おはようございます


暖かくなるようです






「自分がされたらとても怒るのに
自分はしてても気づかない」

と、 相談があります

自分以外の人が 
「うーん、常識の範囲でギリギリアウトかなー⁈ 」
な光景を見たら  血相変えて メチャメチャ怒るらしい
そして、
はた、自分は 常識の範囲外を外れてする

  こんな時  どうしたらいいんですか?

と、 相談があります。


正直、スピリチュアルな相談の解決ではなく
禅の学びなのですね

  人からされて嫌なことは自分も行わない

の、禅の修行なのです。

ま、それこそが、モラルという倫理の話です




モラルは本や著者などに記述されることない 目に見えない心の法律です
その目に見えない法律だからこそ
もっと目に見えない  境界線があります
しかし、その境界線とは
ときには、  嘘も方便   という致し方ない 嘘をついて その場を計らう  というような
境界線がいとも簡単に消えることだってあります

その境界線をしっかり保ったり
ときには かき消したりする事を
人は 普段の生活で 示し申していく姿を日頃から表しておかねばなりません


ようするに、
辻褄の合わない暮らしをしててはいけません

人に働けというのに 自分は働いてない
人のことを嫌うのに自分は嫌われたくない
文句言うのに 文句を言われたくない

頭で思って口に出す言葉と
普段の行動に   辻褄があってないと
倫理の境界線は とても理不尽になります





倫理の境界線ってね
辻褄のあう人同士だと   みんな一緒の境界線を持っているのです
だから
辻褄のあってる人同士は お互いが共感しあえるから  発展しあえるのです



自分の辻褄があってるあってないは
友達を見れば良い
友達は  教えてくれています
自分が 間違った時 友達からの助言は素直に聞けます
「あっ そうか!」  と 素直に聞けます



常識や倫理なんて 事細かく記してある本などはありません
人間性   人間力   それらを成長させたとき
心にできる   目に見えない 真理の本です



どうやって成長させるか?
常に、相手の立場に立ち
奉仕の精神をもって生き続けることです
してもらうのではなく  させてもらう
の精神 を無くしてはいけないのです



    偉い人ほど  ちゃんと  働いてます