人前で侮辱されて、悔しくて悔しくて言い返したり仕返ししたりしてやりたい、言いまかして敗北させてやりたいと思った経験はありますか?私はあります。
得策じゃないと分かっていても、気持ちが納まらないから自分の正しさを主張してやりたい。相手に非を認めさせて、負かしてやりたいと言う気持ちになりますよね。
でもやっぱりそれって得策じゃないんです。自分の感情に巻き込まれいては、負かされていては、いつまでも平安な心は訪れません。
自分の気持ちを整理して、相手への気持ちも消化するための心の整え方、またなんで仕返しは得策ではないのかもお伝えしていきますね。
何に腹が立ったのか?
まずはここが一番大事。
何に腹が立ったのかはあなたにしかわかりません。ここをはっきりさせる事。
紙でもスマホのメモでも構わないので、箇条書きしてみましょう。
目の前に映し出された腹がたった現実はあなたの中にあります。あなたのどんな思考がその現実に反映されているのでしょうか。またなぜその現実が起きてきたのでしょうか。
この世は鏡であるとは一体どういう事でしょうか?
目の前に映し出された現実という名の映像は、あなたのどんな考え方の反映なのでしょう。
思考が映像化されているため、そこには解釈が必要なようです。あなたの内なる世界が象徴的に物質を通して表現されています。
<津留晃一メッセージ集「鏡」より>
また何かに対して腹が立っただけではなく、あなたの中に常に以下のような感覚がないですか?
そしてそれに対して怯えたり、おどおどしていたり、殻に閉じこもっていたり、精神的に避けていたり、見ないようにしていないでしょうか?そこも注意深く見ていきましょう。
- いつか責められる
- いつか怒られる
- いつか叱られる
- いつかなじられる
- いつかバカにされる
- いつか見下される
- いつか嫌われる
- いつか見放される
- いつか侮辱される
- いつか怒鳴られる など
「いつか」は「誰か」に置き換えた方がしっくりくる人もいると思います。その場合は「いつか誰かに責められる」でもいいですし「いつか〇〇(名前)に責められる」など、しっくりする言葉に置き換えて書き出してみて下さい。
あなたが「誰かに否定された」と感じるとしたら、それはあなたが自分を否定している事の現れです。
心の奥深くで「いつか◯◯に責められる」などと言う気持ちを抱えていると、現実にそう言う事象が起こってきます。
あなたが何も否定しなくなったとき、もう誰かによって否定されるという出来事は起こらなくなってきます。仮に否定されても気にならなくなります。
仕返しは得策じゃない訳
怒りや悲しみが湧いてきた時、なかなかその事が頭から離れないですよね。
自我(思考)は常に自分が「正しい」と思っていますから、自分が負けたなんて思いたくもありません。
ただただ自分の正しさを証明するために、納得するために思考し続けます。
例え仕返しをしなかったにしても、相手を下げずむ言葉をずっと頭の中で繰り返しているかもしれません。でもそれではあなたの心が荒んでいくばかりです。
一説によると「脳は主語を理解できない」と言われています。主語が理解できないので、自分が発した言葉すべてを自分のこととして捉えてしまい、人の悪口を言うと脳の中では自分が悪口を言われた時と同じ状態になるのです。
つまり相手の悪口を頭の中で繰り返すと、自分自身に対しての悪口として判断してしまい、自分自身を傷つけると言うものです。
ただこれは脳科学でちゃんとしたエビデンスがある訳ではないようです。
ですが確かに人をけなしてばかりいると、なぜか自己嫌悪に陥ってみたり、気分が落ち込むと言うような経験はありませんか?私はあながちただの情報ではないようにも思います。
仮に仕返しができたとしても、スッキリするのはその時だけです。人には慈悲の心や仏性が備わってますから、時間が経つにつれて無意識に罪悪感や後ろめたさが湧いてきて完全にスッキリする事はないでしょう。
それに仕返しをした相手の恨みを買ってしまい、不毛な争いを生んで余計なエネルギーや時間を使うことになるかもしれません。また新たな良くない事象を引き寄せるだけです。
幸福だけ、良い事だけと言うのは不可能
できることならイヤなことや悪いことが起きないで、良いことや幸せだけが欲しいですよね?
【陰陽太極図】を目にした事はありますか?目にしたことはあっても意味までは知らない人もいると思います。
古代中国から伝わる教えで「万物には陰の気を持つものと、陽の気を持つものに分けられる」と言われています。
諸説ありますが「陰極まれば陽に転ず、陽極まれば陰に転ず」と言うのが一番ポピュラーで、聞いた事がある人もいると思います。
また白黒の小さい丸ですが「陰の中にも陽が含まれ、陽の中にも陰が含まれ、万物は100%ではない」と言う意味を指しています。
また禅語には【両忘(りょうぼう)】と言う言葉があります。
「2つのことを忘れなさい」言う意味です。
2つのこととは、両極にある2つのことです。是と非、善と悪、美と醜、愛と憎など両者の対立を忘れ去りなさいと言うことです。
もうお気づきだと思いますが、この3次元の世界はどちらか片方だけでは存在できません。
光があるから闇を認識できるように、幸せがあるから不幸を認識する事ができるし、良い事があるから悪い事を認識できる訳です。
比較ができなければ、区別も理解もできません。
ですが私たちの自我(思考)は、常にこの2つの間で選択し、迷い、比較し、罰し、決めつけて揺れ動き、良い方だけを欲しがります。
この世は二極の世界です。
片方を選ぶと言う事は、もれなく片方もついてくると言う事です。
ただ先ほどの陰陽太極図の話に戻りますが、片方だけがあり続ける事もまたあり得ない訳です。「不幸な事だけ」「悪い事だけ」はあり得ません。宇宙は常に変化しています。一つだけ変わらない事は「変化する事」です。
禅はこの2極を超えていく事、そこを超えなければ本当の安心(あんじん)、心の安住はないと教えてくれます。
両方あって当たり前。陰に振り回される事なく、陽に踊らされる事なく、素直にサラサラとどちらも受け入れて無心である事。
無心とは「なにもない心、無機質な心」のことではなく「自然の心、とらわれない心」川の水のようにつねに流れ続ける心のこと。決してなにも感じない心ではなく、感じたことに執着しない心ということなのです。
上記は私の心の師匠で、とある禅寺のご住職のお言葉です。
こう言う考え方が身に付くだけでも生きやすくなりますよね。



