"名字帯刀"という言葉があります。
侍・武士が江戸時代に持つことができたという特権のことで、侍・武士(これらの特権身分を"士分"ともいう)の定義として頻繁に持ち出されるものです。
一方で、実は庶民は普通に名字を名乗っていたり、戦国時代であれば手伝いや奴隷に至るまで武装している上、織田家に至っては最下層の一種である小人にも太刀を持たせたり、腕に覚えのある者は身分を問わず長巻を持たせたりといったことを他家と違って特に秀吉配下から行っていたということが武家名目抄に記載があったりします。
信長および秀吉の合理性が垣間見えるところで、ファンとしてはちょっと嬉しいところ。
さて、武器に関しては秀吉以降から徐々に江戸時代になって特に武士・侍の特権となっていくのは、一部免状があるのを除けば概ね事実ではあり、大小二本指しは他の身分(いわゆる武家に奉仕する武家奉公人も)ではできなくなっていきます。
一方の名字に関しては、実は明確にそうだとはしたものはないものの、小者(小人)・足軽身分に対して「名字なきもの」と記載していることや、江戸時代の文章に関しては明らかに庶民は名前だけになっており、特別な場合以外は名字を記載できないようになっていたので、概ねこの習慣が戦国時代もあったと考えてよさそうです。
ただ、問題はあります。
まず、現代と違って、その記載された名前の前の名字らしきものが本当に名字かはわからないということです。当時は屋号と思われるものも多くあり、これも世襲しています。武家の名字は支配地や家督の権限を表すものなので、商人が店を継ぐ話とは別です。
さらに、戦国時代の文章では特に江戸時代ほど厳密に庶民の名字記載を禁止していなかったようで、基本的に傭兵である足軽や武士と庶民の中間とされる"中間(ちゅうげんと読む)"、手伝いや時には奴隷と同等とされる小人(小者)に至るまでチラホラと名字っぽいような記載が散見されます。ただ、ここに記載されている名字らしきものは前述のように本当には名字ではない屋号のようなものであったり、単に同名や類似名との混同を避けるために書かれているようにも思われます。
ようするに、書いてあるかではっきり判別はつかないのですが、では"書かれていなかった場合"はどうなのか?
これは概ねさすがに武士・侍なんだから名字を持っていたら書かれるだろう、と思っていたのですが、実際はそうではなかったというのが今回のお話です。
根拠は実は戦国ファンならほぼ誰もが一度は目を通す信長公記。
ここに元々は中間である武士に使役される身分である杉若という人が黒田杉座衛門という名字・名前を大将首を落とす際に貢献したことから貰ったという、まさに誰もが思い描く侍へのサクセスストリーが書かれています。
しかし、以下のリンクから観れる信長公記の我自利我本を基にした新字版にはその重要と思える名字が記載されていないのです。
なお、ついでに織田勝左衛門の小人(中間より下の身分)であったという記載もないのですが、この理由はよくわかっていません。
これが気になったので、いくつか調べられる範囲で信長公記の版を比較してみることにしました。
信長記、岩瀬文庫版(1600年頃?)
中間の口中杉若・黒田杉座衛門になる。
信長公記、史籍集覧版
信長公記、戦国史料叢書版

小人のぐちう杉若、杉左衛門になる。
どちらかに極端に偏っているのであればまだ考察のしがいがあったのですが、結構古い版でも(古い版だから?)中間・名字が書かれているので、少なくとも誰かが勝手に書き加えたのではなく、単なる誤字・抜けなどでもなく(そもそも変化点が多いので)"信長公記の作者である牛一が意図的に二種類用意した"と考えてよさそうです。
だからこそ、はっきりしたことが言えず難しいところですが、少なくとも以下のことは言えそうです。
・戦国時代(かその後の江戸時代でもしばらくの間)においては名前の前に名字らしきものが書かれていても、それが名字とは断定できない。
(恐らく、口中杉若の口中は当人にとってはともかく名字ではない/公式には名字としては扱っていない)
・名字がなかったとしてもそれは意図的に書かれていなかっただけで、その人物が侍でないことを確定させない(むしろ書かれていなくても侍である可能性は残っている)。
少なくとも信長と織田家に関してはかなりの部分を牛一に頼っているため、こう考えざるをえないと思いますが、いかがでしょうか。




