今、YouTube上を賑わしている首長と議会のバトル。ある町の議会でのバトルを見ていて、市

長さんが議員さんを論破しバッタバッタとなぎ倒していく姿が勇ましく、シテヤッタリの顔がまた

印象的だった。そして議論も終結を迎え、議長の掛け声で賛成か否決か裁決をとった。結果

は市長の雄姿空しく、いとも簡単に否決。シャンシャンみたいな感じで閉会。熱い論戦と余りにも淡白な採決が対照的だった。

 

議会の仕組み上、致し方ないことではあり、決してこの一連の流れが市長と議会が単純に仲が悪いからとか、半ば嫌がらせといった行為とは言い切れないと思う。

ただ、論調勇ましい市長が最後にはチョンと否決されてしまったらいくら素晴らしい事業案でも実行が出来ない。手順を間違わず極端なハンドリング、ドリフト走行みたいな運転をそうそう頻繁にしなければ、大概の議会は市長の思うように進むと思う。

 

全国のバトルを繰り返している議会が決して単なる感情で運営をしているわけではないと信じたいし、自身に置き換えてもそうあってはならないと常日頃より律しているつもりだ。

 

例えば、横断旗を持った人が信号が赤なのにも関わらず

『どうぞ、今渡って下さい!』

『信号が赤でも走って渡れば大丈夫!』

『今、車が通ってないから大丈夫!』

と子ども達を誘導していたら、皆んな誰もが必死で制止するのと同じ感じだと思う。

 

仲が良いとか悪いとかとは、ちょっと違う。

 

その際、横断旗を持った人が、私は青だと思ってました!とかならまだしも、

『車が通っていないから問題ないでしょ!』

とか

『青になりかけていたから大丈夫でしょ!』

とか

『子どもたちが急いで渡りたそうにしていたから、しょうがないでしょ!』

とか

『歩道橋を作らかなかった行政が悪いんでしょ!』

と真顔で言われると、こりゃ、この人に横断旗を持たせちゃいかんわ!となる。

 

あらゆる手段を講じて子どもたちの危険を回避させようとする行為は至極自然のことだと思う

し、監視する側の大人の責務だと思う。それを

 

『まあ、PTAからあの人は選ばれた人じゃけえ』

とか

『あの人は、よー子どもたちに挨拶してくれて、えー人じゃけえ』

とか、ましてや

『少々、赤信号でも危なくなけりゃ―渡らせればえかろーがー』

といったことでは、あまりにも責任が欠如しており、少なくても私は子どもを守るべき大人のと

る行動とはいえないと思う。

 

さらに言えば、『いろんな事情があって、あの人をあの場に立たせとけば丸くおさまるけえ』は

もう最悪の選択だ。

 

まずは、横断旗を持つ人にリテラシーを認識してもらい、行動を改めてもらう。それでも改善が

なされないままなら、補助を付けたり、子どもたちに『赤信号は渡ってはいけません』と直接訴える。

 

最終的には旗を持つ人が変わったほうが良くないかといった議論にも発展するかもしれない。

 

例えて言えばだが、このような感覚で自身を律しながら勘定や感情で決断をしないように心掛けている。

 

しかし、そうしている間に子どもたちに事故が起こらないとも限らない。

さあ、どうしたものか。

 

市民を信じ、市民と共に智慧を働かせ、最大限の改善策を諦めずに実行し続ける。市民の安全を確保することを最優先に行動し、人任せにせず自身の熱いオモイとチカラで市民と団子になって働く。それしかない。これからも感情的でなく情熱的に市政運営にかかわっていきたい。

 

 

 

みなさんは、どう思いますか?

 

 

 

 

以上