数学とは何か  数学と人間について

 

引き算が足し算の逆なら引き算は必要ですか?

 

深く解説しました:

数学とは何か  数学と人間について

群馬大学名誉教授・アヴェイロ大学研究員 齋藤三郎

1.はじめに

ここでは、 数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、 幅広く 面白く触れたい。 骨格は数学とは何かを追及して、特に数学の神秘性に触れ、天才少年の話題にも触れ、人類の未来についての夢にも触れたい - 音楽を愉しむように数学を理解する時代がくるでしょうか。

2.数学の本質について

始めに、そもそも数学とは何かを、考えたい。数学名言集([2])を見ても、数学とは何かが、歴史的にも、うまく述べられていないようであったので ある論文の最初の節に 数学とは何かと題名を付けて、簡潔に述べてみた([11])。 そこで、

数学とは何か

を論じ、さらに

数学における最高の成果

と、

数学が神秘的に美しいこと

を述べました。

愉快なのは、 この論文は、この著書の15 論文のうち、齋藤のSで11 番目の論文ですが、本の紹介文、本の宣伝パンフレットでは第1に紹介されたことです。また、気に入った、何時か会いたいと海外の人からもメールなどを頂きました。

そこでは、

数学とは関係たち

であり、関係を発見するのが数学の研究である、と述べています。

簡単な例を挙げれば、2点があると、それらを通る直線が、ただ1つ定まり、逆に2直線が交われば、ただ1点を定めるは、最も原始的な数学と言えます。何故ならば、点と直線の間の関係を表しているからです。

1歩進めれば、そのときの、点とか直線とは、実は、何でもよく、点と直線自体については何も分からず、知る必要もなく、いわゆる、

無定義用語

だということです。ただ

関係だけ

が数学では問題です。無定義用語、関係だけが問題であるとは、直線とか点はたとえば、点がテレビで、直線がカメラでも、名称は何でもよく、上記文章で点と直線の用語をどのように変えてもよいことを意味します。

日々発表される世界の

数学の論文のすべて

が、何らかの関係を述べている事実を指摘し、

数学が、関係を研究する学問である

 としました。

厳密な意味でも、数学は、いわゆる

公理系

と呼ばれる、何でもよい無定義用語間の関係を仮定して、そこから導かれる関係の全体が、1つの数学を構成していることに思いを致したい。

数学は

数学の自由な精神

によって、考えられることは何でも自由に考えてもよいとされていますから、高度に発展した数学は暗号が並んでいるように、巨大な世界を構成することになる。数学はきちんと論理的に何もかも説明され、矛盾なく構成された理論であれば、それは1つの数学であり、数学の結果であると言えます。そして、その実態は、関係の鎖によって構成されていると考えられる。

 ──ここで、人間も「

じんかん

」と読み、実は人と人との間の関係が人間であり、関係が人間のすべてになることを思い致すと、面白いことになる。── 社会は個々の人間から成り立っていますが、Aとは、私にとって、いかなる存在でしょうか。それは私に影響を与えるすべてであり、それ以外のなにものでもないと言えます。Aは無定義用語のように、Aの本質は分からず、ただ私に影響を及ぼすところのものに他ならないと言えます。ここで、影響は私との関係を表しますから、人間社会も数学の世界も関係の網にめぐらされた、同じような存在であると言える。

3.

 

数学の有効性

しかしながら、そのような本質的な議論の上に、数学としての重要な面、すなわち、神は数学を言語として世界を創造されているとか、世界の設計図が数学で書かれているなどと述べ、

世界を理解し、表現するには数学が必要

であると述べたい。ニュートンやアインシュタインの方程式やマックスウェルの方程式、CTスキャナーの原理や電磁波の予想の物語など、いろいろな例を思い起こしたい。数学の有効性です。地球上でも、宇宙空間においても、おおよそ物体の運動は、簡単なニュートンの運動方程式によって記述され、何百年も先の、月の運動を正確に予測できるのは大きな驚きである。

ここで神が出てきますが、ここで言う神とは、大自然の法則、大自然そのもの、ありとあらゆるものの総称と考えていますが、更に何らかの意味で、人格的なものを反映している存在です。人格的なものを反映している存在でなければ、私達は自然と語り合うことも、自然と気持ちを交わすこともできません。──人間も本来大自然の一部であり、自然と人間は調和がとれているはずです。自然とともに在りたいは、人生の1つの原理ではないでしょうか。──

4.数学における最高の成果、数学が神秘的に美しいこと

それでは、

数学における最高の成果

と、

数学が如何に神秘的に美しいか

を説明したい。

その前に、その論文では、

数学の価値判断の基準

も述べ、定理と述べられる、良い結果、関係とは、

 1)基本的であること、2)美しいこと、そして、3)人間に良い影響を与える関係である

と述べている。第3の基準は極めて重要である。実はこれらの要素は別々でなく、一体の価値判断を与えると思います。Aがたとえどのようにお気に入りの成果を上げても、それがAだけのものに過ぎず、Bに影響を与えなければ、Bにとっては何の意味もなく、そのような成果は存在しないものと変わりないことになります (  ここで、何時も同僚教授の厳しい言葉を想い出します。数学者はずるい、仲間で 出来た出来た と褒め合って大層なことをやっているように思わせるが、 われわれにとって、そんなものは何の意味もない というようなことを言われました。)。基本的とか美しいとかは他に大きな影響を与えるようなものを意味します。もちろん、これらは近視眼的に判断すべきではなく、その世界と

世界の歴史

の上に立って判断されるべきです(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)。実際、何十年も経って、重要で大きな影響を与えた例は、たとえば 

ガロアの群論

のように多く在る。── 人間の価値も同じようなものであると気づけば、個人から外なる世界、社会との関わりを重視していくことになる。

まず、平面上に、1つの直線を描いてください。そして、勝手に2点を指定し、0と1と定めてください。そこに例のように、

数直線の概念

を導入します。すなわち、0,1間を長さの基準として、原点0からの距離がそれぞれ2,3,4にあり、しかも1がある方向にある直線上の点を整数点2,3,4として定めます。それらと反対方向にある点を1、2、3、として定めます。次に分数も指定します。更にルート2、ルート3なども直線上に指定します。たとえばルート2は、0、1間の線分上に長さ1の正方形を描けば、0と対角線上の頂点を結ぶ対角線の長さを長さに取った点がそうで、1.4142 …と無限に続く小数で、数値の並びは決して繰り返さない、無理数である。さらに、原点0を中心に半径1の円を描きます。その円は1の点と -1の点を通っています。そこで、1と 1を結ぶ円の周の長さがπです。πの意味と数値の永い歴史は1冊の本になるくらい深く、整数係数のどのような代数方程式も満たさないという、

超越数

であることが証明されている ([10])。ルート2は変な数ですが、2乗すると2ですから、考えてみれば非常に簡単な数とも言えます。ところがπの場合には、何乗したり、それらを何倍化したり、それらを加えたり、引いたりしても整数にならないというのですから、本当に恐ろしい数と言わざるをえません。

さて、

関係を研究する学問である数学

において、いま数として、0,1;そして、1とπが現れたことを心に留めたい。ここで、

神様の気持ち

に触れたいと思います。

神は2を愛し給う

という世界観です([9])。2つが大事であり、2つから成るのが世には多いことに触れたい。

まず数学から。基本的な概念である実数は普通10 進法で記述されているが、本質的には2進法で記述される。しかし数としての実数はあまりにも狭く「数」としては2つの実数の組である複素数で考えなければならない(複素解析学人類の傑作)。解析幾何学は代数と幾何の2つの概念の融合したものであり、射影幾何学は点と直線の2つが全く同等の存在であることを述べている──それには我々は「無限遠点」を観なければならないが。またそこでは、比の比すなわち

複比

が重要な不変性をもっている。演算も二重に現れる。

 加法と減法、乗法と除法、微分と積分、変換と逆変換、さまざまなoperator に対する“adjoint”operator、鏡像の原理、エルゴート性、さまざまな“duality principles”等々。今世紀における幾何学の方向を与えているガウス・ボンネの美しい定理は曲面の「局所」的な性質と「大域」的な性質の2つの間の関係を述べており、曲率の最大値と最小値を2つ掛けると素晴らしい不変量になるというガウスの「偉大なる発見」に基づいている。2階の微分方程式は他のものに比べて圧倒的に重要であり、加速度は

2階の微分

で表わされる。ピタゴラスの定理a^2 + b^2 = c^2では2乗でなければならない。 私が1982 年に発表した「積分変換の一般論」は、この定理の一般化になっていた。これは線形変換でL_2概念が不変に保たれることを述べており──波動や熱伝導等の現象においてもL_2概念は保存され、ピタゴラス型の定理が成り立っている。 次に最も進化(退化)した生物であり神の最も愛する(憎む)我々自身に目を向けてみよう。男と女が2つ一緒になって「人」になり、我々は脳、目、耳、鼻、腕、肺、心臓、足、指、いのち等それぞれ2つずつもっている。また遺伝子は二重螺旋構造をもっているという。二重といえば、二重のドア、鍵、堤防、道、被覆、窓、コード、回路、結合、価格、火山、唱、生活、底、否定等は格別の意義をもっているのであろう。 以下略。

ギリシャ語によれば、

人間とは片割れ

であり、2つ合わせて人になるということです。本来1つの存在であった人が、分かれて、人間である男と女になったというのです。片割れである男と女は、もとの人になるべく求め合うのが恋の本質であると理解しています。日本にも夫婦で1つで、人であり1人前という考え方がありました。──私も妻を迎えるまでは、母に1人前に扱われませんでした。まだ人になっていないからというのです。

そこで、大事な場面に入ります。○○1の方程式を考えます。1はある数の2乗になるというのです。1のある意味での半分です。この数は、はじめの段階では、想像上の数として(

虚数

として)iとして考えられました。どんな数でも同じものを2回掛ければ0以上ですから、2乗して1になる数は存在しないと考えたわけです。存在すると良いことが言えるので、仮に存在するとして、想像上の数として、最初は考えられました。複素数とは、実数a,bと虚数単位iを用いてa+ bi の形で表すことのできる数のことですが、奇妙にも

複素数が本当の数

であるというのです。複素数が2つの部分からなっていることに注意したい。

複素

です。複素数が本当の数であると言えます。そのことを示し、活用するのが、理工学部の2年生が学ぶ、

複素解析学の雄大な学問

です。

ここで、面白い事実に注意してください。1・1=1ですから、実は1は1を半分に分けた数と理解できるということです。1を分けて、分けて、すなわち

2回分けて

、iに達していますね(iも更に分けていけますが、もはや面白いものは出てきません)。今でもどうして、1・1=1が成り立つのかという質問をよく受けます。もちろん、これにはいろいろな説明ができますが、私が達した理解は逆であるという考えです。

 1を真2つに分けた数が1であるという見解です。

 iは1を真2つに分けた数です。

さらに、多くの偏微分方程式の中には2がいっぱい現れる、偏微分作用素

ラプラシアン

が現れますが、ラプラシアンを半分にした、

ナブラ

ハミルトンの演算子

が、世界の多くの理工科系の学生が必ず学ぶ、古典ベクトル解析の基本的な道具になっていることを想起すると、再び

神が2を基準に世界を構成して

いることが良く分かる。( - いわゆる三角不等式は ノルムのところで、2分の1乗が入りますが、任意のヒルベルト空間の元の

自然な和の概念を導入し、

そこで成り立つ三角不等式から普通の場合には、2分の1が現れない、2ばかりが現れる不等式が導かれるので、それを

本当の三角不等式

と呼ぼうと提案しています([8])。)

そこで、0,1は基準として定められた数で、基本的な数として、1、πそしてiを確認したいと思います。

 関係を研究する学問である数学において、これらを関係づける簡単な公式が存在します。eという数をもってくると、簡明な関係になり、その関係が

オイラーの公式

e^πi}=1になるというのです。この数e= 2.718281829 …は、無理数どころか超越数です。明確な実体をもつ数から、逆にこの関係を成り立たせる数としてeを考えたいと思います。( - 0,1は基準を定める数、1とiは 上記のように二原論で説明できました。πは美しい円の周の長さで説明できます。しかしながら、最も大事な数 e について、うまく説明ができないのです。πと e を二原論で結び付けられれば、極めて美しい構造として、良いのですが。 )べきの形に書かれた意味は「べき」の素朴な、何回も掛けることの拡張された意味と理解できます。あるいは「べき」はある一つの働き(何かをすること;すなわち、eとπiを何かすること)として考えてもいいと思います。すなわち、基本的な数、1、πそしてiを

関係づける数

として、eを考えたいと思います。ちなみに、この数eは、

ネーピア数、

または

オイラーの定数

と呼ばれる数で、人類が最初に見つけた超越数です。eは対数の底などに用いられる、最も基本的な数です。また最も美しく、基本的な関数である指数関数の基になります。eはπとともに大事な数で、πのようにeについてだけの本も出版されているほどです ([4,6])

神は数学を言語として世界を創造されたと述べました。最も基本的な数が超越数であるということの意味は、世界をそれだけ複雑に作られたということを意味しないでしょうか。人間は人間存在の原理によって、あらゆるものを究めていこうとしますが、神は人間があまりにも神に近付くのを嫌っておられるように思います。それで、

神は人間に意地悪をしている

のです。これはまた 

神は恥ずかしがりゃ 

であるとも言えます。

ここで、

人間存在の原理

とは、どうしても人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという

三位一体

の、

デカルト

のコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方です。人間があらゆることを知りたいという願いは、人間存在の原理である人間として生きることに他ならないと言えます。──このことを自覚したのは、学生時代哲学に興味を抱いて、京都大学の西谷啓治先生の集中講義などを受けて、それから何十年も経て、理解したことです([9])。―― また、原発問題についても次のように述べたい: 人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、原発については 安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明けノアの方舟)。

更に進められます。オイラーの公式(e^ix}= cos x+ i sin x)を一般化として紹介できます。そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、

神が数で角を測って

いることに気付く。左辺のxは数で、右辺のxは角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を60進法や10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが

神様方式による角の単位

です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な

複素解析学の世界

が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成することになる。

私はその論文で、面白いことには、それらを

数学における最高の定理

、結果として述べたことです。

数0,1は基準を定める数ですが、基本的な数、1、π、i、eとの間にある簡明な関係、オイラーの公式e^πi}=1を数学上の最高の成果として、アインシュタインの公式 E= mc^2 と並ぶものと考える。アインシュタインの公式は、すべてものはエネルギーであると述べていますから、神秘的ですが、それに匹敵できると考える。

虚数、複素数がなければ、およそ方程式は解けず、──簡単な方程式、2乗したら1になる方程式すら解けない。量子力学もフーリエ変換もラプラス変換も考えられません。振動現象も正確には説明できなくなってしまう。

数学が如何に神秘的にできていて美しいかを明白に表現できたと思います。もちろん、自然を理解し、表現するには、数学を知ることが如何に必要であるかが分かって頂けたと思います。

ピタゴラスは、2500 年も前に、すべては、万物は数によって表現される(万物は数で出来ている、 数が宇宙を支配する)と、現代人の思うようなことをすでに言っているのです ([5])CT スキャナーの原理や、電磁波の予想が、数学でできたのです。万物の運動や流れ、熱移動、流体などの現象を正確に表現するには、数学が必要ですから、自然現象を正確に知ろうとすれば、数学が必要であり、学び研究する必要があるということになると思います。

自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。

5.数学の神秘性

数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。 すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分からない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。 不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だろうか。

6.天才少年

数学と人間について、次のような経験をしている:

再生核研究所声明 (2007/9/1): 天才教育の必要性を訴える:

今日午後 塾の先生と母子が研究室を訪れました。子供は小学校2年生、8歳のM君です。化学の先生や物理の先生、整数論の先生にも立ち合って頂きましたが、非凡な才能のもち主です。数覚が発達していること、πの値を60数桁すらすら覚えていること、サリンなどの複雑な分子構造等を覚えていること、原子の周期表を覚え、記号も覚えていること。勿論努力して覚えればできない事ではありませんが、自然にいろいろ勉強して一人で勝手に覚えていると言うのです。今まで、このような才能のある人に会ったことはありませんでした。記憶力が良く、漢字にも強く、英語も得意と言っていました。宇宙の物語や計算機の内部にも興味をもっていて、電気にも異常に興味をもっているとのこと。数学について質問を求めたところ、0.999999・・・・・ =1の理由を聞かれました。納得のいく説明ができたと思います。ご両親はいろいろなことを質問されて困っていると言うのです。今日は非凡な才能のもち主に会いました。どうしたら、M君の才能を活かせるでしょうか。考えたいと思います。以下略([9])。

そこで、最も興味、関心のあることは何かと 8歳の少年に尋ねたのですが、

巨大素数の構造

であるというのです。これには驚きました。どうして、そんなのが好きなのかと念を押したところ、 好きなものは仕方がない、 と言うのです。

そもそも 人間とは 好きなものを求めて行くものである (人生の基本定理)。 ──

7.人生における基本定理:

 ……1995 113 日朝、目覚めの後、ひとりでに数学のアイディアがうかんだときのように、「人生の意義は、……にある」という言葉がわいてきた。私はもの心ついてから……

実際、人生は何の意味もないのに、人は死にたくないから、そして人並みにあるいは人並み以上になりたいから、あるいは人に尊敬されたいから等の漠然とした気持ちで生きているのではないか、と。また、そのような人生、人間の目標はどのようなものか、という基本的な問題への疑問であった。

「人間としての存在の究極の意味、価値は」

「人類の目指すべき基本的な方向とは」

これらの基本的な問いについて、私が、全体的に、直観として得た解は、

人生の意義は、感動すること にある

というものである。

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というような、人生における真剣な問いについて、これは十分な解答になっていると思われる(再生核研究所声明 12 (2007/09/17): 人生、世界の存在していることの意味について)([9])

8.数学と人間

人間が 数学が好きだというならば、その絶対の数学の関係の 発見にいそしむ人間の姿を尊く観、一つの人類の歩む確かな道と言えるだろう。ここで、

神の定義

神の存在説明

ができそうであるが、未だ不十分である。

── 元祖生命体の高度な顕著な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。 実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である(再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得)(  ここで、数学だけで、人生を終えたとみられる市井の数学愛好者、変数分離の考え方の重要性に気づき、沢山のリッツカチ型の非線形微分方程式の解析的な解を発見された ([12]) 多田健夫氏の生涯が思い浮かぶ。

普通は恋をして、仕事をしますね。)

9. 奇妙な偶然

最後に後日談も含めて、数学的な話しを少し入れたい。数学とは何かの論文において、数学の基本的な概念である、関数の解析性と非線形変換の間の関係を確立して、その1つの例として、ある不等式を導いています: これは同時に、ある関数空間の関数fに対して、猛烈な非線形変換 f/(1f)が どのような性質を持つかを定めている。この結果は、微積分を学んだ高校生にも分かりますが、再生核の理論を用いない、いかなる方法でも、神秘的で、とても証明出来ない、美しい不等式と永い間思ってきました。 実際、この不等式の意味は、2万年も人類が理解できず、人類が進化して、知能が高くなれば、子供たちが音楽を楽しむように、この不等式は美しい、楽しいと喜んでくれると学生たちにも、楽しい夢として語ってきました。ところが、再生核の理論を用いない別証明と拡張に成功したというのですから、数学の研究は楽しい。私は早速、東京学芸大学の山田陽教授を訪問して、確認と検討をしました([13])。ところが、驚くべきことに、ベトナムの方とアメリカの方が 1ケ月の違いで、全然違う方法で別証明と拡張を与えていることが分かりました([1,3])。しかも、原著論文ではなくて、著書が1997年に出版([7])されてからでも、14年ぶりの偶然です。  しかしながら、証明は別にしても、2万年も経てば知能の高い未来人は、証明も理屈もなしに、その美しい不等式は感覚的に当たり前であると理解する時代が来るのではないでしょうか。さらに博士課程の学生と討論していましたら、そのような不等式の活用として、

非線形システムの同定

への応用があることに気付きました([14])。

10.奇妙な発想

上記少年 前出祐亮君については、次のようなことがあり、ブログ記事に書きました:

(前出君の整数に関する予想:2011.2.6.12:00

今 前出裕亮君とスカイプをしました。 前出君は、次のような予想をしていますが、如何でしょうか?:

pを 7以上の素数とする。1を p-1 個並べて 得られる、整数は pで 割り切れる。

pが、 29まで、筆算で実験して、確認していると言うのです。 これは正しそうですが、証明は簡単でしょうか。)

――これは 正しいことを、澤野嘉宏氏とL. P. カストロ教授によって独立に証明されました。

 普通は7まで成り立つので、一般にも成り立つと予想すると思いますが、これは逆で、7以上では成り立ち、 それまでは成り立たないというのですから、発想が天才的としか言いようがない。

参考文献

[1]

D. T. Duc

and

N. V. Nhan

, Generalize some norm inequalities of Saitoh

Kodai Math. J.

34 (2011), no. 2,

191–201.

[2] 松野武、山崎昇訳、数学名言集:ヴィルチェンコ編、1989 年 大竹出版。

[3]

N. V. Nhan

,

D. T. Duc

and V. K. Tuan, Weighted norm inequalities for a nonlinear transform

Comput. Math. Appl.

61(2011), no. 4,

832–839.

[4]

E.マオール

(),

伊理 由美

(翻訳) 、不思議な数eの物語、岩波書店 (1999).

[5]

E. マオール

(),

Eli Maor

(原著),

伊理 由美

(翻訳)、ピタゴラスの定理―4000年の歴史 岩波書店 (2008).

[6]

ポール・J. ナーイン

(),

Paul J. Nahin

(原著),

小山 信也

(翻訳) 、オイラー博士の素敵な数式。日本評論社 (2008)

[7] S. Saitoh, Integral Transforms, Reproducing Kernels and their Applications, Pitman Research Notes in Mathematics Series 369, Addison Wesley Longman, UK, 1997.

[8] S.

Saitoh

Generalizations of the triangle inequality

JIPAM. J. Inequal. Pure Appl. Math.

4 (2003), no. 3,

 Article 62, 5 pp.

[9] 齋藤 三郎・齋藤 尚徳、 夜明け前 よっちゃんの想い

 

文芸社 2010年。

[10]

竹之内

(),

伊藤

()π―πの計算アルキメデスから現代まで 、共立出版 (2007)

[11] T. M. Rassias, Editor, Nonlinear Mathematical Analysis and Applications, HadronicPress,Palm Harbor,FL34682-1577,USA:ISBN1-57485-044-X,1998, pp.223-234: Nonlinear transforms and analyticity of functions, Saburou Saitoh.

[12] T. Tada and S. Saitoh, A method by separation of variables for the second order ordinary differential equationsInt. J. Math. Sci. 3 (2004), no. 2, 285—292

[13] A. Yamada, Saitoh's inequality and Opial's inequality,

Math. Inequal. Appl.

14 (2011), no. 3,

523–528.

[14] M.

Yamada

and S.

Saitoh,

Identifications of non-linear systems,

J. Comput. Math. Optim.

4 (2008), no. 1,

47–60.