に発揮できる『1789』のような海外の有名なミュージカル作品か、『蒼穹の昴』のような賞が狙える文芸作品が選ばれると思っていたのです。

 

『阿修羅城の瞳』は劇団☆新幹線の人気の舞台ですが、感動の大作というより王道の娯楽作品です。しかもそもそもミュージカル作品ではないので、歌が重要な演目ではありません。

 

市川染五郎さんの病葉出門、唯一欠点と思ったのは声があまり良くなかったこと。だからお父さんや妹の松たか子さんのようにミュージカルに出演しないのかと合点がいったくらいで、当然主役でありながら『阿修羅城の瞳』で歌う場面は一度もありせん。

 

ちなみにビジュアル面で言えば『阿修羅城の瞳』に適任なのは絶対柚香光さんですよね。抜群の運動神経と魔界の鬼さえも惑わす人外の存在感。長身痩躯の着流しでスクッと闇の世界に立つ、その姿が目に浮かぶようです。

 

だからなぜ?と思ったのですが星組だからだと思うようになりました。

自分探しの旅を終え、最後は星組のトップスターらしく派手な大立ち回りのあるお芝居とギンギンキラキラなショーで終わりたいと思った、それには『阿修羅城の瞳』がピッタリだった。そう勝手に想像しています。

 

自分が住んでる家でもあるので悲しい事実ですが、私の家は観葉植物には劣悪な環境らしいです。西向きのダイニングに置いているので夏場は日中は35度近いムッとするような暑さ、逆に冬場は夜間5度ぐらいまで冷え込みます。

 

第一次絶望期🙀

引っ越してきたばかりの頃、観葉植物のある暮らしに憧れて“モンステラ”と“コーヒーの木”をホームセンターで購入しました。

 

しかし半年もしないうちに憧れの観葉植物が“ただの雑草”と化してしました。

モンステラってあの特徴的なギザギザの葉っぱが可愛いのに、我が家に来てからはなぜか切り込みが入らず生えてくる新芽はただの普通の葉っぱ。しかも真っ直ぐ上に育ってくれず枝は地面を這いつくばるのみ。コーヒーの木も夏場はツヤツヤの葉っぱが美しかったのですが、冬に一気に萎れてシワシワのチヂミ状態に。

 

幸いスペースがあったので、“何とか自分たちの力で生き延びてくれ”と両方とも屋外に植え替えたのですが、実際はゴミ箱に捨てるのが嫌だっただけの“責任放棄”。特にALOHA🏝️な雰囲気のモンステラは絶対欲しかった観葉植物だったので、上手く育てられずに見捨ててしまったことに落ち込みました。

 

希望の星🌟ポトス🍃

ポトスとの出会いは‥スリコ(3コインズ)で300円で売っていたポトスを安いしトイレにでも置いてみようと買ったのが始まりです。モンステラのような思い入れは全くなく、むしろポトスってサトイモ科だしお洒落な観葉植物と言えるのかとちょっと軽んじておりました。

 

しかし!ダイニングより更に環境の悪い北向きのトイレにも関わらず夏の暑さにも冬の寒さにも耐え元気に生育してくました。

 

調べてみるとポトスは愛好家が多く、オーソドックスな緑の葉のグリーン、黄緑色の葉のライム、斑入りの葉のマーブル、ちょっと高級嗜好のエンジョイなど、葉の色や形でたくさんの種類があるんです。サトイモ科?のせいか値段も草花レベルで1,000円以下のものがほとんどなので、色々な種類のポトスを購入し窓辺に置いて楽しんでおりました。

初代グリーンポトス

ポトスライム・エンジョイ•マーブル

 

野望🔥

ポトスを生育して約2年、私の中で“自信”のようなものが芽生えてきました。

 

活力剤や肥料の使い方も分かった。

水やりのタイミングも分かってきた。

植え替えも経験した。 

更に自信を深めたのはね。ポトスって伸びた枝を切って水に差しておくとそこから根が出てくるんです。それを鉢に植えてみたところ我ながら素敵な仕上がりで姉に贈ってとても喜ばれたのです。

 

もはや私は観葉植物初心者とは言えないのではないか。かくなる上はポトス以外の観葉植物も家に置いてみたい。テーブルサイズだけではなく少し大型の観葉植物も育ててみたい。私の中に自信と共にそんな“野望”が芽生えました。

 

 

第二次絶望期(今です)🙀🙀

そこで購入したのはコロンと丸い葉っぱが可愛いシェフレラ(カポック)🌿です。七号鉢というサイズらしいのですが、1メートルくらいの高さのものを購入しました。値段も映画3本分!今までの観葉植物の中ではレベチの高額でした。

 

結論から言うと購入して2か月で枯れました。萎れたのではありません。完全に枯れたのです。

 

これから植物が青々と茂る4月に購入したにも関わらず、葉が茶色くなってバラバラと落ち始め、そのうち枝がダランと垂れ下がり、ついには幹がまるで凍傷にでもかかったように真っ黒に変色して枯れてしまいました。その間わずかたったの2か月‥まるで魔法にでもかかったよう(悪い方の魔法ですガーン)。

 

シェフレラはとても丈夫で育てやすく初心者向けと言われる観葉植物です。置いた場所は南向きのカーテン越し、大型の鉢の水やりは初めてなので根腐れしないよう水やりチェッカーも購入し‥私としては万全を期したつもりだったのです。

ゆえにこの展開を未だに受け入れられず、悪い夢でもみているようで現在も非常に落ち込んでいます。

 

そして私と私の家の環境に馴染んで逞しく育ってくれるのはポトスだけだ。ポトスよ🍃ありがとうと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

宝塚は観劇している

今でも宝塚は観劇しています。

やっぱり宝塚の舞台は素晴らしいと思います。約3時間美しい非日常の世界を楽しませてくれる。例えB席であっても満足感は変わらない。

適正価格と顧客満足度を両立させていて、現在のところ宝塚に匹敵するクオリティの舞台は他にはないと思います。東京といえどもチケットの売れ行きに苦戦する公演が多いなか、宝塚公演は常にSOLDOUTで抽選に外れて観れない時も多いです。魅力があるからチケットも売れているのだと思います。

 

 

変わったこと

でも私のなかで一つだけ以前と変わったことがあります。

ジェンヌさんに過剰な期待をしなくなりました。“スター”と呼ばれ華やかな舞台に立つ選ばれし容姿の人ですが、舞台を降りれば良くも悪くも普通の人。ごく普通の“劇団員”という名の一企業の従業員。保育士さんや美容部員さんなどの集団と一緒なのだと思うようになりました。

 

普通の人たちの集団だから当然管理をしっかりしないとパワハラやイジメもおこりうる。異動のほとんどない閉塞的な職場だから、エスカレートしてしまうと歯止めが効かなくなる。その危うさはこれからも続いていく。今でも宙組公演だけは観れないのはそんな“人間の怖さ”を感じてしまうからだと思います。

 

人間は弱い、タカラジェンヌも普通の人。良い人もいれば悪い人もいる。なかには意地悪な人だっている。それだけではなく一人の人間の中に両方の部分が必ずある。私にだってある。ジェンヌさんに過剰な期待を持ってはいけない、そう思うようになりました。

 

 

過剰な期待が愛でありファンなのだ

“タカラジェンヌも普通の人”と思うようになったらね。ブログが書けなくなりました。書くことがなくなったというか。

 

今までは公演後に書きたいことがたくさんたくさんあったのです。どんな演目をどんな配役で演じたか。どんな衣装を着ていたか。1回目と2回目でどんな違いがあったか‥記憶に残したい、誰かと感動を共有したいそんな気持ちで一杯でした。でも今は観劇が終わるとスッと日常に戻っています。

 

舞台上の一挙手一投足に注目してわずかな差も見逃さず、演目や人事の動向が気になって宝塚ファンのブログを頻繁にチェックし、誰と誰がこんな会話をしていたらしい、もしかして仲良しなの?なんて妄想したり…。

 

タカラジェンヌが“フェアリー”で夢の世界のキラキラ輝く特別な存在だった頃はね、本当に我が事のように一喜一憂して応援してました。

 

過剰な期待が愛でありファンなのだ‥そう思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シアタークリエでミュージカル『ボニー&クライド』を観劇しました。

キャストはクライドが柿澤勇人さん、ボニーが桜井玲香さんでした。

劇団四季のように主要なキャスト全員が超絶歌ウマという訳ではないけれど、そのぶんキャストの中で一番カッコイイ人、一番可愛い子が主役を演じ、しかも皆さん歌も踊りも平均点以上で観ていて分かりやすくストレスのない舞台でした。

 

男二人の気持ちは理解できた👬

まずクライド。

共感は出来ません。でも“そういう生き方しか出来ないよね”と理解は出来ました。貧しく今日の食べ物にも困る環境に育ち、真面目に働いても周囲からは偏見の目でみられる。今の状況から抜け出し一攫千金を狙うにはもう犯罪しかない。一生うだつの上がらない人生を送るくらいなら例え殺されようと太く短く生きた方がマシ。

クライドが刹那的にしか生きられない理由が分かった気がします。

 

兄のバックもそうです。

バックには自分を誰よりも愛してくれる心優しい妻がいます。でも妻とともに暮らすことは安息の日々かもしれないけれど、一生“ヒモ”として生きていくことです。ギャングとなり強盗や殺人を犯しながらも人々からヒーロー扱いされる弟の“活躍”を知り、はやる気持ちを抑えられなかったのではないでしょうか。世間から認められる生き方ができない、やはりクライド同様、刹那に生きるしか選択肢はなかったのだと思います。

 

女子二人は理解できない👭

ボニーもブランチも、もっとまともな生き方ができたでしょうにと思ってしまいました。

まずはボニー。

父親を亡くし貧しい家庭で育ってはいるが、母親は働き者でしっかり者です。間違ってもボニーに盗みや売春を強要するような毒親ではありません。人目を惹く可愛さがあるのだから、成功するかどうかは別として母親の店を手伝いながら憧れの女優を目指すこともできたはず。つまりちゃんと夢が見れる環境にあった。

 

それなのにクライドが脱獄犯と知りながら行動をともにし、別れるチャンスは何度もあったのに犯罪に手を染めついにはともに射殺される。そもそも最初の夫からして犯罪者。そして自分の名前や詩が新聞に掲載されたことを「有名になった」と単純に喜ぶ。そんなことで有名になっても意味がないとは思わない。ボニーにとって女優として成功し脚光を浴びることとも、強奪犯として持て囃されることもおそらく同列。

なぜ?もうこの人は“境界知能”で、その場その場を場当たり的に生きる能力しかなかった。だから、別の意味で刹那的に生きるクライドと相性があったのだ。そう思う以外理解のしようがなかったです。

 

そしてブランチ。

美容師という手に職を持ち、バックと別れるよう忠告してくれる堅実な友人がいる。それなのにバックから離れられない。「この人には私が居なくては」とバックを愛することが生きがいにしている。信仰心が篤く“共依存”の関係なのかなと思いました。

 

もしボニーとブランチが“境界知能”でも“共依存”でもなかったとしたらね。考えられる理由はバック&クライド兄弟が超絶イケメンだった‥それくらいしか思いつかないです。

お芝居の世界なので演者さんたち皆さんカッコ良いけれど、一般社会に“スタイル抜群でお顔も美形”なんてそんなイケメン滅多に存在しません。もしこの二人がそうだったとしたら、“刹那的に生きる姿がステキ。惹かれてしまう、離れられない”と思うかもと‥私にはそれしか理由が考えらなかったです。

 

シアタークリエ

観劇の目的の一つはシアタークリエでした。一度行ってみたいと思ったのです。

宝塚を観に東京宝塚劇場に通っていたので、シアタークリエの存在は以前から知ってはいました。でもずっと別の世界と思っていたのです。自分の心境の変化にちょっと驚いています。

 

感想は‥コンパクト。もっと小規模な劇場もたくさんあるのでしょうが、約600席の劇場は今まで行ったことのある劇場に比べると二階席もなくとてもコンパクトに感じました。

出演者も20人弱。ホームページに写真が載るメインキャストの人が7人、その他アンサンブルの人たちが様々な役をこなしながら歌い踊っていました。

う〜ん。今回のチケットも完売という訳にはいかなそうだし、それを考えると舞台俳優ってあまり大儲けできる商売では無さそうです。

 

でもね。歴代のポスターを見ると、私でも知っている有名な役者さんが数多く出演しているのですよね。きっと‥全身を使って自分を表現する演劇って、面白くてやりがいがあって快感で、お金ではかれない麻薬のような魅力があるのだろうと思いました。