触れられない恋
先週、テレビで「今夜、ロマンス劇場で」を

やっていました。
内容は、映画の中の登場人物であるお転婆なお姫様が、現実世界に飛び出してきて、助監督の青年と恋をするというお話です。
しかし、お姫様には秘密があって
現実世界の人の肌の温もりを感じると消えてしまう、
という切ない設定になっております。

そのため、
お姫様は、恋の相手である助監督に

そっけない態度をとってしまいます。
他方で、

助監督は、お姫様に触れられないことを知らずに

プロポーズします。
二人は、
好きな人に触れて消えてしまうか、
好きな人に触れないでそばにずっと一緒にいるか、
という選択に迫られます。 





「触れる」ということの意味
さて、いわゆるコロナの影響で、人との接触が
悪いことのように感じられてしまう、今日このごろ。
映画を見ながら感じたのは、
「果たして人と人が関係を築くときに
どこまで『触れる』ということが大切か」
言い換えれば、
「人間関係を築く不可欠な要素」はなにかということです。



確かに、

一緒にいられるのであれば触れなくてもよい、 

という結論もあるかもしれませんし、

それこそ、 

全く別の映画「her」※2では、主人公は、

A Iに恋をしていたりします。
しかし、やはり触れられないということは、
現実的には大きな障壁であることは間違いないことでしょう。
遠距離恋愛が難しいのも、物理的な距離と心の距離が
ある種相関関係になってしまう場合も多いからです。




会わない出会い、会わない浮気
弁護士として、浮気の裁判に日々関わっていると、
様々な関係性を目にします。

例えば、その出会い方。
最近よく目にするのは、

いわゆる出会い系アプリを使う出会い方です。
会ったことのない男女が、

アプリ上で知り合い親密なやりとりをしてから
実際に会って、不貞関係になる、、、というものです。
この場合、そのアプリ上のやりとりが残っていれば、反論の余地はありませんが、
アプリから退会してしまうと、

すぐに記録が消えてしまいます。
そのため、証拠を確保することが大切です。
もちろん、現実的に会っていれば、

LINEに移行する場合も多いです。
そのため、訴える側としては、

ここの証拠をおさえることが大切です。

また逆に、アプリで出会い、

真剣にお付き合いをしていた。
でも実は、相手は既婚者であったという事例も

増えています。
アプリの表示では、

未婚にチェックが入っていたのに、、、
というものです。
その際、少なくとも初めて会ったときに

指輪をしていないか、
お付き合いを続けていく中で

相手のお宅に訪問できるか、
などをチェックすることが

いいかもしれません。
奥様と同居をしていれば絶対に

家には入れないですし、
結婚していたとしても

別居をしていれば「婚姻関係破綻」で

戦えるかもしれません。


こういった出会い方に加え、
もう一つ、現代的な不貞があります。
これは、LINEの中だけで、

エッチなやりとりをして満足をする
というものです。
こういったやりとりをする方のなかには、
「性嗜好障害」という診断が出る方もいます。
衝動が抑え切れないけれども、

やりとりをするだけで、
実際に会ったときと同じ満足感を得る

というものです。
第三者が文面を見れば、

二人が実際に会っている様子に読めます。

裁判所では、

こういった診断がありうることは認めつつも、 

不貞はなかった、という認定まではしないことが多いです。
そもそも、された方としては、

そういったやりとり自体でも、
夫婦関係が傷つきますからね。




変わらない「触れる」ことの意味
このように、時代の変化に伴って、
不貞のあり方、訴訟の仕方が変わっていきます。
今は、飲み会もzoomでできる時代です。

それでも、早く人に「会いたい」と思うのは、

私だけでしょうか。
そんな人間としての思いについて
仏教においては「理趣経(りしゅきょう)」というお経があります。
このお経は、空海などが根本的なお経の一つとしましたが、
このお経が火種となって、空海と最澄が喧嘩をした、
といういわく付きのお経です。

このお経のなかで、
「触 清浄の句 是菩提也」という一節が

あります。
司馬遼太郎先生によれば、
「生理的衝動の中に宇宙が動き、
宇宙が動く以上清浄でないはずはなく、
そして、清浄と観じた以上は、菩薩の位である」
ということらしいです。

つまり、人と人が関係を築く上で、
人と人が接触をするということは、宇宙にもつながる
大切なものなのだと。
触れること、触れたいと思うことは、
人が本来持つ欲求であり、本来持っているものを
肯定的に捉えようと、昔の人は、考えたようです。

人が人に触れることは、生きること。
ただし、触れないこともできる。
不可欠ではないけれども不可欠と感じるもの。
そんな曖昧な「触れる」ということの意味を、
このコロナ騒動の中、それぞれが考えてみるのはいかがでしょうか。


※1
『今夜、ロマンス劇場で』2018年2月10日公開。主演・綾瀬はるかさん、坂口健太郎さん。監督武内英樹さん。

※2 『her/世界でひとつの彼女』スパイク・ジョーンズさん監督・脚本による2013年のアメリカ合衆国映画。

※3司馬遼太郎さん「空海の風景」上、中公文庫










伝説のサービスマン

「バカに恵む時間はない」※1

とホリエモンが言っておりました。

タイムイズマネーというのは真っ赤なウソで

タイムイズライフ、時間は人生そのものだ。

だから、他人の時間ではなく、自分の時間を大切に、、

ということだそうです。

 

私も、時間は大切だと、切に思います。

そして、時間が出来たら「漫画を読まなければ!!」と思う今日この頃、、、

最近「バンビーノ!secondo」という漫画

を読み返していました。伝統的なレストランの2号店を、

横浜に出した料理人の漫画です。

 

LAGOONの新店舗たまプラオフィス開所に当たり、

新店舗の苦悩、人と働くということ、サービスとは

など、様々な悩みへの対処を学ぶには、

大変勉強になる漫画でした。

 

この「バンビーノ!secondo」という作品のなかに

「伝説のサービスマン」の話が出てきます。

主人公の伴は、新しいお店を出したばかりで、経営が厳しい折、

「伝説のサービスマン」ヤンさんに助けを求めます。

そう。このヤンさん。ただものではありません。

「気が付く。先を読む。絵が描ける。優れたサービスマンとして必要なものを全て持っていた上に――彼には華があった。

彼のサービスを受けた客は必ずと言っていいほどリピーターとなり、中華のみならず、イタリアン、フレンチと給仕長を務め、そのすべてを、成功させた」※1

 

そんなヤンさんが言っておりました。

人をもてなし、心から楽しませる事が出来る人は

人をもてなすことを心から楽しめる人だけだということです」※2

 

弁護士もやはり、サービス業。

私も、サービスマンとして

人を喜ばせることを喜べるようになれたら、

もっと幸せな人が増えるのにと思います。

 

どう変わった算定表?

この「喜んで出来たらいいのに」と思う行為に、

婚姻費用・養育費が思い浮かびますね(つなげたいだけ(笑))

お金を渡すという行為も、もらう側の心情、状況を理解し

真に喜んで渡すことが出来たら、みんな幸せになるのに。

それが出来ず、

少しでも多くの額をもらいたい、

一円たりとも渡したくない、

18歳までしか払いたくない、

22歳まで払わせたいと、

双方の思惑が交錯する養育費・婚姻費用。

 

 

ということで、今回は、前回に引き続き、

養育費・婚姻費用の新しい算定表=改訂算定表について、解説をします。

前回は、概括的な話をさせて頂きましたので、

今回は、具体的な各論の話。

いくつかの項目はあって、まとまりはないかもしれませんが、

Q&Aでこたえていきます。

 

Q1 成人の年齢が変わったけど、19歳以上の子どもに養育費を払わなくていいの?

→ 成人年齢の引き下げの影響はありません。

あくまで養育費等は、未成年かどうかではなく「未成熟子」かどうかで決められます。そもそも未成熟子とは、経済的に自立しておらず、一般的、社会的に見て子が経済的自立を期待されていない場合をいいます。そのため、18歳で高等教育機関に進学している場合では、まだ経済的自立していなくてもしょうがないよね、と考えるのが通常かと思います。なお、終期が22歳になるかどうか、つまり大学卒業までかどうかは、色々な問題がありますが、20歳までとする考え方が強そうです。

 

Q2 算定表が新しくなったことが「事情の変更」となり増額できる?

→ できません。一度決めた生活費(婚姻費用・養育費)は事情の変更(再婚、退職、収入の増減)があった場合にのみ変更できます。そこで、算定表の発表自体が「事情の変更」に当たるか問題になりますが、新算定表作成チームも、新しい算定表自体が事情の変更になることはないと明言しております。

 

Q3 実際の家庭裁判所で新しい算定表が使われてるの?

 改訂算定表が出る前は金額がどのように調整されるか、不明確でした。また、昔の算定表は発表から徐々に広がっていったこと、日弁連提言の算定表が直ちに使われなかったなどの事情から、どのように受け入れられるか不明なところもありました。

 しかし、今回発表したのは、最高裁判所であり法曹界でいう「お上」の通達となりましたので、一気に使われるようになりましたね。

 今、同意がある場合はともかく、新しい算定表に基づいて手続きを進めています。

 

Q4 日弁連の提言はいずこへ、、、

 日弁連が従前新算定表を公表しておりましたが、今回の改訂算定表の説明に当たっては、この日弁連提言に対する回答をしたり、考え方を一部取り入れたりしておりました。

 つまり、問題意識自体を取り入れて、正式に最高裁として回答を出したということになりましたので、家裁実務自体は、今回の改訂算定表を使っていくのだろうと思います。

 

今回の改訂算定表について、検証はまだこれからだと思います。

もちろん、算定表に拘泥するつもりはありませんが、

きちんと、あるべきところにお金が回り、

不必要に渡しているようであればその支出を抑え、

皆さんが少しでも安心できるように、慎重に検証しようと思います。

 

さて、「バンビーノ!secondo」には、レストランの語源について

こんな話が出てきます。

「restaurant(レストラン)て言葉の意味わかるか?

『Rest and run』休憩して走る。

つまり俺たちレストランマンは、人に活力を与えるために走ってるんだ」※3

 

 

弁護士は、サービス業です。

法的な問題は弁護士に任せて、気分を休めて頂いて、

日常生活を全力で走り切ってもらう

LAGOONは皆さまのレストランになるべく

全力で知識・経験を提供いたします。

 

 

 

※1 堀江貴文さん「時間革命」朝日新聞出版p3

※2 せきやてつじさん「バンビーノ!secondo」第4巻

※3 同上12巻p150

どうしたら幸せになれるか

明けましておめでとうございます。

みなさん、今年はどんな一年になるでしょうか。

 

私の「今年」の一年は、たくさんの依頼者の方が「幸せになりました」。

そして、私自身も、物心共に「幸せになりました」!!

これは、昨年までのことではなく、「今年」のことです。

まだ、今年は一日しか始まっていないのに、、、

と思ったかもしれませんが、これには秘密があります。

 

日本には、古来から「予祝(よしゅく)」という考え方があります。※1

夢を実現させるために、あえて、そのことが「実現する前」に

祝ってしまう。これが予祝です。

例えば、春にするお花見。

これは、実は、春に咲く桜を秋の稲に見立てて、

秋の豊作を、春に「予め(あらかじめ)」祝ってしまう、

というものだったそうです。

 

このように予祝をすると、本当にその願いが叶ってしまう。

実際に、ソフトバンクの孫さんもプロジェクトを立ち上げる際には、

成功した時のことをイメージし先に喜びに浸るそうです。

ほかにも、長嶋監督や、羽生結弦選手なども

成功を強くイメージして、それを実現してきたらしいです。

 

ではなぜ、「予め祝う」と願いが実現するか、

それは、「人は欲しいものを引き寄せるのではなく、

自分と同じものを引き寄せる」から、です。

未来に夢が叶ったときと同じ喜びを

今の時点で感じることで、現在の気持ちが夢が叶った時の気持ちと

同じ周波数になるから、その未来を引き寄せることが出来るのです。

つまり、「いい気分」は「いい未来」を引き寄せるのです。※2

 

そもそも、算定表って何?

だいぶ、スピリチュアルになってしまいましたが、

現在置かれている状況が、未来の生活を形作る、という発想は、

養育費、婚姻費用を決める際の算定表にも込められている想いです(たぶん)

なぜなら、算定法は、「現在」の収入をもとに、

別居解消または離婚までという「未来」の時点までにかかる経費

の負担を考えるものだからです。

 

算定表を見れば養育費・婚姻費用の額が決められますが、

その表の背後には、

子どもは、どんな学校に行くのかな、

子どもは、どんな洋服を着るのかな、

お小遣いはいくらあげようかな、

という将来の生活にかかる費用が統計上加味されて、

決められているのです。

 

さて、昨年12月23日に、サンタさんならぬ最高裁から、

「改訂算定表」というクリスマスプレゼントがありました(算定表はこちら

新しい算定表が結局、今までのものと何が、どう変わったのか、

簡単に解説してみます。

 

そもそも、夫婦は、他方の夫・妻に対して自分の生活と同じぐらいの生活が

できるようにする義務があります。これは、具体的には、給料をもらった方が、

他方に対して生活費をきちんと渡す必要があるということです

(もちろん、お金を渡すだけが義務の内容ではありませんが)

離婚をしたり、別居をしたりして、

別々に生活をする際でも、これは変わりません。

 

払う必要があるのはわかったけれど、

じゃあ、実際生活費としていくら払えばいいの?

という質問に答えるのは、超大変でした、、、

そこで、もっとぱっとわかるようにしたい、という思いから

平成15年に算定表というのが出来ました。

その後、15年ほど運用されてきましたが、

民法も成人になる年齢が18歳になったし、

今の状況に対応した額を考え直した方がいいんじゃない?

ということで、新しい算定表ができたのです。

 

新しい算定表って何が変わったの?

算定表については、色々と複雑な計算があり、

その基礎には膨大な統計があります。ただ、算定表がやろうとしていることは、

1 生活費を払う方、貰う方の収入を確認する。

2 子どもにかかる費用を確認する。

3 1・2を前提に、払う額を決める です。

これをすることで、生活費を払う方が子どもと一緒に住んでいたら、

どのくらいのお金を子どもに払っていたか、というフィクションを

前提に金額を決めます。

 

まず、「1 収入を確認する」

収入といっても、もらう額の全額をそのまま当てはめると

いうことではありません。

なぜなら、子どもにお金を使うとしても

まず、生活自体を成り立たせる前提となるお金があるため、

もらう金額の全額を子どもに使えるわけではないからです。

具体的には、額面から

公租公課(所得税、住民税、健康保険料など)を引いて

職業費(交通費、通信費、身だしなみを整える費用など)を引いて

特別経費(住居費、保険料など)を引きます。

これは、このぐらいの収入の人は、この項目に

このくらいのお金を使っている、という統計を基礎にして

調整してあります 。

 

そして、「2 子どもにかかる費用」を確認します。

これは、学校にかかる費用や、子どもの食費、被服費などが計算されます。

これは、大人を100としたときに、

0歳から14歳までは62(以前は55)、

15歳以上は85(以前は90)として計算されます。※3

 

3 これらを前提に、生活費を払う方、もらう方で負担割合を決めます。

 

それで結局どうなったの?

以上を前提に、旧算定表と改訂算定表についての違いをざっくりいうと、

1万円から2万円ほどの増額傾向。

ただし、幼い子どものための

養育費等の方が少しだけ増額の額は大きい、

ぐらいのイメージです。

これは、基本的に15年前の統計に比べて、税金や特別経費などが増加したことが挙げられます。

また、以前と比べて0歳から14歳までの生活費が増加したということが原因です。※3

以前にもまして、14歳までの子どもによりお金が使われるようになったという社会変化自体は、喜ばしいかもしれませんね。

 

以上を前提に、

民法で成人年齢が引き下げられたことや、算定表が変わったこと自体が

養育費・婚姻費用の増額事由になるか、ということは次回のブログで書きたいと思いますので、是非ともお楽しみに!!

 

LAGOONの新たな一歩

離婚弁護士としては、23日の発表でやきもきしておりましたが、

もう一つやきもきしていることがありました。

それはLAGOONの新店舗、たまプラーザオフィスです。

(ホームページはこちらです)

私、齋藤が所長になってます(笑)

 

さて、この新店舗開店に伴い、LAGOONでも

大いに「予祝」をしました。

新店舗ができることで、より多くの人に喜んでもらえた。

LAGOONのリーガルサービスが広がった。

と「予」め「祝」いました。

 

LAGOONの弁護士、事務員さんも含めて、

一人でも多くの人に勇気を与えられるように、

オフィスを開きました。それは、

弁護士という立場から困っている人に

一方的な価値観を押し付けたいわけではなく、

弁護士として、困っている人に再び笑ってもらいたいという

「覚悟」をもって、良質なサービスをする

ということです。

 

日々研鑽をして、どの弁護士にも負けない知識をつけ、

皆さまの体験した「事実」から悲しさという「評価」を拭いさり

これから訪れる「幸せ」を一緒に考える。

そんなことが出来たらと思っております。

皆さまの今年一年が、素晴らしい年になりますように、

予め、祝っておきます

 

 

※1 ひすいこうたろうさん・大嶋啓介さん「予祝のススメ 前祝いの法則」フォレスト出版・p3

※2 同上・p54、55

※3 司法研修所編「養育費、婚姻費用の算定に関する実証的研究」(法曹界)p2

※4 同上・p46

私のとある休日

先日の連休には、謎解きに挑戦したり、地上波でやっていた

「ダークナイト」という映画を見たり、してゆっくりしてみました。

今回は、私の休日イベントをもとにブログを書いてみました。(笑)

 

私も初めて、参加したのですが、

横浜そごうでは、不思議の国のアリス※1を題材にした

展示会と合わせて謎解きが開催されておりました(休日イベント①)

不思議の国のアリスといえば、

せかせかとしたウサギを追っかけて行ったアリスが、

小さくなったり、大きくなったりして、

トランプ兵と女王と戦う、物語です

(これだけだとまったく物語が分かりませんね(笑))

 

さて、実は、調べてみると

この不思議の国のアリスにちなんで

「不思議の国のアリス症候群」という病気があるんだそうです。

これは、物が通常よりも大きく見えたり、小さく見えてしまったり

するという症状で、

例えば、虫が大きく見えたり、

人が小さく見えたりしてしまうそうです。

 

すれ違いが起こる原因

実は、離婚の決意を固めていく過程というのは、

不思議の国のアリス症候群のような状態こそ、普通のこととも言えます。

つまり、客観的な大きさではなく、

ある事柄や出来事がその人の中で大きくなったり、

小さくなったりして、すれ違いが生じていきます。

それは、正しいとか間違っているとかではなく、

まさにその人が「そう感じている」ということから、

すれ違っていくのだと思います。

 

そして、このすれ違いもある程度、

客観的な資料と併せ考えれば、

想像ができるものが多いです。

例えば、殴られてけがをすれば、つらかったなということは想像できます。

 

モラハラを裁判所で説明をするための方法

他方で、すれ違いが周りから見えにくい状態もあります。

その最たるものが、「モラハラ」です。

長年にわたって、蓄積された記憶がモラハラを受けた本人にとっては、

山のように大きいにもかかわらず、

本人以外の人には、なかなかその人にとっての大きさを

認識することが難しいのです。

 

特に訴訟の場で説明がしにくい理由は、

①  本当にひどいことを言われたか、

されたかということが立証しにくい、

②  言われたこと、されたことがどれだけその人を傷つけたが他の人からは、わかりにくい

点にあると思います。

 

それでは、どのようにモラハラをわかってもらえるでしょうか。

①  についていえば、記録です。

具体的に、生命・身体を害するような言葉、

例えば、殺すぞ、などであれば、警察を呼ぶべきです。

そして、警察に相談をすれば、警察はその記録を必ず残します。

他には日記や、こんなことを言われたと友人に相談したメールを

残しておくのもいいでしょう。

 

②  についても、記録です。

頻度や、回数などを正確に記録しておくことで、

それがどれだけ負担になっているか、ということが分かります。

また、場合によっては心療内科などに行って診断書をとっておきましょう。

そして、診断書に「相手からのモラハラなどにより」という文言を入れてもらえれば、なお、いいです。

 

 

とはいっても、①と②を解決したところで、

実は、モラハラを理由に

決定的に離婚ができる、

とは言えない可能性が高いです。

なぜなら、あくまで日本の法律は、

「破綻主義」という考え方に基づいており、

もうこれ以上、二人は一緒にいられない、というところまで、

説明できないと離婚できないからです。

 

モラハラへの最良の対処法

そのため、モラハラの場合には、

何より、別居をお勧めしています。

別居をしていれば、破綻主義が認められやすいということ

そして、何より心の負担が減るからです。

一緒に暮らしていると、どうしても

相手の一挙手一投足に注意がいってしまいます。

そして、ほんとにモラハラをする人は、

パーソナリティ障害などの要因を持っている場合も多いのです。

そして、別居をすると何をされるかわからない、という点も

別の方法が十分にあります。

 

(もちろん、モラハラをする人がみんなというわけでもないですし、

パーソナリティ障害を持つ方がモラハラをするわけでもないですし、

他方で、何でもかんでもモラハラだと主張して相手を責める人はいますが、、、)

 

「ダークナイト」※2に出てくる悪役ジョーカーも言っておりました。

(ここで突然、休日イベント②です。(笑))

「俺はお前を殺したくなんかない。お前がいなくてどうする?

…嫌だ、嫌だね。お前が、俺を完璧なものにするんだ。

お前が欠けたら生きていけない」

ジョーカーという悪役は、バッドマンの敵役でありながら、

バッドマンを殺しません。

なぜなら、相手を殺してしまうと、自分が成り立たないから。

 

 

これは、まさに、DVをする人やモラハラをする人の特徴でもあります。

だからこそ、こういった場合には、

なにより、逃げてしまう必要があるのです。

逃げるというと、あまりよくない響きかもしれませんが、

何より自分や、子ども、自分たちの未来を守るためでもあるのです。

 

こういった場合において、

モラハラをする人が悪いということを決めることに

大きな意味はありません。

そもそも、そのような結論をとらなくても、

一人一人の価値は、失われないからです。

 

 

ダークナイトの最後のセリフにこんな言葉があります。

「真実がいつも最善とは限らない。

 もっと大事なものもある。

 信じたことが報われる。時にはそれが大切だ」

 

そう。相手が悪いという真実を公にすることが最善ではないのです。

つまり、一生懸命裁判に備えて、記録をとろう、記録をとるために、

相手から何かをされるまで一緒に生活をしなくちゃ、

と考える必要はないのです。

一緒にいたくない、と思ったあなた自身のお気持ちを何より、

大事にしてください。

そこで、大切だと思えた自分が助かったとき、

自分を信じて、新たな生活がスタートできるのだと思います。

 

我慢をしないで、

自分の気持ちを大切にして、

何かあれば、いつでも、周りに助けを求めてください。

助けを求められないと、あなたの苦しみの大きさが

周りにはわからないかもしれません。

 

LAGOONはいつでも、ご相談お待ちしております。

 

※1 「不思議の国のアリス」ルイス・キャロルさん著

    (英: Alice's Adventures in Wonderland)1865年刊。

※2 「ダークナイト」(原題: The Dark Knight)は、2008年のアメリカ・イギリス。

   クリストファー・ノーランさん監督、クリスチャン・ベールさん主演。

水に見る法の答え

一昨日は、すごい台風が来ておりました。皆様は、大丈夫でしたでしょうか。

水は、時に柔らかく、時に残酷です。

水は身近な存在ではありますが、

海や、嵐など、人間を飲み込むような大きな自然の力として

その大きな力を見せつけられます。

 

ちなみに、水は「公平の象徴」でもあります。

そういったこともあってか、

「法」という漢字には、水を表す「さんずい」が含まれています。

もともとは、公平を表す「さんずい」と、

神獣「カイチ」を示す象形文字の組み合わせだったようです。

そこで、

「水はいわゆる公平の象徴でもある。

公平に神獣の神秘的な直感で正邪を判別して、

その邪をさるのが法である」※1らしいのです。

引用がインテリっぽくていいですね。素敵なお話ですね。

 

 

財産分与における公平とは

さて、「法」という漢字は、法律は公平であることを示している、

と言われてしまいますと、実際はどうなのかと、自問してしまいます。

離婚をすると経済的に一方だけが困窮する、

離婚をすると一方だけが子どもと会えなくなる、という状況が多くある中で、

離婚における「公平」とは何なのか。

手続の中で一番「公平」ということが端的にわかりやすいのは、

財産分与ではないでしょうか。

なぜなら、数字で偏りがないかをチェック出来るからです。

 

財産分与は、何度かブログ(2分の1ルールについてはこちら)に書きましたが、

中心的な考えは、二人でためた財産は、二人で分けるということです。

もちろん、財産分与には慰謝料的要素、扶養的要素があると指摘されますが、

実務上は、清算的要素に重きが置かれています※2

そこで、二人でためた財産を二人で分けるとは、

具体的に何をするのでしょうか。

 

1 それぞれの財産を開示する。

まずは、分けるにしろ分けないにしろ、どんな財産があるかを

確定させます。不動産、預貯金、車、保険、株式、、、

自身の名義でないと見せられない財産も有るのできちんと見せましょう。

 

2 二人でためた財産とそうでないものを分ける

ステップ1で見せた財産の中で「二人でためた」と言えない財産を

除外します。二人でためたと言えない財産といえば、

例えば

不動産を買うときに両親からもらった頭金

相続などでもらった相続財産

結婚前、あるいは別居後にたまった財産

こういったものを除外して、二人でためた財産の総額を決めます。

 

3 二人でためた財産を分ける割合を決める

財産を分けるにあたってそれぞれがどれほど貢献したかを決めます。

もちろん、基本は2分の1です(一方が専業主婦(夫)でも)

ただし、特殊な才能を持って築いた財産、超有能なトレーダーや敏腕会社経営者などは、割合が変わることもあります。

また、浪費をしたり、家事をしなかったりで貢献度という指標によって

変えることもあります。

 

4 財産の帰属を決める

これは、必ずではありませんが、最終的に二人で分けるにしても

不動産や、車などは真っ二つに切れません(できることもありますが)

その場合には、どちらが最終的に取得するかを決めます。

このとき、財産分与とは別に、代償金によって調整します。

つまり、財産は二人できれいに分けるけれども

分けた後の財産を一方がお金を出して、買い取る形にして、

一人の所有を実現させます。

 

5 支払い方法を検討し、支払う

これまでのステップを踏まえて実際に、お金を払ったり、名義を変えます。

中には退職金などまだもらっていないものも含まれているかもしれないので、

支払い条件、支払い時期も決めます。

 

 

ステップとしては、以上のような感じです。

裁判所では、財産分与一覧表というのを使って、整理していきます。

これは、

自分が主張する自分の財産・相手の財産、

相手方主張する自分の財産・相手の財産という4つの枠

を使って整理していきます。

一つの財産でも、例えば、車についても自分は50万円の価値だと思うけど

相手は、100万円という場合もあるのです。

これを自分と相手の両方をやるから2人×2通りの考え=4つの枠というわけです。

裁判所の書式はこちら

 

 

一つを二つに分けることの意味とは

財産分与の出発点は、それぞれの名義によって整理を始めます。

そして、往々にして、自分の名義の物は、自分の財産だと思いがちです。

「自分でもらった給料は自分の物」

「不動産は、俺の名義だからローンが組めた」

ということになりがちです。

儒教では、

「我あるが故に敵あり。我なければ敵なし。

 敵というはもと対峙の名なり」といいます。

つまり、自分の物だと言えば言うほど、敵が生まれます。

これは、財産分与でもいえることで、

「自分の財産」を明確にすればするほど、

敵を作り、敵の財産を際立たせます。

 

しかし、

結婚をしているときの財産は、結局は二人の物。

なぜなら、二人で協力してその財産を築けたのだから。

そのように、裁判所は考えます。

先ほどの儒教でも同じことを言っています。

「我が心に象なければ対するものなし。

対するものなき時は角(きそ)うものなし。

これを敵もなく我もなしという(主一無適)。※3

自分の財産と相手の財産は、一つ。

自分も相手も同じものという境地なのです。多分。

 

さらに言ってしまえば、

これは、財産分与だけの話ではありません。

離婚をするとなれば、当然、相手を悪者にして

「自分」の言い分を主張し、相手を「敵」にしがちですが、

その「敵」を作っているのは、自分であるということがあり得るのです。

「対するものなき時は角(きそ)うものなし」なのです。

 

離婚は、敵と戦う必要はありません。

自分が納得するか、しないかということが大切です。

財産分与を一円でも多くもらう。

相手に謝罪させる

などなど目的は様々ですかもしれませんが、自分はどうなったら

納得できるかを考える必要があります。

 

ここで、実は、敵を作り敵を倒すことだけを目的にすると、

倒したあとに残るものが何もなかったりします。

だからこそ、

今後の生活のため、

子どものために、

離婚が成立した後に何が残るか

を一緒に考えていきましょう。

 

 

私も偉そうに、そして簡単に書いておりますが、

実際には、難しいことです。

それでも、

悩んでいる人と一緒に戦う弁護士としては、

相手を責めることを戦いの目的にするのではなく、

ただ、離婚の後に自分が幸せになることを目的に離婚をしてほしいと

と切に思ったりします。

 

相手を恨み続けることで、自分の未来を暗くしないよう、

今までのことを「水」に流して、幸せになれるよう祈っております。

 

 

※1 安岡正篤さん「禅と陽明学」上・プレジデント社・p213

※2 法と家庭の裁判№10、「離婚訴訟における財産分与心理・判断の在り方について(提言)p9

※3 安岡正篤さん「禅と陽明学」上・プレジデント社・p198

「人形」を「人間」にすること

黒子というと

通常、黒い衣装をまとっていますが、

文楽という伝統芸能においては、

人形を遣っている人は、顔を出すそうです。

そして、達人の人形遣いさんが人形を動かすと、

人形だけが目に入って、人形遣いさんは、存在を消すことが出来る。

ただの「人形」が「人間」になるんです。

もちろん、その域に達するまでには、

相当の修業が必要です。

未熟な人が人形を動かすと、あまりうまく動かない。

 

 

勘十郎さんという達人の方は、

お師匠さんから、

「身体を殺せ、身体を殺さんと、

人形はええかっこでけへんで」

とよく言われたそうです。※1

自分の身体に合わせて遣っていてはだめで、

自分の身体を人形に合わせる、

人形を中心に動かないといけない、

ということらしいです。

 

人形の中身は空洞のようで、

「虚の中心」にみんなの意識を同調させて、

「人形」を生きている「人間」にする。

この文化の深遠さを伝えきるのは、難しいですが、

このような深遠さは、実は、信託似ているなと

想ったりします。

 

民事信託という「人形」

民事信託は、中身は空洞のようなもので、

人々のいろいろな想いを入れることが出来て、

色々な形に変えることが出来ます。

 

民事信託というのは、自分の財産を「信じて託す」制度です。

そもそも「信じて託す」とはどういうことか。

 

まず、その前提として、

人が財産を持っているということは、

どういうことかを確認する必要があります。

例えば、財産を持つことの代表的なものは、

「所有権がある」ということです。

それは、自分で使ったり(使用)、人に貸して賃料をとったり(収益)、

売却をして利益を得たり(処分)ができるということです。

 

ただこの所有権。

万能であるからこそ、

他の人には、どうしようもできないという側面があります。

つまり、持ち主の指示が絶対であるからこそ、

周りの人が、勝手に使ったり、

貸したり、売ったりはできないのです。

この前提があるからこそ、

相続をするとき、

歳をとって判断が出来なくなったときに、

問題が生じるのです。

持ち主の指示が必要だけれども、

その主人がいない、、、判断できない、、、

 

そんなときのために、信託があります。

民事信託は、持ち主が財産の動かし方

(自分のどの財産を、誰にどのように使わせ、

 誰に売却をさせるか、誰が代金を得るかなど)

を自由に設計できるという制度なんです。

つまり、どのようにも動かせるという意味で、

中が空洞の「人形」と同じなのです。

 

 

人形を動かす人(民事信託の登場人物とその効果)

空っぽの人形を動かす主要な登場人物は、3人。

委託者、受託者、受益者です。

基本的には、この3人で信託という人形を動かします。

 

まず、信じて託そうと考えた人=財産を持っている人(委託者)がいます。

これに対して、この委託者が「信頼して託す人」を受託者といいます。

さらに、その財産によって、利益を得る人を受益者といいます。

 

突然、利益を得る人という人が出てきましたが、

これは、委託者にすることも多いです。

つまり、持ち家を考えれば、自分(委託者)の持ち家の

管理を息子(受託者)に託すけれども、家で生活をするという利益は自分で

使う(受益者)ということです。

 

この組み合わせを設計することで、いろんなことが出来ます。

そして、この受益者をいろいろ、指定することで、

先に例に挙げた家督承継のようなものも可能になります。

 

さらに、受託者に多くの財産を託せば、

老後の医療サービス、介護、などの費用が多額になっても安心です。

その原資は自分の家を処分させてもいいし、

自分の通帳口座を使わせてもいい。

 

 

「人間になれる人形」

人形は、周りの人に動かされます。

周りの人が達人になると、「人形」は「人間」(のように)

になれるのです。

きっと、民事信託は「人間になれる人形」です。

 

民事信託をすると、

その対象となった財産は、

託した人の物でも、

託された人の物でも、

利益を受ける人の物

でもなくなります。

法的に宙に浮いたようなその目的を

達成するための財産となるのです。

つまり、その目的をどんな風にも設計できるという意味で、

中身が空っぽの人形なんです。

 

この自由な「人形」を使って

自分のこれからや、

どうすれば自分の親、子どもがより

幸せになるかという「人形」劇を作ってみるのはいかがでしょうか。

 

※1 内田樹さん「日本の身体」(新潮社p59~

老いること

「お父さんは 後退してらっしゃるのではないですか?」

私の好きな漫画「天才柳沢教授の生活」※1にこんなシーンがあります。

 

90歳になったお父さん(シェイクスピアの研究をする学者)と

一緒に金沢へ旅行に行った柳沢教授は、

お父さんと口論になり、言ってしまいます。

「お父さんは 後退してらっしゃるのではないですか?」

その発言がお父さんを傷つけてしまったと後悔した柳沢教授は、

その夜、お父さんに謝ります。

柳沢教授「昼間は申し訳ありませんでした。」

父      「申し訳?なんのことだかさっぱりわからん」

柳沢教授「覚えていませんか?」

父      「…覚えとらんな」

柳沢教授「そうですか…」

父      「忘れるのも悪くない」

柳沢教授「え?」

父      「「え?」? 今私は何か言ったんだな 忘れた…

        わしは 惚けているのか

        わしは…それでいいと思っている

        忘れるのも悪くない

        年齢を重ねるにつれシェイクスピアの舞台のセリフが一言一言…

        体中に染み入ってくる

        『For they say an old man is twice a child

             (老人は子供に帰るというからな)』 

       子供だよ

        これからまた子供だ

      ワクワクしないか

柳沢教授「そこにいたのは、「人間」に感動することを私に教えた父だった」

 

 

確かに、老いることでたくさんのものを失ってしまいます。

周りの人から見た時の切なさや、大変さもあります。

何よりも、日々の生活の行動一つ一つに注意が必要であり、

手助けが必要になってしまいます。

 

 

 

大人が子どもに戻るとき

そういった日々の手助けの大変さが

樋口了一さんの「手紙」※2という歌には登場します。

これは、歳をとった「私」を介護する「あなた」に対して、

「あなた」が子どもだった時を重ね合わせて、描かれています。

そのため、この歌の中には、大変さと同時に、

「そのとき」にしか感じられない大切な「想い」も描かれるのです。

 

「あなたと話すとき 同じ話を何度も何度も繰り返しても

その結末をどうか さえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は

いつも同じでも私の心に平和にしてくれた

 

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえできなくなるかもしれない

 足も衰えて立ち上がることすらできなくなったなら

 あなたがか弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように

 よろめく私にどうかあなたの手を握らせてほしい

 

 私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないでほしい

 あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらいことだけど

 

 あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと

 あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔でこたえたい

 私の子どもたちへ」

 

こうして、周りの人の力をかりて「大人」なった自分は、

周りの人の力を借りて「子供」にもどっていくのかもしれません。

 

 

 

今までの任意後見制度

そして、子どものように、大人と同じ判断能力がない状態に

戻ってしまった場合に備えて、今までは「後見制度」というものが

使われていました。これは、その人の「後」ろに立って「見」るように

その人をサポートする制度です。

 

しかし、この制度だけでは不十分な点がありました。

例えば、家を持っていたとして

万が一の時に現金化して、老人ホームへの費用としたいと

考えていたとします。

本当にその人が判断能力を失たっときには、

なかなか売却ができませんでした(裁判所が許可をしませんでした)

なぜなら、大きな財産の処分することは、その人の損害になりうるからです。

でも、大きな財産だからこそ、現金化して

大きなサービスを受けることもできます。

この選択が今までは、大変難しかったのです。

 

その人を守るというのは、どういうことなのでしょうか。

 

 

 

老後に安心な信託を

そこで「信託」が注目されています。

その人自身で、自分がしたいことを実現できるような

形を作っておく。あとから、「その人のためとは何か」に迷わないように。

これは、判断能力がある段階で、不動産も預貯金も

決めた額を「信じて託」してしまいます。

このとき、信託をすると「所有権」は、形式的に

託された人に移ります。

 

そのため、託した財産が不動産でも、

売却できるのです。その時点では、託した人の物ではないから。

(もちろん、勝手に売却されないようにきっちりと監督はできます)

そして、その金額を老人ホームなど大きなサービスを

得ることが出来るのです。

 

老人ホームに入ることがすべてではもちろんありませんが、

後見よりも柔軟にお金にかえることが出来ます。

 

 

 

子供に戻った「その先」

柳沢教授のお父さんは、「これからまた子供だ ワクワクしないか」

と言っていますが、この言葉を導いたのはシェイクスピアです。

柳沢教授のお父さんは、シェイクスピアの研究をする学者さんでした。

そして、ずっとシェイクスピアを研究して、研究して、

色々なことを忘れても、なおシェイクスピアの言葉を思い出すのです。

 

確かに、大人になって子どもに戻るということは、

今までできたことが出来なくなることかもしれません。

 

でも、実は、子供になった「その先」があるのかもしれません。

もちろん、体が衰えたり、出来なくなることが増えますが、

「子供に戻った」からこそできることがあるのです。

例えば、それは、自由になること。

これを述べているのは、例えば、世阿弥です。

世阿弥は、「風姿花伝」※2の中で

「能は、枝葉も少なく、老木(おいき)になるまで、

花は散らで残りしなり」

と言っています。

つまり、花は、決して散らないで残るのです

そして、

「上手なればとて

 何のため非風をなすぞ成れば

これは上手の故実なり」

といいいます。つまり、若いころにはやってはいけない

とされていることをやってもいいといいます。

それは、歳をとった役者にのみ許された「自由」なのです。

 

このように、きちんと、積み上げてきた人には、

やはり、その歳になるからこそ、見ることができる景色があります。

 

そんな花を咲かせるためにも、

その歳になる前に、きちんと準備をして、

自分の財産、自分の想いを「信じて託す」のはいかがでしょうか。

 

※1 山下和美さん「天才柳沢教授の生活」29巻「まだまだ子供だ」p79

※2 樋口了一さん「手紙」作詞:不詳、作曲:樋口了一さん

※3 世阿弥さん「風姿花伝」

おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ…

 探してみろ この世のすべてをそこに置いてきた」※1

ONEPIECEの海賊王ゴール・ド・ロジャーは、次世代の若者を

海に導きます。

 

その後、海賊王ゴール・ド・ロジャーの意志を

継いだ者が現れるのです。

「ロジャーの意志を継ぐ者達がいる様に、

いずれエースの意志を継ぐ者も現れる…。

“血縁”を絶てど、あいつらの炎が消えることはねぇ。―そうやって遠い昔から脈々と受け継がれてきた…!

そして未来…いつの日か、その数百年分の“歴史”を全て背負って、この世界に戦いを挑む者があらわれる…!

 

偉大なヒーローは、その人自身が活躍するとともに、

次の世代に希望を伝えられるのだと思います。

 

少し、昔話。

さて、私の中で、

きちんと、未来を渡してもらったな、

と感じる人のひとりは、祖父です。

 

私は、小さいころ、そこまで裕福ではありませんでした。

大学も自分で新聞配達をして入学しました。

それでも、法科大学院に行くのは学費が超高い、、、

もしかしたら、弁護士になるのは難しいのではないか、

そんなことを考えたこともありました。

そんなとき、法科大学院の入試「も」失敗した私は

いわゆる「ロー浪」(法科大学院に入学するための浪人)

になって実家の群馬に戻りました。

 

その群馬に戻っている一年の間に、

タイミングを計ったように群馬にいた祖父が亡くなりました。

祖父は、掛け金の高い保険をかけてくれていました。

そのお金もあり、私は大学院に入ることが出来ました。

そのとき、私は、祖父から

「きちんと自分の夢をかなえろ」と言われた気がしたんです。

色々な偶然が重なっただけなのかもしれませんが、

祖父お金をの推してくれなかったら、

今、弁護士ができていないかもしれません。

私は、祖父の想いを受け取ったと感じています。

(もちろん、両親はもとより、多くの周囲のひとに助けられましたし、

 祖父からも、ただお金がもらえたからうれしいということではありません)

 

意志を受け継ぐということ

私は、弁護士として

多く想いを受け取って、

多くの人に生かされて、

仕事ができています。

今日は、こういった「受け継ぐ」という話。

 

最近、民事信託、家族信託という本がたくさん出てきましたね。

これは、民事信託の法律が変わって、使い勝手がよくなったからです。

信託というと、投資のようなものと思われますが、それは、商事信託です。

これに対して、民事信託は、家族信託などと言われることもありますが、

自分の財産を「自分の信じた人に託す」制度です。

 

遺言の場合に不都合なこと

そもそも、それってどんなことが出来るの?

とイメージもわかないと思いますので、

今回は、「家督承継信託」とか言われるものを紹介します。

例えば、こんなとき。

自分が受け継いだ先祖代々の土地を持っていたとします。

これを自分の子どもに受け継いでほしい。

さらには、その孫にも受け継いでほしい

受け継いだのは財産ではありますが、

それが意味するのは「大切な意志」と「その家の歴史」です。

自分の財産を受け継いでほしい場合、

今ままで「遺言」を使っていました。

つまり、

自分が死んだら自分の財産を長男に託す、

こんな遺言を作っていました。

 

ところが、

もしも、この財産を受け継いだ長男が、不慮の事故に

見舞われて、子ども(託した人にとっての孫)

がいなかった場合、奥さんに財産が相続されます。

そして、その後、奥さん家族、さらには再婚相手に

その財産が相続されるかもしれません。

つまり、先祖代々の想いはその家系とは、

別の家系に相続される可能性があるのです。

 

遺言の不都合性を解消する方法

こんなとき、民事信託が使えます。

子どもが死んだら、その次は自分の兄弟、

兄弟が死んだら、その次はおじになどと相続先を先々まで

財産を得る人を指定できるのです。

つまり、

ロジャーのように

「おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ…」

と、自らが英雄となって、その財産の相続先を(今より)

自由に決められるのです。

 

もちろん、奥さんに自分の財産を渡すことは大切です。

ただ、代々受け継いでいる土地は、自分だけの土地ではありません。

自分の親や、祖父母、、、などさかのぼることが出来る財産は、

自分が持っているというより、預かりもののように感じられたりします。

そして、それと合わせて受け取っているものは

「想い」なんだと思います。

 

なお、遺言と同じように、民事信託についても

相続人になりえる人の相続分を全く考慮しないことは

出来ない(遺留分減殺請求の可能性)はあると言われています。

 

しかし、今までにできなかったことができる、

自分が受け継いだ意志を自分の大切な人に伝えられる

一つの手段になりうることは、間違いありません。

この手続を通じて、「ご先祖様」から自分が何を受け取っていて、

誰に託したいのかを考えてみるのもいいのではないでしょうか。

 

ロジャーも言っています。

「人には必ず「出番」ってものがあるんだ」※2

まず、自分が存分に幸せになる番。

そのあと、次の世代を冒険に駆り出させる。

私も、そんな「ご先祖様」になりたいですね。

 

※1 尾田栄一郎さん「ONEPIECE」1巻

※2 同上・87巻

夫への家庭内尋問

妻「ねぇ A子さんって 誰?」

夫「え? 知らないよ」

妻「さっき、LINEで連絡来てたわよ」

夫「あ、あぁ 思い出した。会社の後輩の子だよ

  最近、仕事のことをいろいろ聞いてきて 困ってるんだ」

妻「へー 困っている人の名前 忘れちゃうんだ」

夫「いや、付き合いが浅いからさ 仕事でしか会わないし

  名前とか忘れちゃうよね」

妻「さっきのLINEで ご飯ごちそうさまでしたって書いてあったわよ」

夫「たまにはねぎらってやんないと 部下を扱うのは

  俺の役割だからな」

妻「さっき 後輩って言ってたわよ」

夫「後輩って、部下だろ?」

妻「友達が あなたとA子さんが手をつないでいるのをみたってよ」

夫「、、、」

 

さて、往々にして、人は真実のみを語るわけではありません。

上のご主人は、おそらく意図して真実を言っていないと思いますが、

かといって、では、ただちに

ご主人は浮気をしているでしょうか。

 

すれ違う世界という「羅生門問題」

人は真実のみを語るわけではないですが、

人の言葉を信じることがありうるとすれば、

お互いに信頼関係があるときではないでしょうか。

 

この「人の言葉」と「信頼」の関係を考えるにあたって、

かの有名な黒澤明監督の映画「羅生門」※1

が参考になるかもしれません。

有名な映画なので、今更かもしれませんが、こんな話。

ある日、藪の中でお侍さんの死体が発見されます。

その後、一人の盗賊がそのお侍さん殺しの犯人ではないか、

と捕らえられます。

とここまでは、ただの推理ドラマのようです。

しかし、そこから話は急展開。

 

まず、盗賊は「自分が殺した」といいます。

そして、このお侍さんと一緒にいた奥さんも「私が殺しました」といいます。

更には、そのお侍さん自身も「自分で命を絶った」といいます

(殺されたお侍さんの霊が霊媒師を介して降臨しお話をします)

つまり、3人が3人とも

自分がお侍さんを殺した、というのです。

3人とも言っていることが違います。

誰が本当のことを言っているのか、

誰がうそを言っているのか。

 

三人が三人とも違う話をすること自体は、

大した問題ではないかもしれませんが、

「人が言っていることを信じることで初めて、

この世界は成り立っている」という視点を持つと、

より大きな問題が明らかになります。

全ての人の言葉を信じられなくなったら、この世界は、、、

恐ろしいですね。

社会学においては、

両立不可能な事実が乱立することを

「羅生門問題」というらしいです。

 

羅生門問題の解決方法

さて、事実が乱立した場合に、どのような解決方法があるでしょうか。

社会学者の浜先生によると、※2※3

一つは、客観的な事実を模索するとう方法。

映画の中では、「きこり」の存在がこれに当たります。

この人は、実は、一部始終を見ていて客観的な立場の人です。

その客観的な、たった一つだけの事実を見つけて、真実と嘘を区別する。

 

もう一つは、エスノメソドロジー的解決策。

これは、客観的な事実を見つけることに向かわずに、日常生活の

相互のやり取りを通じて解決するという方法です。

つまり、過去の「事実を見つける」のではなく、

未来のやり取りを通じて「意味を作り出す」、ということです。

この解決方法というのは、映画にも出てきます。

それがラストシーンです。

 

映画では、客観的事実を言っていたと思われた「きこり」も

実は、うそをついていたことが分かってしまいます。

そこで、今までの話とは無関係に突然、捨てられた赤ちゃんが登場!!

「きこり」は、お坊さんに対して、「自分で育てる」言い出します。

しかし、うそを言っていたいきこり・信頼関係のないきこりが

「育てる」と話していても、それが嘘である可能性があります。

それでも、映画では、お坊さんが「きこり」に赤ちゃんを預けて

映画は終わります。

 

とにかく信じられる人かはどうか置いておいて

信じる!!そして、その信じるという行為そのものによって、

相手も自分を信じてくれて、収束していくという解決策です。

 

裁判と羅生門問題:2つの解決方法

1 「判決」という客観的事実の模索

さて、両立不可能な事実と言えば、まさに、訴訟ですね。

お互いに言い分が違って、それを裁判所に言いつけます。

 

裁判所の最大の特徴は、「判決」を下せること。

両者の主張を聞いて、最終的な判断ができるという事です。

訴訟が進行して「判決」ということになれば、

第一の解決、つまり客観的事実を探求して

事実を認定するしかありません。

裁判所は、考えていることを聞いて(主張)

それがどれだけ真実たりうるかを資料(証拠)を見ながら吟味します。

 

2 「和解」というエスノメソドロジー的解決

裁判所の機能としては、「判決」が出せるということに加えて、

「紛争を解決する」という機能があります。

つまり、判決でない結論の出し方、つまり、和解がありえます。

これは、エスノメソドロジー的解決をしているとも考えられます。

 

将来に向けて「約束」(和解)をする。

しかし、そもそも相手は自分と違う意見を言っていた人です。

それまでの態様から考えれば、約束を守ると信じられるほどの、

信頼関係が築けていません。

それでも、和解をするというのは、

「そうはいうものの、とにかく信じる」という羅生門のラストシーンに似た

解決策と言えるのではないでしょうか。

 

離婚をする、しないの分水嶺

夫婦の中で、生活をするうえでもちろん、許せないウソや

信頼関係が壊れそうなことはあるかもしれません。

しかし、お互いの前提、生きてる世界が違うのだから。

それでも信頼関係を回復するためには、

逆説的ではありますが、まず、信じる。

お互いの言うことを信じられない「羅生門問題」が生じても

そこから、もう一度「信じる」ことから始めれば、

再び、信頼関係ができて問題は解決し始める、

ということがあり得るのだと思います。。

 

そして、それができないと、心から思えたら

まさに「離婚」ですね。

「相手は信じるに値するか」は関係ありません。

自分が信じるか、どうか。

ひいては、

自分が信じたいか、どうか。

そこを問い直すことこそが、信頼関係を回復する方法だと思います。

 

※1 黒澤明監督「羅生門」

※2 浜日出夫先生「エスノメソドロジーと『羅生門問題』『社会学ジャーナル第20号』筑波大学社会学研究所

※3 山泰幸先生「江戸の思想闘争」(角川選書)p119

「いること」の意味

先日、古くからの友人とお酒を飲みました。

その友人は、高校の友人で、

1年に一度会うか、会わないかの関係です。

回数は少なくても、

私にとって、その友人は、「います」。

 

では、

人がその人を「いる」と感じるのは、

どの程度、かかわっていることをいうのでしょうか。

 

何度も、このブログで書いている数学漫画「はじめアルゴリズム」では

こんな話が出てきます。

主人公の「はじめ君」の飼い猫「ミー太郎」が死んでしまいます。

そこで、はじめ君は、「死ぬ」ことの意味を、数学的に考える。

 

「仮にミー太郎が1としたら

 死ぬって 0になること… そう思ってた

 でもやっぱり違うんだ

 だって僕は こうやって今も

 ミー太郎のことを

 ずっと考えたり

 わかんなくなったり 

 こわくなったり

 悲しくなったりして

 ミー太郎が今も僕を

 動かしてるんだよ!

 だからミー太郎は いなくなったんじゃなくて…

 かたちが変わっただけなんだって

 思ったんだ」※1

 

たとえ近くにいなくても

たまに思い出して、「自分の気持ちを動かす」というのは、

やはり、「いる」っていうことなんです。

それは、

近くにいるか、遠くにいるか、

生きているか、亡くなっているか、

相手が自分を思っているか、思っていないか

を問いません。

心の中に生きる、というのは、

使い古された言い方かもしれませんが、

確かに、自分の中に「いる」。

そう感じることは確かにあります。

 

「いる」か「いないか」は自分で決められる!!

では、逆に、「いなくなる」というのは、

どういうことなのでしょうか。

ワンピースのDr.ヒルルクは言っています。

「人はいつ死ぬと思う?

心臓をピストルで打ち抜かれた時…違う

不治の病に犯された時…違う

猛毒キノコのスープを飲んだ時…違う

人に忘れられた時さ」※2

 

近くにいなくても、生きていなくても、

相手が自分を思っていなくても、

その人によって、自分は動かされることはあります。

他方で、自分がその人を忘れたら、

その人は、自分を動かせません。

 

「いる」か「いないか」というのは、

自分がその人によって動かされるかどうかだと思います。

その人がいるか否か、

言い換えれば、

自分が誰に動かされるかは、自分で決められる、

ということなんだと思います。

 

 

離婚における「いないこと」(別居)とは

それでは、離婚をしたい夫・妻を「いないこと」にするということは

どうしたらいいでしょうか。

通常は、家を出ると「別居」(一緒にはいない)という風に扱われます。

実家に戻る、部屋を借りて出ていくなどもそうですね。

 

応用1:夫・妻が単身赴任の場合

この場合には、単身赴任をされていたら別居が開始できない、

ということとなると、大変です。

答えを言ってしまうと、単身赴任をしていても、

途中で「離婚しよう」など連絡をしたらその時点から、

とされることがあります。

それは、「別居」とは、

夫婦における経済的協力関係の解消と言ったりしますので、

一緒にやっていきたくない、という意思が明確になれば、

それは、「いなくなる」と扱ってよいからです。

 

応用2:家庭内別居

なやましいのが家庭内別居。

これは、同じ家に住んでいても別居ということです。

実は、この家庭内別居、、、

裁判所に認めてもらうのは

かなり難しいです。

家庭内別居を主張するのであれば、可能な限り、

本当に別のところに住んだ方がいいです。

というのも、

口を利かない、

顔も合わせないということは、

夫婦として往々にあること、つまり、

いつでも夫婦はラブラブでいること

を裁判所は前提としておりません。

だから、そういったいわば冷めた夫婦というのは、

普通なんです。それを超えて、出て行ったなどの事情があって

はじめて、夫婦関係の修復可能性がない、と裁判所は判断します。

 

一緒に生活をしていて

嫌だな、顔を合わせないようにしようなどと

想いながらの生活は、やはり自分がその人から影響を受けており

その人と一緒に「いる」ということになりますね。

 

応用3:別居が非難されうる場合

よくネットでみる別居をすると

「悪意の遺棄」「同居義務違反」などと上がっておりますが、

それによって損害賠償が認められることはほとんどありませんので、

安心していただければと思います。

そもそも、嫌な相手と同居しなければならない義務なんて

裁判所は認めないんです。

 

「一緒にいたい」ということ

一緒にいること、いないことは決められます。

でも、だからこそ、一緒にいる人のことを、悪く言ってはいけません。

なぜなら、その人と一緒にいることを決めたのは自分だから。

 

「一緒にいたい人とだけ」いる方法があるとすれば、

それは、きちんと自分で決めること。

自分が一緒にいる人は

「自分が」一緒にいようと決めた人だと思うこと、

ではないでしょうか。

もしも、

一緒にいたくないのに、一緒にいなければならないことがあるならば、

離れるために、LAGOONは、お手伝いをさせて頂きます。

 

 

 

※1 三原和人さん「はじめアルゴリズム」(講談社)p126

※2 尾田栄一郎さん「ONE PIECE」16巻(集英社)p175