震災の日に、偶然、東京にいた私達。

翌日の夕方、6時頃でしたでしょうか
やっとの事で、
無事、千歳行きの飛行機にのることができました。

東北の上空を飛んで行く時に

なんとも言えない気持ちとなりました。

羽田で、一緒に、飛行機まちをしていて

仲間?と、なった方がたのことも、

気にかかりました。

仙台に行く方もいて。

どうされたかと。。。

前日、震災がおきてからの事が

おもいおこされました。

。。。。。。

歩道で、電柱がゆらゆら揺れて

倒れてくるのではと、不安になりながらも
その付近で、叫んで、立てなくなりしゃがみこむしかなかった、若い女性のすがた

思わず逃げ込んでしまったコンビニ。。
そのコンビニの店員さんの冷静な姿

タクシーの中からみた
電車の各駅から、溢れでてくる大勢の人。人。人。
ホテルの玄関前で、タクシー待ちをしていたときに、
お互い協力しあった、前後の方たち

公衆電話の長蛇の列

避難場所として解放された
ホテルのロビーで、騒がず、じっと、待ち続ける大勢の人。

エレベーターが動かず、33階の部屋まで、一気に、歩いてのぼったときに
途中で一緒になった、
初老の外国人と30代位の女性のカップルの暖かい会話

羽田へいく、京急線の大混雑

羽田で、大勢の人が、物凄い行列をつくり
ながらも、我慢強くまっている人達の姿

その中でも

私の中で
一番、不安で、心細かったのは
避難場所として解放された
ホテルのロビーでの数時間でした

長男の所在が全くわからず
新宿からホテルのある品川までこれるのかどうか
無事かどうか
自分が、いつ、札幌にかえれるか
明日か、何日も後か
スーツケースはどこにいったのか
色んな事が心配になり不安になりました。

そんなとき
質問しにいった、ホテルの関係者が
大勢の人の対応に忙しい中、私にも、対応してくれて
寒さと、気持ちが弱くなっていたためか
眼から涙が滲みそうになり。。、
その時、大丈夫ですか?と、ティッシュを
渡してくださいました。。。

そして、座るスペースを見つけずに、呆然として立ちすくんでいた私に、

自分の座っている椅子を半分あけて、

だいじょうぶですか?一緒にすわりましょう

と、いってくれた、二十歳ちょっとの女性。。
優しさが身にしみました。。

タクシー待ちをしているときと
羽田でカウンター待ちをしているときも
前後の方達と、情報交換をしあい
トイレへ行くときは、場所や荷物を、お互い見まもったりという

助け合いも、おきていました。

皆、それぞれに、大変な事態になっているのに
お互いを思いやる気持ちがありました

『東京って、いい人ばかりだな。。』

いいえ、そうではなくて
『日本人っていいな。。。』

いいえ、外国人の方もいました。
『日本に住んでいるっていいな!』

そんな風にかんじました。。。

ほとんど誰一人として
大騒ぎして、怒り出す人がいなかったのです!
これは、驚きかもしれません。

実は、避難場所で一人だけいました。
初老の男性でした。
彼は、その日宿泊予定の部屋にいれろと、大きな声で怒っていました。
わたしも、気持ちは、よーくわかりました。
私だって、前日宿泊して、当日宿泊予定で長男の荷物がはいったままになっていた、部屋に入りたい気持ちでしたから。
でも、他にもたくさん同じような方がいたはずなのです。
でも、他には誰一人も騒ぐ人はいなく。
皆、じっと我慢して
ホテルの部屋があくのを待ち。
仕事場から帰れなくなった帰宅難民の方達は
電車がうごきはじめるのを
待っていました。

皆、相手をおもいやり、助け合う気持ちをもっていました。

帰りの飛行機のなかで
私の心の中には、

大変だった、
ほっとした、という気持ちとどうじに

日本に住んでいる人々の素晴らしい心をみた思いで
感動がありました。。。

ほんとうに

震災の日、を、東京で経験したことは

今の私のなかで

とても、大きな事として

宝物?となるような経験の一つとして

のこっています。。

皆様

さいごまで
読んでくださってありがとうございます。

そして、
震災で、被害にあわれた方々に

心から、お見舞いを申し上げたいと思います。