おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ…

 探してみろ この世のすべてをそこに置いてきた」※1

ONEPIECEの海賊王ゴール・ド・ロジャーは、次世代の若者を

海に導きます。

 

その後、海賊王ゴール・ド・ロジャーの意志を

継いだ者が現れるのです。

「ロジャーの意志を継ぐ者達がいる様に、

いずれエースの意志を継ぐ者も現れる…。

“血縁”を絶てど、あいつらの炎が消えることはねぇ。―そうやって遠い昔から脈々と受け継がれてきた…!

そして未来…いつの日か、その数百年分の“歴史”を全て背負って、この世界に戦いを挑む者があらわれる…!

 

偉大なヒーローは、その人自身が活躍するとともに、

次の世代に希望を伝えられるのだと思います。

 

少し、昔話。

さて、私の中で、

きちんと、未来を渡してもらったな、

と感じる人のひとりは、祖父です。

 

私は、小さいころ、そこまで裕福ではありませんでした。

大学も自分で新聞配達をして入学しました。

それでも、法科大学院に行くのは学費が超高い、、、

もしかしたら、弁護士になるのは難しいのではないか、

そんなことを考えたこともありました。

そんなとき、法科大学院の入試「も」失敗した私は

いわゆる「ロー浪」(法科大学院に入学するための浪人)

になって実家の群馬に戻りました。

 

その群馬に戻っている一年の間に、

タイミングを計ったように群馬にいた祖父が亡くなりました。

祖父は、掛け金の高い保険をかけてくれていました。

そのお金もあり、私は大学院に入ることが出来ました。

そのとき、私は、祖父から

「きちんと自分の夢をかなえろ」と言われた気がしたんです。

色々な偶然が重なっただけなのかもしれませんが、

祖父お金をの推してくれなかったら、

今、弁護士ができていないかもしれません。

私は、祖父の想いを受け取ったと感じています。

(もちろん、両親はもとより、多くの周囲のひとに助けられましたし、

 祖父からも、ただお金がもらえたからうれしいということではありません)

 

意志を受け継ぐということ

私は、弁護士として

多く想いを受け取って、

多くの人に生かされて、

仕事ができています。

今日は、こういった「受け継ぐ」という話。

 

最近、民事信託、家族信託という本がたくさん出てきましたね。

これは、民事信託の法律が変わって、使い勝手がよくなったからです。

信託というと、投資のようなものと思われますが、それは、商事信託です。

これに対して、民事信託は、家族信託などと言われることもありますが、

自分の財産を「自分の信じた人に託す」制度です。

 

遺言の場合に不都合なこと

そもそも、それってどんなことが出来るの?

とイメージもわかないと思いますので、

今回は、「家督承継信託」とか言われるものを紹介します。

例えば、こんなとき。

自分が受け継いだ先祖代々の土地を持っていたとします。

これを自分の子どもに受け継いでほしい。

さらには、その孫にも受け継いでほしい

受け継いだのは財産ではありますが、

それが意味するのは「大切な意志」と「その家の歴史」です。

自分の財産を受け継いでほしい場合、

今ままで「遺言」を使っていました。

つまり、

自分が死んだら自分の財産を長男に託す、

こんな遺言を作っていました。

 

ところが、

もしも、この財産を受け継いだ長男が、不慮の事故に

見舞われて、子ども(託した人にとっての孫)

がいなかった場合、奥さんに財産が相続されます。

そして、その後、奥さん家族、さらには再婚相手に

その財産が相続されるかもしれません。

つまり、先祖代々の想いはその家系とは、

別の家系に相続される可能性があるのです。

 

遺言の不都合性を解消する方法

こんなとき、民事信託が使えます。

子どもが死んだら、その次は自分の兄弟、

兄弟が死んだら、その次はおじになどと相続先を先々まで

財産を得る人を指定できるのです。

つまり、

ロジャーのように

「おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ…」

と、自らが英雄となって、その財産の相続先を(今より)

自由に決められるのです。

 

もちろん、奥さんに自分の財産を渡すことは大切です。

ただ、代々受け継いでいる土地は、自分だけの土地ではありません。

自分の親や、祖父母、、、などさかのぼることが出来る財産は、

自分が持っているというより、預かりもののように感じられたりします。

そして、それと合わせて受け取っているものは

「想い」なんだと思います。

 

なお、遺言と同じように、民事信託についても

相続人になりえる人の相続分を全く考慮しないことは

出来ない(遺留分減殺請求の可能性)はあると言われています。

 

しかし、今までにできなかったことができる、

自分が受け継いだ意志を自分の大切な人に伝えられる

一つの手段になりうることは、間違いありません。

この手続を通じて、「ご先祖様」から自分が何を受け取っていて、

誰に託したいのかを考えてみるのもいいのではないでしょうか。

 

ロジャーも言っています。

「人には必ず「出番」ってものがあるんだ」※2

まず、自分が存分に幸せになる番。

そのあと、次の世代を冒険に駆り出させる。

私も、そんな「ご先祖様」になりたいですね。

 

※1 尾田栄一郎さん「ONEPIECE」1巻

※2 同上・87巻

夫への家庭内尋問

妻「ねぇ A子さんって 誰?」

夫「え? 知らないよ」

妻「さっき、LINEで連絡来てたわよ」

夫「あ、あぁ 思い出した。会社の後輩の子だよ

  最近、仕事のことをいろいろ聞いてきて 困ってるんだ」

妻「へー 困っている人の名前 忘れちゃうんだ」

夫「いや、付き合いが浅いからさ 仕事でしか会わないし

  名前とか忘れちゃうよね」

妻「さっきのLINEで ご飯ごちそうさまでしたって書いてあったわよ」

夫「たまにはねぎらってやんないと 部下を扱うのは

  俺の役割だからな」

妻「さっき 後輩って言ってたわよ」

夫「後輩って、部下だろ?」

妻「友達が あなたとA子さんが手をつないでいるのをみたってよ」

夫「、、、」

 

さて、往々にして、人は真実のみを語るわけではありません。

上のご主人は、おそらく意図して真実を言っていないと思いますが、

かといって、では、ただちに

ご主人は浮気をしているでしょうか。

 

すれ違う世界という「羅生門問題」

人は真実のみを語るわけではないですが、

人の言葉を信じることがありうるとすれば、

お互いに信頼関係があるときではないでしょうか。

 

この「人の言葉」と「信頼」の関係を考えるにあたって、

かの有名な黒澤明監督の映画「羅生門」※1

が参考になるかもしれません。

有名な映画なので、今更かもしれませんが、こんな話。

ある日、藪の中でお侍さんの死体が発見されます。

その後、一人の盗賊がそのお侍さん殺しの犯人ではないか、

と捕らえられます。

とここまでは、ただの推理ドラマのようです。

しかし、そこから話は急展開。

 

まず、盗賊は「自分が殺した」といいます。

そして、このお侍さんと一緒にいた奥さんも「私が殺しました」といいます。

更には、そのお侍さん自身も「自分で命を絶った」といいます

(殺されたお侍さんの霊が霊媒師を介して降臨しお話をします)

つまり、3人が3人とも

自分がお侍さんを殺した、というのです。

3人とも言っていることが違います。

誰が本当のことを言っているのか、

誰がうそを言っているのか。

 

三人が三人とも違う話をすること自体は、

大した問題ではないかもしれませんが、

「人が言っていることを信じることで初めて、

この世界は成り立っている」という視点を持つと、

より大きな問題が明らかになります。

全ての人の言葉を信じられなくなったら、この世界は、、、

恐ろしいですね。

社会学においては、

両立不可能な事実が乱立することを

「羅生門問題」というらしいです。

 

羅生門問題の解決方法

さて、事実が乱立した場合に、どのような解決方法があるでしょうか。

社会学者の浜先生によると、※2※3

一つは、客観的な事実を模索するとう方法。

映画の中では、「きこり」の存在がこれに当たります。

この人は、実は、一部始終を見ていて客観的な立場の人です。

その客観的な、たった一つだけの事実を見つけて、真実と嘘を区別する。

 

もう一つは、エスノメソドロジー的解決策。

これは、客観的な事実を見つけることに向かわずに、日常生活の

相互のやり取りを通じて解決するという方法です。

つまり、過去の「事実を見つける」のではなく、

未来のやり取りを通じて「意味を作り出す」、ということです。

この解決方法というのは、映画にも出てきます。

それがラストシーンです。

 

映画では、客観的事実を言っていたと思われた「きこり」も

実は、うそをついていたことが分かってしまいます。

そこで、今までの話とは無関係に突然、捨てられた赤ちゃんが登場!!

「きこり」は、お坊さんに対して、「自分で育てる」言い出します。

しかし、うそを言っていたいきこり・信頼関係のないきこりが

「育てる」と話していても、それが嘘である可能性があります。

それでも、映画では、お坊さんが「きこり」に赤ちゃんを預けて

映画は終わります。

 

とにかく信じられる人かはどうか置いておいて

信じる!!そして、その信じるという行為そのものによって、

相手も自分を信じてくれて、収束していくという解決策です。

 

裁判と羅生門問題:2つの解決方法

1 「判決」という客観的事実の模索

さて、両立不可能な事実と言えば、まさに、訴訟ですね。

お互いに言い分が違って、それを裁判所に言いつけます。

 

裁判所の最大の特徴は、「判決」を下せること。

両者の主張を聞いて、最終的な判断ができるという事です。

訴訟が進行して「判決」ということになれば、

第一の解決、つまり客観的事実を探求して

事実を認定するしかありません。

裁判所は、考えていることを聞いて(主張)

それがどれだけ真実たりうるかを資料(証拠)を見ながら吟味します。

 

2 「和解」というエスノメソドロジー的解決

裁判所の機能としては、「判決」が出せるということに加えて、

「紛争を解決する」という機能があります。

つまり、判決でない結論の出し方、つまり、和解がありえます。

これは、エスノメソドロジー的解決をしているとも考えられます。

 

将来に向けて「約束」(和解)をする。

しかし、そもそも相手は自分と違う意見を言っていた人です。

それまでの態様から考えれば、約束を守ると信じられるほどの、

信頼関係が築けていません。

それでも、和解をするというのは、

「そうはいうものの、とにかく信じる」という羅生門のラストシーンに似た

解決策と言えるのではないでしょうか。

 

離婚をする、しないの分水嶺

夫婦の中で、生活をするうえでもちろん、許せないウソや

信頼関係が壊れそうなことはあるかもしれません。

しかし、お互いの前提、生きてる世界が違うのだから。

それでも信頼関係を回復するためには、

逆説的ではありますが、まず、信じる。

お互いの言うことを信じられない「羅生門問題」が生じても

そこから、もう一度「信じる」ことから始めれば、

再び、信頼関係ができて問題は解決し始める、

ということがあり得るのだと思います。。

 

そして、それができないと、心から思えたら

まさに「離婚」ですね。

「相手は信じるに値するか」は関係ありません。

自分が信じるか、どうか。

ひいては、

自分が信じたいか、どうか。

そこを問い直すことこそが、信頼関係を回復する方法だと思います。

 

※1 黒澤明監督「羅生門」

※2 浜日出夫先生「エスノメソドロジーと『羅生門問題』『社会学ジャーナル第20号』筑波大学社会学研究所

※3 山泰幸先生「江戸の思想闘争」(角川選書)p119

「いること」の意味

先日、古くからの友人とお酒を飲みました。

その友人は、高校の友人で、

1年に一度会うか、会わないかの関係です。

回数は少なくても、

私にとって、その友人は、「います」。

 

では、

人がその人を「いる」と感じるのは、

どの程度、かかわっていることをいうのでしょうか。

 

何度も、このブログで書いている数学漫画「はじめアルゴリズム」では

こんな話が出てきます。

主人公の「はじめ君」の飼い猫「ミー太郎」が死んでしまいます。

そこで、はじめ君は、「死ぬ」ことの意味を、数学的に考える。

 

「仮にミー太郎が1としたら

 死ぬって 0になること… そう思ってた

 でもやっぱり違うんだ

 だって僕は こうやって今も

 ミー太郎のことを

 ずっと考えたり

 わかんなくなったり 

 こわくなったり

 悲しくなったりして

 ミー太郎が今も僕を

 動かしてるんだよ!

 だからミー太郎は いなくなったんじゃなくて…

 かたちが変わっただけなんだって

 思ったんだ」※1

 

たとえ近くにいなくても

たまに思い出して、「自分の気持ちを動かす」というのは、

やはり、「いる」っていうことなんです。

それは、

近くにいるか、遠くにいるか、

生きているか、亡くなっているか、

相手が自分を思っているか、思っていないか

を問いません。

心の中に生きる、というのは、

使い古された言い方かもしれませんが、

確かに、自分の中に「いる」。

そう感じることは確かにあります。

 

「いる」か「いないか」は自分で決められる!!

では、逆に、「いなくなる」というのは、

どういうことなのでしょうか。

ワンピースのDr.ヒルルクは言っています。

「人はいつ死ぬと思う?

心臓をピストルで打ち抜かれた時…違う

不治の病に犯された時…違う

猛毒キノコのスープを飲んだ時…違う

人に忘れられた時さ」※2

 

近くにいなくても、生きていなくても、

相手が自分を思っていなくても、

その人によって、自分は動かされることはあります。

他方で、自分がその人を忘れたら、

その人は、自分を動かせません。

 

「いる」か「いないか」というのは、

自分がその人によって動かされるかどうかだと思います。

その人がいるか否か、

言い換えれば、

自分が誰に動かされるかは、自分で決められる、

ということなんだと思います。

 

 

離婚における「いないこと」(別居)とは

それでは、離婚をしたい夫・妻を「いないこと」にするということは

どうしたらいいでしょうか。

通常は、家を出ると「別居」(一緒にはいない)という風に扱われます。

実家に戻る、部屋を借りて出ていくなどもそうですね。

 

応用1:夫・妻が単身赴任の場合

この場合には、単身赴任をされていたら別居が開始できない、

ということとなると、大変です。

答えを言ってしまうと、単身赴任をしていても、

途中で「離婚しよう」など連絡をしたらその時点から、

とされることがあります。

それは、「別居」とは、

夫婦における経済的協力関係の解消と言ったりしますので、

一緒にやっていきたくない、という意思が明確になれば、

それは、「いなくなる」と扱ってよいからです。

 

応用2:家庭内別居

なやましいのが家庭内別居。

これは、同じ家に住んでいても別居ということです。

実は、この家庭内別居、、、

裁判所に認めてもらうのは

かなり難しいです。

家庭内別居を主張するのであれば、可能な限り、

本当に別のところに住んだ方がいいです。

というのも、

口を利かない、

顔も合わせないということは、

夫婦として往々にあること、つまり、

いつでも夫婦はラブラブでいること

を裁判所は前提としておりません。

だから、そういったいわば冷めた夫婦というのは、

普通なんです。それを超えて、出て行ったなどの事情があって

はじめて、夫婦関係の修復可能性がない、と裁判所は判断します。

 

一緒に生活をしていて

嫌だな、顔を合わせないようにしようなどと

想いながらの生活は、やはり自分がその人から影響を受けており

その人と一緒に「いる」ということになりますね。

 

応用3:別居が非難されうる場合

よくネットでみる別居をすると

「悪意の遺棄」「同居義務違反」などと上がっておりますが、

それによって損害賠償が認められることはほとんどありませんので、

安心していただければと思います。

そもそも、嫌な相手と同居しなければならない義務なんて

裁判所は認めないんです。

 

「一緒にいたい」ということ

一緒にいること、いないことは決められます。

でも、だからこそ、一緒にいる人のことを、悪く言ってはいけません。

なぜなら、その人と一緒にいることを決めたのは自分だから。

 

「一緒にいたい人とだけ」いる方法があるとすれば、

それは、きちんと自分で決めること。

自分が一緒にいる人は

「自分が」一緒にいようと決めた人だと思うこと、

ではないでしょうか。

もしも、

一緒にいたくないのに、一緒にいなければならないことがあるならば、

離れるために、LAGOONは、お手伝いをさせて頂きます。

 

 

 

※1 三原和人さん「はじめアルゴリズム」(講談社)p126

※2 尾田栄一郎さん「ONE PIECE」16巻(集英社)p175

弁護士、5月の憂鬱

5月という月は、実は弁護士にとって大切な月です。

なぜなら「司法試験」が実施される月だから。

それは、弁護士にとってのスタートであり、

受験生にとってのゴールだから。

 

私は、小学生の時に弁護士になると決めました。

それから20年弱、、、そのまま、そのころの夢を叶えました。

自分より頭のいい人、試験に強い人、

優秀な人は、たくさんいました。

でも、司法試験に受からなかった人もたくさんいます。

もちろん、司法試験に受かることが大切なことではありませんが。

だから、5月は夢をあきらめる時期という人もでてきます。

 

あきらめるということの意味

道をあきらめるということは勇気がいります。

勇気がいるのは、それまでの時間、思い、周囲の人からの思い、、、

色々なものを背負っているからでしょうか。

バガボンドという漫画に小川家直さんという人が出てきます。※1

このひとは、ずっと、剣術を学んできた、

でも、自分には遠く及ばない才能に出会ってしまった。

だから、自分の剣術をあきらめる、というキャラクターです。

 

小川さんは言います。

「一番になりたい

 小次郎殿と立ち合って 心が折れました。

  それでも続けるなら 私は 

  剣にうそをつかねばならなくなる

  そのような自分をこの先

  剣が愛してくれるとは思いません。」

 

こうして、小川さんは自分の剣を「諦め」ます。

実は、諦めるというのは決してマイナスの意味ではありません。

本来仏教用語である「あきらめる」というのは、

明らかになるということ、

「あきらかにみる」ということを意味します。

自分が何者かを知ること、

できること、できないこと

すべきこと、すべきでないこと

が「明らかにわかる」ということこそが

「あきらめる」ということなのです。

 

 

事件における「満足」と訴額の設定方法

さて、離婚や男女問題について

自分の思いが実現できないこと、「あきらめる」必要が

でくる場合があります。

むしろ、男女問題については、

結論には、常に「あきらめ」をふくんでいる

といえるのかもしれません。

 

 

浮気をされてお金を請求したい

好きな人ができたけど夫(妻)が別れてくれない、

などいろいろな相談を毎日、弁護士は聞いております。

実は、弁護士は、実は、依頼者の要望がどの程度通るか、

どの程度通らないか(あきらめるべきか)、おぼろげながら見えています。

分かりやすいといえば、不貞慰謝料です。

訴えの提起段階で、500万円という金額が判決では出ないことは、

弁護士であればわかります。

通常の不貞であれば、200万円も厳しいことがほとんどです。

多くは、300万円を請求して、

裁判所から判決前に100万円を提案される。

つまりの差額の200万円をあきらめざるを得ないことがあるのです。

 

 

では、判決がその金額になってしまうということを前提に

諦めざるを得ない金額を最初に請求する意味はあるのでしょうか。

つまり、「訴額」(最初に求める金額)は、

どのように決めることがいいでしょうか。

私は、認められるかどうかは別として、

依頼者の望む金額を記載して、

訴えを提起することが多いです。

これは、その金額自体が、相手に対してそれだけのことをやったということを

相手にわかってもらいたい、という思いや、

単純にお金として、それくらいもらいたいという思いが現れています。

 

訴額あれこれ

ちなみに、訴額の設定は実は、訴訟費用の金額に影響があります。

多くの人が誤解しておりますが、

裁判をすること自体にお金はそこまでかかりません。

200万を請求すれば、1万5000円

500万を請求すれば、3万円

1000万なら、5万円です。

これに切手代が6000円かかります。

ちなみに、離婚など金銭評価が難しい場合は160万円を請求するということにして、印紙は、1万3000円です。

これくらいの金額で、裁判はできてしまいます。

高くなるのは、弁護士費用です(笑)

 

未来志向型「裁判」

訴額(最初の金額)がすべて認められない。

でもそれは、自分では人生の一大事と思っていたけど

他人から見ると「このくらいの出来事」と

「あきらかに」なったことを意味します。

これは、気持ちからすれば当然、残念ですが、

当事者であるからこそ、

過剰に大きくなってしまった気持ちを

「あるべき気持ち」まで小さくする。

そうすることで、自分を見つめ直し、新たなスタートが

切れるのではないでしょうか。

先ほどのバガボンドの小川さんは、その後、

聾唖の小次郎の右腕となって、小次郎の才能に仕え、自分の新たな道を見出します。

 

裁判は事後的な解決とよく言われますが、

私は、裁判こそ自分に起こったことを「あきらかにして」

次のスタートを切る未来志向だと思っています。

 

※1井上雄彦さん「バガボンド」30巻

Ⅰ なんのために?

私は、文系だからなのか、対極にある数学者に憧れがあります。

そのため、数学者の映画をよく見ます。

先日、数学者を描いた映画

「イミテーションゲーム」※1が放送されていました。

その映画の中でこんなブラックジョークが出てきます。

 

 

二人の男が森を歩いていると熊に遭遇する。

一人の男は祈り、

もう一人の男性は靴ひもを結びます。

祈っていた男性は言います。

「どんなに靴ひもを縛っても

 熊より速くは走れない」

 そうすると、靴ひもを結んだ男性は言います。

「熊より速く走る必要はない。

 君より速く走れればそれでいい」

このジョークも、示唆していますが、

最終的な「目的」を誤ってはいけません。

それは、結婚も離婚も同じ。

 

Ⅱ 人が結婚をする理由

さて、人はなぜ結婚するのでしょう。

昔は、3高(高学歴、高身長、高収入)

今は、3平(平均的年収・平凡な外見・平穏な性格)

さらに、最近では、

4低(低姿勢、低依存、低リスク、低燃費)とか言われます。

抽象的に、結婚してもよさそうな条件と

目の前にいる人と結婚するかどうかには、

大きな隔たりがあります。

それは、運命か、タイミングか、はたまた、フィーリングか、、、

なかなか答えは難しいです。

 

歴史をさかのぼれば、

そもそも結婚は、当事者同士で決められるもの

ではありませんでした。

本人同士というよりも、家同士の結びつきでもありました。

これによって、結婚の効果は、

「かつては、血統の承継を重視するならば

婚姻の最大の効果は、嫡出性の付与ということになる。

つまり、跡取りを決めることが大きなポイントでした。

他方、妻の子は夫の財産を相続するので、母系から見れば新たな財産への接近が

可能になるとして投資の機会としての結婚などと言われたりします。※2

 

Ⅲ 人が離婚をする理由

他方で、離婚原因はどうだったでしょうか。

現在の民法で定められる離婚原因は、

不貞行為、

悪意の遺棄、

3年以上の生死不明、

強度の精神病

婚姻を継続し難い重大な事由です。

これに対して、

明治民法の離婚原因は、※3

配偶者が重婚をしたとき、

妻が姦通をしたとき(浮気をしたとき)、

夫が姦淫罪によって刑に処せられたとき、

配偶者による同居にたえざる虐待または重大なる侮辱を受けたとき、

悪意の遺棄、

親に対する侮辱、

配偶者の生死が3年以上わからないとき(明治民法813条)

 

見比べてみると、

男女間の考え方などの違いはあれど、

浮気をする、ほっとく、大切にしないなどと基本的には、

同じようなことを言っております。

 

 

Ⅳ 一緒にいる理由がなくなれば別れるか?

つまり、結婚観が変わったとしても、離婚観はあまりかわっていない。

もしも、結婚する理由が変わっても

離婚する理由が同じであれば、

それはどういう意味でしょうか。

じつは、一緒にいる理由と

離れるべき理由は、表裏の関係には「ない」

のではないでしょうか。

 

 

最初に紹介した「イミテーションゲーム」

そこで、主人公の男性は、同性愛者であることを隠して、女性と結婚します。

ところが、戦争に巻き込まれて、自分のせいで女性が逮捕されそうになってしまいます。

そこで、女性を守るため、

主人公は、別れを切りだします。

 

主人公「君に言うべきことがある。私は…同性愛者なんだ」

女  「分かった。」

主人公「つまり…男性が好きだ。女性でなく」

女  「だから?」

主人公「今 言っただろう…」

女  「だから何?ずっとそう思ってた。

私たちは人と違う。私たちなりに愛し合い生きていけばいい 

あなたは完ぺきな夫じゃないし私も完ぺきな妻になる気はないわ 

あなたの帰りを待ってラムなんか焼かない 

…そして 一緒に暮らす心を通わせながら 

普通の結婚よりすばらしい 

あなたが好きなの あなたも私が好き」

 

 

いろんな人がいて、

そんな中で、一人の人を選び、一人の人と生きていく。

そこに、意味を見いだせたら、それは素敵なことだと思います。

一緒にいる意味は

そこに「ある」のではなく、

自分で見つけ、二人で作っていくもの

ではないでしょうか。

最終的な「目的」を誤ってはいけません。

あなたの結婚・離婚の「目的」はなんでしょう。

 

※  1 『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』

(The Imitation Game)は、2014年の映画。監督:モルテン・ティルドゥム。主演:べネディクト・カンバーバッチ

※  2 大村敦志先生「民法読本・親族編」p313

※  3 同上 p・114

まんじゅうこわい

落語に「饅頭怖い」というお話があります。

暇を持て余した人たちが数人集まって、

嫌いなもの、怖いものについて語りあします。

そのなかで、へびが怖い、という人がいました。

カエルが怖い、という人もいました。

アリが怖い、という人も。

その中で、怖いものなんてないと豪語する男が現れます。

みんなを馬鹿にして、罵倒します。

でもその男は、唯一まんじゅうが怖いと言い出します。

そこで、バカにされた者たちが見返してやろうと、

「まんじゅう」をたくさん買ってきて、その男に与えます。

そうすると、

まんじゅうが怖いという男が、

「まんじゅう怖い」といいながら、

まんじゅうを食べ始めます。

 

本当は「まんじゅう」が好きなのに、

「まんじゅう」が怖いといって、

他の人たちをだまして、からかうというお話です。

ちなみに落ちは、

怒った男たちが男をなじり「お前が本当に怖いものは何だ!」と聞くと、

「このへんで、濃いお茶が1杯怖い」。

というものです。

 

離婚における交渉力学

離婚においても

この「まんじゅう怖い」現象が生じます。

つまり、離婚は同意しているけれども、

離婚条件をよくするために「離婚しない」と言ってみたり、

親権はあきらめているのに「親権を主張する」といって、

他の条件をよく、したりします。

 

 

本当はどう思っているのか、離婚条件をよくするためか、

そこについては、正確にはわからないこともありますが、

「交渉の力学」は、わかっていた方がいいかもしれません。

 

交渉のスタート地点(原則)

離婚に関しては、離婚は同意をしない限りは基本的に離婚できません。

あとは、離婚原因があるか、離婚原因を証明できるかによります。

 

例えば、

●浮気されたけど、離婚してもいい

不貞の証拠が確実にあり、離婚したい場合には、強気に離婚を主張できます。つまり、離婚ができて慰謝料もとれると思います。

 

●浮気されたけれど、離婚したくない

これに対して、不貞をされたけれども離婚を望まない場合は、

明確に離婚しないという立場あり得ます(相手からの離婚の請求を、有責配偶者の離婚請求として排斥できます。)

このときに最も交渉ではいい条件を出させることができます。

すなわち、本当に別れたければ、条件を良くしてください(親権をください、お金をたくさんください)といえます。

 

●浮気したけど、別れたくない

これは、謝り倒すしかないですね(笑)

 

●浮気したけど、とにかく別れたい

他方、浮気をしてしまって離婚をしたい方としては、

とにかく離婚をして浮気相手と一緒になりたいと考えるかもしれません

(離婚をしないと、次の結婚はできません)。

ただ、時間をかければ有責配偶者であっても

離婚が認められるようになります。そのため、最終的には

「時間をかけるか」「お金を積むか」という選択

になりかと思います。

 

 

なにも条件については、不貞だけではありません。

客観的に、離婚ができるのかできないのか、

相手が望まない立場をとれる場合(本心では、相手の意向と同じでも)

には、離婚条件を良くしてください、

という交渉がありえます。

 

交渉のポイント

基本的な立場(離婚したい、離婚したくない)を前提に、

離婚原因があるか、ないのか、

あるとしてもどこまで証明できるか。

離婚原因があっても、調停であれば「いやだ、いやだ」といっていれば、

不成立にすることができます。この場合には、離婚訴訟にする必要があります。

時間、お金、タイミング。

ここら辺の要素をくみ取って、

何を大切にするかを考えるといいですね。

 

お金を払ってでも離婚したい人もいるでしょうし、

お金を払うくらいなら離婚しなくてもいい

(どうせ時間が経過すれば離婚できる)。

あとは人の価値観ですね。

そう、「離婚したくない」(饅頭が怖い)といっても、

それが本心であるとは限らないのです。

そのため、自分の望みをかなえるためにも

分かったうえでまんじゅうをあげてしまうのか、

まんじゅうをぜったいにあげない、と決めるか。

 

 

離婚弁護士にとってのまんじゅうを見極める

離婚弁護士は、

法律だけでなく、人の価値観に基づいた

パワーバランスを考えて、手続を進めています。

 

では、弁護士にとって「まんじゅう」とは何でしょうか。

依頼者に同意していなくても同意しているふりをすると着手金がもれます、、

他方、自分が依頼者に同意出来た場合だけ受任する弁護士もいます。

そこは、皆さんが弁護士を見抜かないといけないですね(笑)

二回試験なるもの

この時期になると、そわそわします。

というのは、この時期に「二回試験」と呼ばれる試験があるからです。

この二回試験というのは、

司法試験に受かった人が受ける研修の卒業試験のようなものです。

これに落ちると、裁判官、検事はもちろん、弁護士にはなれません。

つまり、司法試験に受かっても法曹になれない人がいるのです。

 

この二回試験というのは、とてもハードな試験です。

1科目が7時間半にもわたる試験で、それが5科目あります。

朝から夕方まで、答案を書き続ける日が続くのです。

科目は、民事裁判、刑事裁判、検察、民事弁護、刑事弁護

というものがあります。司法試験に受かると、

司法修習生といって、裁判所、検察、弁護士事務所を

すべて回って、自分の適性を判断する期間が与えられるのです。

なお、この試験では、お昼の時間も挟むので、

昼食を持ち込んでよくお昼の時間に適宜、

食べるという方式がとられており、

試験中にご飯を食べてもいい唯一の

国家試験といわれたりしています。(笑)

 

 

問題は一つか?

さて、司法試験と弁護士。

一般的には、

司法試験に受かる=弁護士(裁判官、検察官)になれる、

と思われていますが、そうではありません。

これと同じように、

実は、離婚をする=親権を決めなくてはいけない、

ということについても実は少しだけ違う点がありまるのです。※1

 

 

一方が勝手に出した離婚届と親権

離婚届については一方に無断で出したら無効です。

でもこの届出については追認(まあ、しょうがない、いいか)

することができます。この場合、離婚届は有効になります。

もっとも、離婚届には、

離婚だけでなく親権者の指定もあります。

この場合で、届け出は追認したけど親権の変更を求めた場合には、

親権者の指定のみが無効となります(昭和49年10月22日福岡家庭裁判所審判)。

また、離婚届についてはいいけど

親権者については話し合っていない(協議魅了)だから親権者の指定

は無効(平成8年2月9日大阪家庭裁判所審判)、という判断もあります。

 

 

調停で離婚は合意、親権は合意できず

調停においては、かつては「当事者双方は本日

この調停で離婚を合意した」「未成年者の子の親権者指定については、

本日その合意ができないので後日、当事者間で協議して定める」

という調停が有効に成立する、と扱われていました

(昭和34年10月31日民事甲2426号民事局長回答)。

もっとも、今では、このようなことはほとんどありません。

現在は、親権者の指定について離婚と切り離して父母の同意が

得られなければ審判によって結論を出す、という手続きがあります。

これは、調停手続で合意に至らないとしても、

当事者双方のために衡平に考慮し、一切の事情を考慮して、

職権で、事件の解決のために必要な審判をするということが考えられます。

 

 

離婚訴訟では不可分

離婚訴訟においては離婚と親権が分かれることはありません。

裁判所が親権者の指定を忘れた場合には(脱漏といいます)

追加判決をすべきとされています。

 

 

かなり、マニアックな話をしてしまいました。

上記のようなマニアックなことはせず、大体は、離婚調停で親権についての合意ができなければ、調停を不成立にして、離婚訴訟でやりましょう、ということがほとんどです。

 

第三の解決策を探る方法

さて、不可分一体となっているものについても、

本当にそれが一体のものか、分けられることはないのか、

ということは、離婚訴訟においても、大事なことです。

 

 

先日いった高名な先生の離婚セミナーで、

「オレンジジャムとマーマレード」

という話をしていました。

それはこんな話。

二人の人が一つのオレンジを取り合っています。

でもそれぞれがなぜ、オレンジを欲しいか聞きます。

一人は「ジャムが作りたい」一人は「マーマレードを作りたい」

ジャムはオレンジの中身を使い、マーマレードは皮を使います。

そのためオレンジを中身と皮に分けると、

お互いに納得できる、という話でした。

 

 

自分や相手が求めているものは何か、

それはなぜか、

目の前にある問題は、

本当に一つの問題なのか、

分けられないのか、そんなことを考えると、

新たな解決策があるかもしれません。

 

 

※1 近藤ルミ子先生、西口元先生「離婚をめぐる親権・監護権の実務―裁判官・家裁調査官の視点を踏まえた弁護士実務」67

平行線が交わるところ

さユりさん作詞・作曲の「平行線」という歌があります。

アニメ版「クズの本懐」の主題歌にもなりましたね。

 

「始まらないふたりは どこまでも歩いていくの

 始まらない話だって 軌跡を刻んできたの

 太陽系を抜け出すと平行線は交わる、と

 そんな夢夜の向こうに

 答え すくいあげたなら」※1

と、なかなか恋が始まらない関係を平行線になぞらえてます。多分

 

 

これは、別れる時も同じ。

お互いの離婚条件を一歩もゆずらず、

話は「平行線」のまま、、、ということもあるかも知れません。

 

 

でも、

平行線は、数学的には交わる可能性があるらしいのです。

私の大好きな漫画「はじめアルゴリズム」※2によると、

はじめくん「まず二次元の平行線を作って、、、

       それにZ軸を加えて3次元にして 

       それで交わるかどうか計算してみると」

ウチダ  「3次元では交わる点が見つかるわけだな」

はじめくん「(それを)また2次元に下ろしてみる

       そうすると、 変なんだけど 

       無限の先で交わるんだ」

 

無限の先なんて実際には

「ない」が「役割」として」確かに「ある」んだ

「1」なんて実際には この世のどこにもないが

「1個のリンゴ」は示せるように

 それは 数学的「役割だ」

 

 

何を言っているか、さっぱりわかりませんが、

いいことを言ってる風です。(笑)

(実際に、いっています) 

そうです。平行線は、ちゃんと交わるんです。

解決策が見えない離婚も、解決するんです。

 

親権に関する調査

離婚の条件の中で、特に平行線になるのは、

やはり「親権」ではないでしょうか。

どちらが、親権者としてふさわしいかは、当事者同士の話し合いでは、

およそ「平行線」です。

 

そこで離婚調停においては、家庭裁判所調査官の方が

きちんと調査をしてくれます。

例えばこんなこと。※3

 

 

不倫をした相手に親権は渡せない!!

原則として不貞は親権の判断には

影響は与えません。

もっとも、不貞が子の監護にどのような影響を与えるかは、

この年齢によって異なります。

●乳幼児期には、携帯電話に向かって

 子が泣いているのになかなか対応しないことなどが問題になるでしょう。

●子が小学生になると、監護親の外出が問題となったり、

この前で不貞相手と抱き合ったりすることで子が傷ついたりすることもあります。

●思春期においては親に対する反発など心理的な面の影響がより重要になります。

●他方で、子が不貞相手になついている場合には問題ないと評価することもあります。

そこで、やはり事案に応じた検討が必要です。

 

子どもが洗脳されているのでは?

子は、他者などから得られた情報を自らの考えや

体験であるであるかのように思い込んでしまう傾向があります(被暗示性)。

例えば、子が「パパは不倫して女の人と出て行った」といっても

「誰からお教えてもらったの?」ときくと「ママがそう言ってた」と答えたりします。

この場合には母親の影響を受けていることがわかります。

他にも「パパは嫌い、ママといる」といっても

「パパが嫌いな理由を教えてくれる?」と聞くと、

「パパは彼女のことしか考えていなくて無責任」などと子の

発達段階から考えて不自然な表現をすることがあります。

これにより、他者からの影響がわかるので、それらを排除した形で意向を調査します。

 

子が自分を怖がっていないことを見てほしい!!

暴力の有無が争点となっている場合には、一方が会いたいといい、

他方が会わせたくないといいます。このときは

実際に調査をする場合には、監護親と子との

関係と非監護親と子との関係を比較する場合や、

別居期間の長い非監護親に対して子がどのような反応をするか、

子が拒否的な反応をした場合に、非監護親がどのような態度をとるか見ます。

 

 

おそらく、家庭裁判所は、見慣れないと、

複雑で技術的な側面が多く、わかりにくい運用もあるかもしれません。

しかし、夫婦の間の平行線が交わるように工夫する「役割」を担っています。

そして、その中でも親権などは、家庭裁判所調査官という「役割」を通じて、

夫婦の中に交わる点を見つけ出すのです。

 

 

ちなみに、先に挙げたさユりさんの歌の中に、

「君の苦しみを切り裂ける光になりたい」という歌詞があります。

弁護士という仕事が、こういった光としてであったなら、うれしいです。

 

 

 

※1 さユりさん「平行線」作詞、作曲さユりさん

※2 三原和人さん「はじめアルゴリズム」3巻

※3 近藤ルミ子先生、西口元先生「離婚をめぐる親権・監護権の実務―裁判官・家裁調査官の視点を踏まえた弁護士実務」p182以下

オイディプス王にみる運命

大学時代にテレビを見ていなかった時代に、

ラジオを聞いていたことがありました。

そこで聞いて一番面白かったのは、

「オイディプス王」でした。

 

ある国にライオスという王様がいます。

国が混乱していたために占いをしてもらうと

「子どもができたら王様を殺してお妃様と結婚するだろう」

という神託が出ます。そして、子どもが生まれてしまったので、

ライオスは泣く泣く、別の王国へ養子に出します。

時がたって、その子ども「オイディプス」は、

ひょんなことからその神託を知ってしまいます。

でも、自分の今の親(養子に出された先)が本当の両親と思っていたので、

その国を去って旅に出ます。

旅に出た先で、怪物のせいで困っている国をオイディプスが助けます

その過程で父である王様を殺し、英雄となったオイディプスは

母であるお妃様と結婚をします。

ところが、その困っている国は、本当は自分が生まれた国で、

自分が本当に神託通りの運命をたどってしまったことを知ります、、、

というお話。多分、、、記憶だけで書いてます(笑)

 

とても、悲しいお話ですね。

やはり神のお告げには、あらがえないものなのでしょうか。

 

裁判所に対する不満を言う手続

弁護士にとって、神のお告げに近いぐらい、

強い影響力を持つのは、裁判所の判断です。

不貞慰謝料でさんざん戦った挙句の判決、

婚姻費用で丁々発しやり合った後に出た審判、

このような裁判所の判断は、弁護士としては重く受け止めなくてはなりません。

裁判所は、権利義務に関して最終的な判断ができる、

という組織ですので、判決が届けば、まさに神託かもしません。

 

でも、オイディプス王と違うところがあるとすれば、

その裁判所の判断はおかしいといって、不服を申し立てられる点です。

 

控訴、抗告等の提起

具体的には、判決であれば控訴を提起します。

これは、判決が手元に来てから14日以内に

第一審のその判断をした裁判所に控訴状を提出します。

 

なお、訴訟において、弁護士は判決を聞きに行きません。

これはめんどくさいからいかなーい、ということではなく、

判決を聞きに行って判決を受け取ってしまうと、その日から

控訴期間がカウントされてしまいます。

内容だけであれば、電話で聞けるので二日、三日控訴期間を稼ぐことができます。

 

控訴審、抗告審における判断対象

さて、控訴状には、第一審の判決が間違っていることを指摘します。

そして、控訴審においてはその間違っていると指摘された部分だけが、

審理の対象になります。

例えば、不貞慰謝料で200万を求めたけれども100万しか

認められなかった。この時は、残りの100万円だけが審理の対象になります。

 

控訴理由書の提出

そして、控訴状を提出すると、

50日以内に控訴理由書を提出します。

これは、第一審で間違っている理由を書きます。

だから、控訴期間は2週間ですが、

その理由を考える時間は、意外にたくさんあります。

そのため、不満があれば控訴状をまず出してしまいましょう。

 

基本的には、審判に対する抗告も一緒です。

判決に対する不服が控訴、審判に対する不服が抗告です。

さらに、それに不服があると最高裁判所へ行くことになります。

 

 

ちなみに高等裁判所では三人の裁判官で判断します。

それも高等裁判所に行くくらい優秀な裁判官です。

そこで、さらなる「神託」を受けることになるのです。

 

運命は本当にあらがえないか?

さて、オイディプス王の物語にとって運命はとても悲しいものです。

でも、まったく別の物語で、

「セレンディップの3人の王子」という物語があります。

これは、旅に出た3人の王子が

偶然によって幸運をつかみ取る話です。

このことから、偶然によって幸運をつかみ取ることを

セレンディピティとか言ったりします。

つかみ取ったのは、偶然だけれどもそれが手に入ったということは、

やはり運命と呼べるものなのかもしれません。

 

つまり、運命は決まっているのかもしれませんが、

何が決まっていたかを決めるのは、自分だということです。

運命なんてそんなものだと、私は思います。

 

 

学ぶことの意味

日曜日の夜、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

などと、ミル姉さんみたいな挨拶をしてみました。

さて、私は今日、小林秀雄についての本とか読んじゃったりして、

高尚な日曜日を過ごしていました。

 

「漢籍心を清く洗ひ去て、よく思へば、

天地はただ天地、男女はただ男女、火水はただ火水にて、

おのおのその性質情状はあれども、…しかるゆえのこの断りは、

いともいとも奇霊く微妙なる物にしあれば、

さらに人のよく測知るべききはにあらず」(古事記伝)※1

 

「言葉に惑わされるという私たちの性向は、

ほとんど信じられないほど深いものである。私たちは皆、

物と物の名とを混同しながら育ってきたのだ。物の名を呼べば、

忽ち物は姿を現すと信ずる子供の心は、

そのまま怠惰な大人の心でもある」※1

 

とかブログに書いちゃっておりますが、よくわかりません。

でも、先入観をもってしまって、その人を良く見れなくなってしまう、

ということはよくないな、と感じております。

 

それは、人の価値観をみるときにも、

前提に自分の価値観や、自分の気持ちがあったりすると、

その人の本当に望むものが見れなくなってしまいます。

やはり、弁護士は、依頼者の意向に沿うということが

何より大切です。

そして、その本当の意向をくみ取るというのも、また、

弁護士の技術だったりするんだと思います。

 

 

さて、先入観を持たずに世界を見るというのは、

やはり、簡単なことではありません。

それでも、

「天地はただ天地、男女はただ男女、火水はただ火水にて」

と、そのものをただそのものと捉えるためには、

やはり、いろんな意味での勉強が大切ですね。

 

通常の養育費と特別支出

そこで、養育費の内容としてほかの人と

異なる支出が必要な場合

特別な教育を施そうとする場合には、

どのように養育費に反映されるでしょうか。

 

問題の前提

前提として、(以下※2)

現在の算定表には、公立中学校、公立高校に関する学校教育費に

ついてはすでに考慮されているので、

支払い義務が別途生じるのは、その差額のことになります。

 

私立学校の費用

公立学校の教育費を超える場合には、

義務者が私立学校への進学を承諾した場合や

収入・学歴・地位などから不合理でないということが必要です。※2

大学進学も多くなっているので、

多くの場合、一部は負担ということが多いように思います。

例えば、私立の音楽科に通学していて

バイオリンを専攻している子どものための養育費で、

特別の学費として増額を認めたものもあります

(平成28年3月17日大阪高等裁判所決定)。

 

塾の費用等

当該未成熟子が受験期にあり、学習の必要が高い場合には、

当事者の経済状況等を勘案の上、

社会通念上相当と認められる範囲で義務者に

分担させる余地がある」

 

医(歯)科大学

医歯科大学については、通常より費用が高額であることから、

異なる取り扱いをされる場合があります。

ある事例では、婚姻費用ではなく、

20歳を過ぎた子どもが扶養料請求問う形で請求をしたのですが、

学費は年額483万でこれに家賃として6万3815円

かかっているので払ってほしいという事案において、

それは不相当に高いけれども、親も文系の4大を卒業しているから、

私立文系4年生ぐらいの費用は出しましょう、という裁判例もありました

(平成21年10月21日大阪高等裁判所決定)。

 

 

このように、やはり、世界を正しく見るようになるためにも、

勉強が必要であり、お金が必要になる場面も生じています。

 

いろいろと必要な費用はありますが、

裁判の流れとしては、個別的に収入や、社会状況を見て、

相当といえる分だけ払わせるというのが多いですね。

 

その人になるということ

ジブリの映画「思い出のマーニー」の中で、

主人公がトマトを切るシーンがあります。

そこで、おばさんがトマトを切れるのは、お母さんがちゃんと

教えたから、みたいなシーンがあったかと思います、、、多分。

 

つまり、今の自分を形作っているのは、

親や周りの大人が「こんな人に育ってほしい」と願って

教えて、お金を出して、学ばせた結果なんだと思います。

 

だから、今の自分があるのは、

そういうことも含めて、やはり周りの人おかげですね。

ありがたいです。

 

 

※1適菜収さん「小林秀雄の警告―近代はなぜ暴走したのか?」p52~

※2松本哲泓先生「婚姻費用・養育費の算定―裁判官の視点に見る算定の実務―」p129~