震災の日の続きです。

タクシー待ちをしていた私は
震源地が東北らしきことをききました。
ホテルは、閉鎖されてしまいました。
タクシーは、長蛇の列で
とうてい、飛行機の時刻にまにあいそうにありません。

携帯はつながらなく、
公衆電話に並ぶことにしました。

とりあえず
チケットの手配をした、カード会社へ連絡をとろうとしたのです。
が、なかなか繋がらず
私は、タクシーの中でいちど電話をしていた、うちのクリニックに電話をして、院長から電話をしてもらおうと考えました。
クリニックにやっと繋がって、院長に話すと。

開口一番。。。
「それどころではない!こっちも大変なんだ!」
と、怒られてしまい。
「札幌もそんなに地震が酷かったの?」
と、たずねると。
「急患で忙しくて、それどころではないんだ!」
と、叫ばれて、切られてしまいました。。。
なんと。。。。


そこで、なんとか、再度自分で公衆電話にならんで、何度もかけて、やっと繋がりました。
そして、そこで、驚くべきことをききました。

「羽田が閉鎖しています。
飛行機は、とばないと思われます。」

はたして
どうしたら良いのか。。

そうこうしているうちに
タクシー待ちをしている方たちから
少しずつ、情報が入ってきました。

東北で津波があったようだ

電車も、新幹線も
飛行機も、すべてとまっている

東京は交通渋滞で、車が、全くすすまない

ホテルは閉鎖されていて中にはいれない。

タクシーにのるのを諦めはじめた人たち

電車に乗れない人達。


たくさんの人々が、あたりに、たまりはじめていました

そこで
避難場所へ移動してください

と、誘導がはじまりました

避難場所とは、近くの公園らしき
場所のようでした

東京とはいっても、3月の夕刻は
風も冷たく、寒さがおそってきました

ホテルのロビーの中には、はいれず

唯一、トイレと公衆電話の場所だけが
屋内のスペースでした

私は寒くて、外にいられず
公衆電話待ちの列に並ぶことにして
屋内に居座りました。

そして
はたと、気づきました!

長男はどうするんだろう?!
新宿へ行ったきり
離れてしまい
電車もうごかず、タクシーも使えず
土地勘のない東京で、どのようにして、ここの品川のホテルまで来れるのか。。

その時は、もう
飛行機は、時間切れで、諦めの境地でした。
それよりも、長男のことが、きにかかり、また、今日は、私はどうなるのだろう、と、不安になりました。

そして、数時間がたち
たしか、6時か、7時ころに
やっと、
そのホテルの一階のロビー部分が、避難場所となりますと、
解放されることになりました。

ロビーは、人でうめつくされ
歩くスペースもないほど、
びっしりと、人々に埋め尽くされました。

ホテルの従業員は、宿泊は、
本日は満室で、空き部屋はなく
予約されている方も、まだ、部屋にはいることはできません、と、話していました。
部屋に荷物があっても、部屋に
はいることはできないという返答でした。

結局
帰宅難民の人々は、この避難場所で
夜を明かすことになるのでは
そういうことが、予想されます

私は
長男が無事でもどってくるか、という心配と
自分が今後どうなるのか
不安が押し寄せてきて
心細くなりはじめました。

よく考えたら
朝食をたべたきり、
何も口にしていませんでした。