先日、NHK朝の番組で「子供のいない人生」というトピックをとりあげていました

支度をしながらすっかりテレビの前に座り込んで見入ってしまい、危うく遅刻しそうになりました 笑

 

番組を見ながら、何年か前に派遣で勤めていた職場での先輩だった女性とのエピソードを思い出したりしていました(← すっかり忘れていた)


入職してすぐの頃、同じ年齢だとわかりすっかり話が盛り上がり、会話が弾んで間もなく

「お子さんは?」

「うちはいないんです、大人ふたりです」

「あ、ごめんなさい」

なんで謝られたのかな〜と少し違和感を持ったことを思い出しました

 

その瞬間以外は、共通の話題も多く、年齢ならではの悩みなどなどおしゃべりしたり楽しくお仕事をしたのですが


今思えば、きっと彼女にとって「子ども」というピースが、人生においてかけがえのないとっても重要な意味を占めていたんだろうなあと思います

 




この番組をきっかけに、わたしも結婚してからこれまでの人生を振り返ってみました

 

私の場合は、40代が自分に与えられた「夫婦ふたり人生」が快適だったような気がします

(20代・30代は結婚とか仕事とか子供とか、周りと比較してどうか?という軸で自分を評価し、自分を駆り立てていたからでしょうね、しんどかったなあ)


 40代は好きなことが見つかり、掘り下げて学ぶことがとっても楽しかった時期でした

そしてもうひとつ、父の看病の時期が重なったこともあるのかなと思います


父がすい臓がんを宣告され、周りですい臓がんという病気を聞いたことがなかった私は、病気について調べれば調べるほど絶望感に飲み込まれていきました

当時も海外駐在中だったのですが、オットの理解もあり「出来るだけお父さんの力になってあげたら?」と言ってくれて、ひと月ごとに日本と駐在国を行ったり来たりしておりました

一緒に過ごせた最後の一年程は、父は入退院を繰り返し、入院すると昼間は母が、夜間はわたしが病室に付き添いをしていた時期もあり、父とふたりで夜中にどちらかが寝入るまでどうでもいい話をする・・という、かけがえのない時間を過ごしました

田舎で、とりわけコンサーバティブな考えの父だったので、一度嫁に出した娘が看病のために連日泊ってくれるなんてきっと夢にも思っていなかったのではないかと思います

その頃に、”あー私って自由だなあ、ありがたいなあ”と、夜中の薄暗い病室で思ったことを憶えています

もちろん、オットの理解があってこそなのですが、その時やりたいことに注力できる”身軽さ”があったのは、子供がいないからこそ出来たことなのだと思います

その頃の私は、残された父との時間を大切にすることが一番やりたい事でした

今もあの頃の思い出はとってもあたたかく、涙がこぼれそうなのを必死に隠しながら、我ながら頑張った時期でした

 

 

そして50代に入り、最近またちょっとグラグラしている自分がいます

初孫が生まれ家族が大きくなっていくのを見て、兄のことをうらやましく感じている自分がいるのです

次の代にバトンを渡してゆくってこういうことだったのか…と


でも、「現在」に繋がるまでに、子供達が小さい頃に転勤しながらどちらの両親からも物理的に距離があり、知らない土地で夫婦二人で子育てをしていた時期、下の子が入院していた頃など、大変だった頃も知っていますし、教育費だって大変だったと思います

人を育てるって凄いことです

 

キラキラしている人のことは、光が当たっているところにばっかり意識が行きがち・・と自分にリマインド

結局は人生はそこそこフェアなような気もしています

 

 

最近の我が家の会話は”備えと健康”について(ばっかり 笑)

 

ずっと前に読んだ本で

”The point is there is no point in life”

 

何かに執着すると、それに縛られて主導権を取られてしまう

これさえ上手くいけば…と考えがちだけど、そのピースが手に入ったからと言って自分の人生は、丸ごと完璧なのか?というとそうではないんだな〜ということなのかなと思います


ひとつのこと/要素に、あまり意味を持たせすぎない・・ということ

 

結局、ひとつの要素で人生の問題の全てが解決するわけではないのですよね



これからもすご〜く不安になったり、寂しくなったり、凹んだり…ということはあると思うけど、都度都度乗り越えていくしかないですね


 まずは今出来る目の前のことを楽しみながらやっていく…感じでしょうかしっぽフリフリ



歳をとって読み返した時、そんなふうに悩んでいた時期があったのか!と振り返れたらいいな、とちょっと記してみました

 

 



 

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