あるご家庭から頼み事をされて困りました驚き


授業に関する事で、

本来なら、親は関係なく学校側に一任する

しかない案件。


それでも、その案件について

私なりに知っているお話しをしました。

でも、本人達がその努力をするか、否かまでは

強要出来ませんし、するつもりもありません。





ただ言えるのは

「自分達でどこまで努力したのか?」

その前提で、人や学校に物事を要求しているのか?





例えば、

体調が悪いから病院に行く。

だけど処方された薬は飲まずに、

「治らない」と文句を言う。


(病気を治す努力をしたのか。)





こういうご家庭から頼み事をされても、

私も協力するには限度があります。



私は私の知る限りの知識のお話しをしました。

それを、その方達がどう受け取り、どう行動するか

までは私の手助けする範囲ではありません。


その方達が、私をどれ程、信用しているかにも

よると思いますが、

それも本人達の判断であり

私にはどうする事もできません。


https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/a3512a65004da5a41a93b1abda94e2d2




情報が溢れる世の中で、

どの情報が正しいのか判断出来ない人、

正しい情報に出逢えない人もいるでしょう。





それも’縁"なのだと思います。





自分が納得いくまで、

正しい情報を得ようと努力したのか?

行動したのか?





前回のブログでもそうですが、


私なりに、人に協力出来る事はしたい、

してあげたいと思っていて、

微力ですが、出来る限りの事はしているつもりです。






若い頃は、良い結果がでるまで執着していました。


良い結果が出ないなら努力しても無駄、と。

0か100か、の極端な自分でした。


父親の潔癖症の完璧主義の性質を

見事に受け継いでいて、

そんな自分は生き辛くもありました。


どうせダメだと、やる前から諦めた事も

沢山ありました。






努力に全ての成果が現れるわけではない。





どれだけ努力したのかが大事なのだと知ってから

結果に執着する事も、自分の限度を超えて

人に尽くそうとする事もやめました。


生き辛さも少し楽になりました。




このご家族の方も、

以前の私と似たようなモノを感じます。


どうか、結果に執着せず、

自分達で出来る範囲の努力はして欲しいです。