再生核研究所声明 6922022.7.5):  民主主義 投票率を挙げればそれで良いのか ー 多数決の原理は適当か

 

民主主義とは何か。 普通は関係者の自由意思で 多数決の原理で重要事項を決定して行く事と理解されているのではないだろうか。 多数決で決定していく事には、本質的な問題が存在するのではないだろうか。 典型的な学である、数学や物理学などでは それらの理論の適否、正しさなどは はじめから多数による決定問題はなく、真偽は多数決の原理によるは馴染まないであろう。 例えば日本国憲法は改正されるべき否か、原子力発電所は廃止されるべきか否がなどの いわば政治的な決定、判断を求められる場合が 現に存在する。 大事な観点は難しく確信、自信をもって回答できないことである。 多くは事情が分らないで、意思表示を求められて 投票で決定される場合が多いことである。 感覚的にいい加減に投票してしまう場合は多い。 そこであれも霞と民主主義と 民主主義を揶揄した言葉が存在する。 民主主義は 衆愚政治に陥りやすい難点が存在すると考えられる。 ある尊敬する先生が 民主主義には問題があり、独裁者の出現を抑えるくらいしか効用がないと言っていたものである。 独裁者を抑えるには 確かに重要な観点であることは、独裁者国家の様を見れば 歴然に理解できる。 その様な国では言論の自由などが保証されず、報道は制限され、基本的な人権が抑圧されている。

学問、研究などでは 真理の追究が真摯になされ、 それらの前提の上で、場合によっては多数の意見が支配的になる。

唯でたらめに 多くが投票すれば良い、 多数が参加すれば それで良いとは原理的にならないのは当然であるから、 投票する人の関与する課題に対する真摯な態度が 必要ではないだろうか。 在るべき社会の在りように対する 適切なある見識が求められる。 その様な意味からも 政治に無関心な人たちに対して、単に形式的に投票率を上げるような無理な呼びかけは避けるべきではないだろうか。 反って投票の質を下げることになるのではないだろうか。 政治や選挙に真摯な者が投票すれば良いのではないだろうか。 言論界、マスコミ界の普段の努力が求められる。

衆愚政治、より良い民主的な国家を築くにはどうしたらよいか 絶えず 検討して行きたい。 見かけだけの状況や形式だけに拘らず、 健全な社会のありようを求めて行きたい。

 

                                  以 上

 

2022.7.5.14:38 一気に書いたが平凡なものになり、軽くなってしまった。検討したい。

2022.7.6.05:00 意外に天気 晴れ。 これは当たり前だから良い、しかし、掘り下げると問題がある。同様の声明を書いたことがあるが、確認しない。 これは これで良いのではないか。

2022.7.6.05:14 いろいろ問題はあるが、先の仕事に取り掛かりたいので、これはこれで良いとする。 完成、公表。