母方のおじいちゃんは戦争中病気で亡くなったそうだが、遺骨は戻ってこなかった。

戦争の機密ということで、場所も特定されていないそうだ。


家族にとって戦争の機密なんてどうでもいい。


私はおじいちゃんのことを弔ってあげたくても、どちらの方向に伴っていいかわからないではないか?


今日、1人の総理が引責で退陣する。このことによって、問題の本質はうやむやになる。


国のトップ、総理と言う立場は、弱いものな気がする。

誰かが助けてくれないとこうやって退陣するしかない。つまり多くの人の意見をもらわないとトップにはいられないと言う事。


きっと私たちは、おじいちゃんの死んだ場所と同じく国家機密と言う名前でいろんなことを知らされていないのだと思う。


戦争で亡くなった方、そしてすべての亡くなった方を弔うお盆と言うこの時期はとっても良い。日本の伝統ではないかと思う。


沖縄ではいまだにそれを大切にして家族が集い伝統を守っている。その点から言うととても沖縄がうらやましい気がする。


もちろん悲しい歴史や今でもいろんなしわ寄せを受けている。あの美しい土地沖縄に行くと本当に大事なものが何かが気がつく。怪我してまたあの土地に行きたいと思う。


命がつながって、今私がここにいるとすれば、今まで私に命をつなげてきてくれた人たち物に感謝を捧げたい。


9月1日に実施する子供が多いらしいが、こんな子供が自分で命を立つような現実は私たち大人が変えて行けたらいいと思う。


岡本太郎が本の中で言っていた通り、私たちは生まれてくる段階でも多くの命の犠牲のもとに生まれてきている。


命をありがとう。