君はファミコンのドラクエは好きだったかい?
僕は1作目から遊んでて、2作目は、
行列がすご過ぎて発売日には買えなかった。
もう30年以上も昔の話なんだけど、
いまだに買えなくて悔しかった事を良く覚えてる。
それくらい夢中になったゲームだった。
ゲームとはいえ、自分が勇者になれるって、すごく気分が良いよね。
ところでゲームの中では、僕(プレイヤー)は仕事をクビになったり、
破産したりする事もあるんだよね。
でも、全然落ち込まないんだよ。
むしろ「次はうまくやってやる」と、
むしろやる気になっちゃったりしてね。
もし本当の人生だったら、クビになると精神的に結構ツラいんだよね。
僕は実際、会社員時代にリストラされたので良くわかる。
クビになった時、ゲームならやる気になって、
人生だと落ち込むという、この差は一体どこから生まれるのだろうか?
おそらく、「『ゲームのキャラクター』と『自分』は、
『別人』だ」と思っているからじゃないかな?
だから、ゲームのキャラクターが破産しても平気なんだろうね。
それに、ゲームなら実生活にも影響しないしね。
一方、人生でクビになった時はどうだろうか?
僕の体験でいえば、生活の実見通しが立たないという不安感と、
自分自身が否定されたという、ダブルのショックに襲われたね。
そこで提案なんだけど、現実の自分自身も、
ゲームのキャラクターとして考えてみたらどうだろうか?
君はもしかしたら、
「現実の自分とゲームのキャラクターはまったく違う」
と言うかもしれない。
でもよくよく考えると、『現実の自分』も、この世に生を受ける時、
「私は、この時代の、この国に生まれる」って、自分の意思で
選択したわけじゃないよね。
気づいたら、勝手に自分の人生は始まっているんだよね。
これって、ある意味ゲームと似てると思うんだ。
「生きるのがツラい……」と感じる人は、
『人生』を『人生』として生きてはいけない。
ちょっと引いた視点で、「そういうゲームなんだ」
と思う事も必要ではないかな?
なぜなら人間は、生きている以上、
「楽しいな!」と思える方が良いと思うから。
特に日本は豊かな国なので、セーフティーネットがたくさんあるんだよね。
だから現実をあまりにも悲観し過ぎるより。「まぁ、ダメになっても生活保護もあるしな。
そういう体験も面白いかもな」というくらいに受け止める方が良いかもしれないよ。