まず、菅総理の生時推定に役立ちそうな事柄を、菅義偉-Wikipedia から洗い出してみましょう。

 

生年月日 1948年12月6日

生   地 秋田県雄勝郡秋ノ宮村(後に雄勝町秋ノ宮を経て現・湯沢市秋ノ宮)

 

父親 菅和三郎 氏は、イチゴ農家を営み、地元の様々な役職を歴任後、92歳で亡くなると旭日単光章を授与されている。

母親や叔父、叔母は元学校教員であり、2人の姉も高等学校教員となった。

進路決定に際し、「教員にだけはなりたくない」と考えていた。

「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京。
東京都板橋区の段ボール製造工場(社名未詳)に就職するも、2か月で工場を退職。

それから約2年後に法政大学に入学。

大学の空手道部に4年間所属し、三段の段位を取得。
1973年、法政大学法学部政治学科を卒業、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社。

1975年 政治家を志して、自由民主党の衆議院議員秘書となる。以後11年にわたり秘書を務める。
1983年 大臣秘書官を務める。
1987年、神奈川県横浜市会議員に初当選、その後市議を2期務める。当選回数わずか2回にも関わらず、市長から人事案などの相談を頻繁に受けるなど、「影の横浜市長」と呼ばれた。
1996年 衆議院議員総選挙にて、初当選。

1975年 政治家を志して、自由民主党の衆議院議員秘書となる。以後11年にわたり秘書を務める。
1983年 大臣秘書官を務める。
1987年 神奈川県横浜市会議員に初当選、その後市議を2期務める。当選回数わずか2回にも関わらず、市長から人事案などの相談を頻繁に受けるなど、「影の横浜市長」と呼ばれた。
1996年 衆議院議員総選挙 初当選する。
2006年 自由民主党総裁選挙に、安倍晋三を擁立する原動力になった。第1次安倍内閣では当選わずか4回で総務大臣に任命され、初入閣する。

2012年 自由民主党総裁選挙に先立ち、安倍晋三の総裁復帰を画策し、安倍を返り咲きさせた。
2012年12月26日 第2次安倍内閣(自公連立政権、安倍晋三首相)の発足に伴い、内閣官房長官に任命される。
2016年7月7日 内閣官房長官の在職期間が1,290日となり、歴代1位の在職日数を記録した。
2020年9月14日 自由民主党総裁に選出される。9月16日、総理大臣に指名される。同日午後6時17分に内閣総理大臣任命式を終え、菅義偉内閣が発足。

 

性格

 

自ら表に出ることは少なく、人と話すときもあまり喋らずに聞き役に徹する。あまり目立たない生徒で、自分の殻に閉じこもっているような印象。菅自身、自らを地味で真面目な性格で、特にパフォーマンスが苦手だという。

 

エピソード

 

好物はパンケーキで、大の甘党である。
酒は飲まず、タバコも吸わない。朝に身体を動かしたり、情報収集したり、様々な人と会ったりする「朝活」を日課としている。
趣味は渓流釣り、ゴルフ、海外旅行。
大学進学のための受験勉強をしている中、役内川のアユ釣り大会で優勝し、秋田県知事から竿を贈られている。