8月、盛夏、夏休み自由研究;  ゼロで割ることを考える ー 小学生、中学生の自由研究課題に 如何でしょうか。

2024.8.1.8:32

 

再生核研究所声明660(2022.1.31) 小学生の算数、足し算、引き算、掛け算、割り算 及び ゼロで割ることの解説 ー アインシュタインの言葉を受けて ー 6歳の子供に説明できなければ、 理解したとは言えない。

 

アインシュタインの言葉を受けて、小学生向けに ゼロで割る問題の解説を行ないたい。 願わくば、お母さん、お父さんに お子さんに解説して頂ければ幸いです。何事初めが肝心、算数 学び初め、足し算、引き算を良く、深く理解すれば お子さん、算数、数学が必ず好きになると思います。 算数は 楽しいものです。 何しろ2000年来の難問も 実は当たり前だったとなります。 天才数学者や物理学、そうみんなが分らなかった ゼロで割る問題、実は当たり前だった となります。数学嫌いなマスコミ関係者、これで納得して頂けるのではないでしょうか。 変な権威などに あるいは習慣などに 盲目的に 頼っていては、真実の報道はできないのではないでしょうか。 権威者が 習慣などが、世相が みんなおかしくかった ということは 実は多いのではないでしょうか。

有名な ゼロで割れない との世の常識が 実は違っていて、ゼロで割ることは当たり前で、簡単にできることを説明したいと思います。初歩からの解説です。

まず、数の世界をきちんと決めます。

リンゴ、 1個、2個、3個、と数えて行くことが始まりです。 それは、1番目、2番目、3番目、と順位を付けて行くのと同じです。 それは自然数と呼ばれる数の基本ですが、12345、、、、9101112、、、、1920, 21,,,,, と続く数で、 個数を数えたり、 順序を表すのに大事な数です。 算数の基礎から説明しますので、 当分、数とはそのような自然数のことと考えます。

まず、それらの数の世界、仲間で 足し算、加法を考えます。 例えば 2 + 3、とか、 14+17 などです。リンゴの個数だと思って それらの合計の個数を考えた結果が 足し算ですから、2+3=5, 14+17=31 となります。 どうして足し算の結果がそうなるか分からない場合には、両方の個数を数えて行けば良いので、足し算は 時間が掛かっても必ずできるのではないでしょうか。 ただ数えて行けば良いだけです。 練習をすれば数えなくても 早く足し算ができるようになります。

次に考えるのが 引き算です。 例えば 6 - 4 ですが、これは6個あったリンゴから 4個取ったら何個残るかと考えた場合の結果ですから、6 - 4=2 です。 引き算は足し算同様に 1個、1個引いて行けば良いので、足し算と同じく、必ずできます。慣れれば引き算も早くできるようになりますが、必ず同じようにできると考えられますので、足し算と引き算は 簡単で必ずできると考えて下さい。 必ず、できる 大丈夫というのは良いですね。安心できます。

しかし、ここで、大事な問題が生じます。 あるものから 何個か引いて行くのですから、

引くには 引く数と、引かれる数の間に 大小関係がないと引き算は出来ません。 例えば 3 - 5 を考えると、 もともと3個あったリンゴから、5個のリンゴは引けません。あった個数を 何個か除くのですから、除く、引く数は 引かれる数より小さい?

ここで、大事な問題が起きます。 例えば、 3 - 3 は どうなるでしょうか。 3個あったリンゴから、3個引く、除くことはできます。 もともとあった数から、同じ個数を引けば、ちょうど残った個数は無くなってしまうことになりますね。 すなわち、同じ数を引くと何時でも 個数は無くなってしまいます。

この状態を 3-3=0, 6-6=0, 27-27=0, などと表し、ゼロという数0を新しく考えます。

これが 大事な数ゼロの発見で、永い、永い歴史のある数です。 ない状態を表す数ですから、面白い 変な数であると言うことになります。 ない状態です。 ゼロを数と見なせば、 足し算は、 3 + 0=3, 6+0=6, 28+0=28 などとなり、どのような数にゼロを加えても変わらず、 また どのような数からゼロを引いても変わらないとなります。 3 - 0=3, 6 - 0 =6, 29 -0 =29 です。 ゼロを引くとは、実際には、何も引かないということですね。

ゼロという数は 実に面白い、 変な数で、その意味は 深いと考えて下さい。

ゼロは 足しても、引いても変わらない数です。 足しても、引いても変わらない数、それは 足したことにならない、引いたことにならないとも表現できます。 この考え、発想が 大事で、その意味は 実は 深い。 この心、深く心に止めておいて下さい。

念のため、面白い公式を それらの意味を含めて確認して下さい。

 

0 + 0 =0, 0 - 0=0.

 

人間とは飽きたり、疲れたりするものです。 そこで、休憩にして下さい。 そして、足し算、引き算 そして ゼロの意味 をしっかり理解して下さい。 数日考えても、休んでも良いですから、すっかり理解し、納得してから、 次の掛け算、割り算に進みたいと思います。

それでは、掛け算の説明をします。 実は簡単です。 3 x 4=12 の意味です。 それは、3を 4回加えることを意味します。 3つのかたまりの リンゴ、4つでは合計幾つあるかという意味です。 ですから、3を繰り返し、加えて行くことを意味します。 ですから 3 x 4= 3+3+3+3 の意味ですから、時間はかかっても掛け算は 何時でもできますから、簡単と考えて下さい。掛け算は繰り返し足し算です。 掛け算は乗算とも呼ばれ、3を4回重ねて行くことを意味しますから、漢字とは素晴らしいですね。乗せて積み重ねて行く意味です。 あまりにも頻繁に 日常で使われるので、暗記したり、少し練習するように しています。いわゆる九九 の暗記などです。 しかし、もともとは簡単だと、安心することが大事です。繰り返しは 機械の得意なことで、計算機、計算機はそのような計算、何でも瞬間にできてしまうので、実際の計算では困ることはありません。

さて、ここでゼロも数と考えましたので、 3 x 0 0 x 3も考えることが考えられます。

3 x 0 3つのかたまりがない状態ですね。ですから、3 x 0=0 です。0 x 3 0 +0 + 0

の意味で 0 x 3 = 0 +0 + 0 =0 です。 これらは、ゼロを掛けることは、掛けないこと、かたまりを考えないことだから、何にゼロを掛けてもゼロと考えられます。 他方、 ゼロに何かを掛けるは ないもののかたまりを幾つ考えても ゼロだと考えれば、すっかり当たり前ですね。

念のため、美しい公式

 

0 x 0 =0

 

を意味も込めて、深く理解して下さい。理解するとは 納得して、何もかも当たり前と感じられることです。

次は、割り算ですが、 割り算の天下一と言われた毛利重能(1622年割り算書出版)氏がいて、割り算ができる人は何でもできるという言葉がありますが、実は割り算も 当たり前です。 一応は気分を変えて割り算を考えたいと思います。十分休憩して次に進んで下さい。

さて、 12 ÷ 4 の意味です。12 割る 4 の意味です。(「÷」は、1659年にスイスのヨハン・ハインリッヒ・ラーン(16221676)という数学者が著書の中で使ったのが最初である。)

これは、もともと 124等分した場合の 分けられた1つのかたまりの個数を表す考えで、最初に考えたのは 人類の祖 アダムとイブが 一個のリンゴを二人で分けたのか割算の元だと面白く表現されています。1個のリンゴを 半分ずつ2個に 分けたのですね。 等しく分けることですね。等分です。確かに 何か急に難しくなった感じがしますね。

23 ÷ 7 などを考えると とても難しく、 人間の知能を越えて居る様にすら 感じられてしまいますね。そのような場合には、いろいろ考えて、発想を変えることが大事ですが、そのようにいろいろ考えることが 人間らしい考える能力です。

もし、12 4つに 等しく分けられたとすると、そのような塊の1つの塊は 何個あるかと考えています。 それは、12から、4 が何回引けるかと考えられます。 かたまりの個数だけ引けば、ちょうど残りが無くなり、ゼロになると考えられます。すなわち、

 

12 - 4 - 4 - 4 =0

 

です。12 には 4の塊が3個あることになるので、 それは

 

12 ÷ 4 = 3

 

と表現されます。12 4 3つ あると解釈、理解できます。 考えられます。 1つの式に対して いろいろな意味を考えることは 考え方を広げる意味で 大事な発想です。

言われたことを そのまま覚えたりするのでは無く、それは何を意味しようとしているのか と自分の心で考えることが 算数ばかりではなく、大事な考え方です。

難しいとは、説明に飛び、飛躍があるということですが、上記の発想、考え方には 発想に飛び、飛躍があると感じられますので、難しく感じられるでしょう。そのような場合には納得ができるまで、述べられていることを 何もかも当たり前であるように感じられるまで繰り返し、考えることが大事です。

この精神は 数学の基本精神で、大事です。 ユークリッドの 幾何学に王道なし とは そのような精神を端的に、本質的に述べたもので、有名です。算数、数学では考えることが求められ、考える人間の育成に 数学の学習が期待されています。

次の段階はとても面白いので、ここでじっくり休憩を取って下さい。 大きな楽しみの前に 休憩して心を整えるのも良いですね。

 

さて、23 ÷ 7 を考えて見ましょう。 23 の中に 7の塊は幾つあるかと発想して、

23 から 7 をどんどん引いて行きます。

 

23 - 7 - 7 - 7 - 7 - 7

 

何時までも引ける筈はなく、 今の場合だと

 

23 - 7 - 7 - 7 = 2

 

ですから、23 には 7の塊が 3つできて、余りが 2個だと表現できます。 それを

 

23 ÷ 7 = 3 ... 2

 

と表現して 23 割る 7 3 で、 余り 2 と表現します。 23 割る 7 3 で、3を割り算の答えで 商と呼びます。 大事なことは 余りが残ったときには 割り切れない、ちょうどには分けることができないということが起きたことで 当たり前の事ですね。

ところで分ってしまえば、多くは当たり前になってしまいます。 そこで、

 

23 ÷ 7 = 3 ... 2

 

の意味をしっかり 理解して下さい。 当たり前に思えるようにですね。 実は簡単です。 どんどん引けるまで繰り返している、引けた回数が 商3で 残りが余りが2ですが、 この方法は何時でも決まったやり方で、引き算の繰り返しで求められます。ですから、 実は割り算は 引き算のようなもので 計算方法も 意味も当たり前です。

実は割り算は 除算と呼ばれていました。 何と割り算とは 何回取り除けるかという意味だと言うのです。漢字とは素晴らしいですね。 割り算が除算です。 その意味をしっかり理解して下さい。 除算は元々は、引いて行く事ですから、除算は、割り算は 本質的には引き算であると言えます。

以上の準備で、 2000年も 今も理解されない ゼロで割る問題の解説に入りますので、じっくり休憩をとってください。最大の楽しみの前です。

(ここで、 余りも分けたい と考える 先に疑問を持つ方に すこし先の話しを、ここの話題には 関係ないですが、すこし触れて起きます。

上記で 余り2を 7で分けることを考えたい。 これは、これは唯では出来ません。そこで、2を10倍して、207で分けると

 

20÷ 7 = 2 ... 6

 

となります。 これらは 23 ÷ 7 は 商が 3.2 で余り 0.6 と表現されて 1を10で割った範囲(110で割った0.1, 10分の1)で割り算を行なったと考えられます。このやり方を続けると幾らでも 等分は細かく正確にできるという凄い考えになります。 ここでは深入りする必要はありません。分数や少数の考えに入ることになります。)

 

それでは 本論のゼロで割る問題を考えます。 そのような事は考えてはならないとなっていますので、今から述べる考えは 未だ公認されていない、世界で認められていない新しい発想、数学と考えて、世界で認められるまでは 周知の事実としてはいけません。 しかし、直ぐに世界の常識となって 教科書や学術書が変更されることを望んでいます。

 

上記の考えで 例えば、

 

27 ÷ 0

 

を考えたい、考えるとすれば、どうなるでしょうか。 27から、0をどんどん引いて ゼロにしたいという発想でしたね。 何回引けるかが 割り算の商です。 ところが0を引くということは 実は引いたことには成らない、 引いても減らないですね。ですから、引いたことにはならず、引いた回数は0と考えるべきではないでしょうか。 するとゼロで割る問題は 当たり前になって、ゼロで割れば 何時でも0となってしまいます。 それで2000年も続いたゼロで割る問題は解決して、 何時でもゼロで割れて 答えはゼロであるとなります。例えば、

3 ÷ 0 =0, 7 ÷ 0 =0, 23 ÷ 0 =0, 324÷ 0 =0.

 

何でも0で割れば0ですから、これほど簡単で、美しい結果はないですね。 これがゼロで割る歴史的な難問の解答です。結果です。 今でもゼロ除算は神秘的で難問と考えている人が数学者でも多いですから 面白いですね。

 

100 ÷ 0 = 0 ... 100

 

です。ゼロ除算を発見して論文を発表して間もなく8年(2014.2.2)になりますが、6歳の少女が上記のように考えて ゼロ除算は当たり前であると 3週間くらいで理解したのに世界の指導的な数学者達が 何年も経っても理解できない事件が起きていて、本当に奇妙な事件が起きています。それで、理解を求めるべく著書を 発見過程に触れながら発表しました:

 

Division by Zero Calculus—History and Development

https://books.google.com › ... › Books

 

これらの数学の素人向きの解説も 55カ月に亘って 次で与えられている:

 

数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学

www.mirun.sctv.jp/~suugaku/

 

小学生の皆さんに知って欲しいことは、ゼロの意味です。 ゼロを足しても、引いても 足したことにも 引いたことにもならない。 ゼロを掛けても、割っても 掛けたことにならず、割ったこともにもならないという ゼロの性質を理解して欲しいという事です。 ゼロを掛けても、割っても何時でもゼロです。 ゼロは 足しても、引いても数は変わりません。

 

今まで 足し算、引き算、掛け算、割り算の 四則演算 には、 0で割ってならないという 唯一つの例外がありましたが、今や 四則演算 は 何時でも必ずできるという 美しい 例外のない数学が出来ました。美しい数学が 完成しました。 四則演算は 計算機の基本で、数学の基本ですから、影響は大きいですね。

 

それでは何ゆえに 世界史が アリストテレス以来 物理学の最高峰アインシュタインをもって生涯の問題とされていたゼロ除算が 神秘的な歴史を辿ってきたかを述べたいと思います。

 

これは簡単な次の事実にあります。

 

12 ÷ 4 = 3

と言うことは、

 

3 x 4=12

 

と表現され、 割り算と掛け算の関係で、お互いに逆の関係にあることに注意します。考えて下さい。12 ÷ 4 = 3の意味は、12には4の塊が 3個あるというのですから, それはちょうど 掛け算、乗算 3 x 4=12 すなわち、3個の塊が4個ある、あるいは4個の塊が3個ある事を意味して、掛け算と割り算が逆の関係に有りますね。

ゼロでない場合には 何時でも そのように 乗算と除算は逆の関係 にあります。

ところが 除算に ゼロが現れると

 

例えば、

 

÷0,

 

を考えると、1は 0に何かを掛けた数にならなければならないので、これは起こりえないですね。0に 何を掛けても 0ですから、考えられないと考えて来ました。 それゆえ、ゼロ除算は 神でも考えられないなどと 大げさに表現されてきました。

結論的に述べれば、ゼロ除算を 普通のように 掛け算の逆と発想すれば、当然、ゼロ除算は不可能、できません。考えてはならないとなります。

ところがゼロ除算を 除算の自然な発想で考えれば ゼロ除算は ゼロとして何時でも可能で、簡単で、美しい結果に纏められます。

何時でもゼロで割れて 結果はゼロです。

これは、ゼロで割ることは割らないこと、それ故に割り当てられる数は なく、ゼロである。

ゼロは 掛けても 割っても 結果はゼロと 美しく纏められます。

当然、=0 です。

 

ゼロで割れる自然な理由を述べました。 現在の数学はゼロ除算は考えてはならないですから、ゼロ除算の先は有りません。 ところが ゼロ除算は可能である、できるという考え方を紹介しました。 それが驚くべき新世界、新数学を開拓することが分ってきました。そこで、新世界の理解と解説を続けています: 次は小学生向きではなく、一般向きに 展望として述べました。

 

ゼロ除算の数学とは:

 

要するに 分母がゼロである ところで、あるいは 所謂 極と言って 孤立特異点を持つ解析関数で、あるいは ローラン展開で、今まで考えなかった、分母がゼロや極、あるいは孤立特異点 その点で、意味のある値が 定義されていた ということです。

これらは、ユークリッド幾何学、解析幾何学、微積分学、線形代数学、微分方程式、複素解析学に広範な影響を与える。現在、1200件を超える所見、具体例を持っていること。我々は 初等数学には 基本的な欠陥がある と述べている。

初等数学は 相当に変更されるべきである と考える。ゼロ除算は 数学者ばかりではなく 人類の、世界史の恥である と考えられる。

 

数学的な厳格な理論や応用、数学への影響、内容の出典、歴史などについては 下記を参照して下さい:

Introduction to the Division by Zero Calculus - Scientific ...

https://www.scirp.org › book › detail...

 

欠陥数学を隠し続ける数学界:

 

2022.2.8.17:20 独りでにそのように発想、言葉が湧いてきた。

これはゼロ除算、ゼロ除算算法による数学の欠陥、不完全性を繰り返し 指摘、真相の解明を訴え続けているにも関わらず、無視を続けている数学界を批判的に 表現したものである。私は、真相の解明を数学者として、続けて行く:

 

我々は繰り返し、現代数学には欠陥があり、恥ずかしい状態だと公言、広く世界の理解を求めてきている。真相は 明かにされなければならない。数学はおかしい と公言している。数学は恥ずかしい状態だと 言明している。 歴史的な判断を求めるために 著書の出版をした。 存念は相当表現して、心は晴れやかである:

 

Introduction to the Division by Zero Calculus - Scientific ...

https://www.scirp.org › book › detail...

 

Division by Zero Calculus—History and Development

https://books.google.com › ... › Books

 

2024.7.29.14:07

盛夏、偶然発見して精読した。良い。

2024.8.1.6:54 精読した良い。涼しい朝。