震災の日。その4です。

品川の巨大ホテルの一階のロビー部分が避難場所となり
私はそこに、いるしかなくなりました。

時刻はよる7時頃。
長男は、新宿で別れてから
連絡がつかず、どうしているかと
心配でした。

避難場所は、人で埋め尽くされていました。
皆それぞれに座り、歩くスペースもなくなりました。
ホテルの方達は、忙しく、対応していました。

羽田が閉鎖されたことを知った私は、当然札幌へもどるのは諦めていましたが。
ふと、今朝、羽田へおくったスーツケースがどうなってるのか、きにかかりました。

できれば、送り返してもらえたら。。
しかし、問い合わせると、

この状況では、どこにあるのかすら、わからず、

最悪、札幌へおくってもらえたとしても、どれ位日にちがかかるか分からない

と言われました。
私は、スーツケースも諦めざるを得ない状況を、理解するしかありませんでした。

避難場所には
仕事先から、自宅へ帰れずに困っている方々が、たくさんとどまっていました。

私は、札幌へいつ帰れるのか、
今晩は、ここで夜明かしする事になるのだろうか、
長男は無事、宿泊先となっていたこのホテルにやってきて、会えるのだろうか。。。
などなど、色々考えて、心細い気持ちになり、
座るスペースもなく、立ち尽くしていました。

そんな様子をみてか、二十歳くらいの女の子が、私に、自分のすわっている椅子を半分あけて、一緒にすわりましょうと、言ってくれました。

私の方がずっと年上なのに、見ず知らずの私に、そんな優しい事を言ってくれました。
彼女は、仕事場から帰れずにいて、東京駅にいたお父さんが、娘のいる、そこの避難場所まで歩いてきて、二人で一緒に電車が動くのを待つつもりですと、言っていました。

そのうち
携帯が、いくつか、メールを受信しはじめていることに、きづきました。
そこで、長男が、新宿から歩いて品川のホテルに向かっていることがわかりました。
新宿から品川まで、道順がわかって、たどりつけるのか、
はたして、徒歩でどの位かかるのか、わかりませんでした。
ただ、確か、以前に、タクシーを利用した事があって、3000円代だったことを思い出し、10キロ前後かもしれない。あの子は、体力もあるし、問題なく歩けるのではないか、と、かんじました。

長男が品川のホテルの避難場所に着いたのは、それから、一時間ほどであったとおもいます。
8時前後だったような。

彼は、避難場所の、大勢の人の中から、私をすぐ見つけたようです。
よくすぐわかったわね、と、言うと、

私の着ていた、ピンクのスプリングコートが目印となったと言われました。
ピンクのコートが、こんな事に有効であるとは、思いがけない効用でした。

そして、彼はこんな事をいうのです。

「じつは、19歳の女の子と一緒にきて、その子を見届けてから、また、ここに戻るから。」
と。
え??
誰?その子は?

後から聞くと
新宿で、電車がとまっているので
電車に乗れなかった大勢の人達が歩きはじめ
自分も、部屋をとってあるホテルのある品川を目指そうと歩いていたら
同じ年頃の五、六人のグループの子達と一緒になって歩いていた所
その中の1人の19歳の女の子が品川へ向かうので、ほかの子達が、長男に
「19歳の子と、一緒に品川まで歩いてくれないか、」と、頼んだというのです。
その話を聞いて、え??と、おもいました。
歩くのに、そばについてくれ?

彼、いわく

「物凄い人混みで凄く危険で。危なかった!
特に、渋谷の交差点や、横断歩道橋はひどい!!」

その話を、きいて、はっとおもいました!
以前に花火のお祭りで
歩道橋で、将棋倒しになり、死亡事故があったことがありました。
そのような、危険な状況だったのでしょう。

19歳の女の子の仲間は
「君は体が大きいから、一緒に品川まで彼女を守って歩いていってくれ」

と、長男に頼んだというのです。
確かに長男は182センチあり、大勢の人混みの中で、埋もれる不安が少なく、女の子を守ってくれると

見込んだのでしょう。

見ず知らずの長男に、女の子を託した男の子たち
そして、ちゃんと一緒に守って歩いてきた長男。。
なんとなく、じーんとしました。。

そして
その女の子の家族が品川で待ち合わせてるようだから、今、それを見届けてから、私のところへくるというのを聞き、優しい子に育ってくれたなあ、と、嬉しくも思いました。

後から
新宿から、品川までどれ位歩いたのかと聞きました。

はっきりわからないようでしたが
2時間か3時間位との事。
長男は、特に疲れている様子もなさそうでした。

安心しました。

そこで、私たちは、ホテルの部屋に入れるかどうかわからないまま、避難場所にいることとなりました。

そして、10時くらいだったかと思います。
「エレベーターは使えませんが
階段でよければ
お部屋に入ることができます!」
という、ホテル側から、案内がありました。

私たちは、前日宿泊した、長男の荷物もおいてある、その部屋に
すぐ、入ることに決めました。

他の人達は、エレベーターが使えるまで待つという方もいましたが。
私たちは、すぐにでも、部屋に入りたいと、申し出ました。

そして。ふたりで。
部屋を目指しました。
なんと33階!

非常階段で33階まで、というのは、
思った以上に、なかなか大変でした。
でも、長男は、私の荷物をもって助けてくれて、

ふたりで一緒に、一気に?33階まで登りました。

部屋にはいると
朝食を食べたあとから、何も食べていない事を思い出し。
ホテル内の施設では、地震の影響でか、食事をとれる所はなく。。

避難場所の方達には、簡単な非常食が配られているようでした。
水と乾パンのようなものだったのではないかとおもいますが。

私たちは、後から近くのコンビニに食べ物を探しにいきました。
そこも、すでに、長蛇の列で、お店の中には、おにぎりやお弁当や軽食のような物は一切ありませんでした。

私にとっては、
食事はできなくてもどうでもよくて
ベッドで眠ることができるという、幸せを感じ、ほんとにほっとしました。
ただ、
まだ、ロビーの避難場所にいらっしゃる方々には、とても申し訳ない気持ちになりました。

そして長男と、

翌日、羽田は閉鎖されているけど
大阪からなら行けるのではないか
とか
どうやって札幌へ帰ればよいか、と、話し合いました。

結局
翌日、電車が、再開されるかどうか
朝までまって確認して
もし、品川から羽田までの京急線が開通したら、すぐに、羽田へ行くことにしよう、

と、話して、眠りにつきました。