私はお互い様という心を大切にしている。
人は一人では生きていないのだから、私的な関わり合いはもちろん、仕事においても「あなたあっての私」という精神を忘れてはいけないと考えている。ただの一会社員ならば、自分の成績のために利益や売り上げを追求するのも仕方ないが、経営者は少なくともそうした気持ちを持っていて欲しいと私は思うのである。
そうした意味では、経営側との意識のズレを感じている部分がある。これが絵に描いたような悪徳経営者ならばさっさと去るところだが、下手に人がいいからタチが悪い。きっと悪気があってやっているのではないからなのだろう。
うちの社長はよく「お客に迷惑がかかる」「お客のため」という言葉を口にする。しかし、その言葉を従業員が素直に受け取れなかったり、どこか曲がって聞こえてしまうのは、その思いの真意が本当にお客さんのためではなく、自分のためであるからだと思う。
うちの経営者は人のためになり、人を大切にし、そこから商売につなげて自分も相手も笑顔になるという考えは欠落している。いかにお金を引っ張り出す口をたくさん作るかということが第一なのである。それが無くなれば自分が困る。だから「お客に迷惑はかけたくない」。
それを感じ取るから従業員はそのやり方から一歩引いたところにいるようになる。仕事だから割り切ればいいかもしれない。けれど、誰だっていい気分はしない。自分の仕事で人に感謝されたいし、人の役に立ちたいものだ。
社長はお得意様からこそたくさん金を取らないといけないと云う。そのために関係を作っているのだという。お客さんが人ではなくお金に見えている。経営とはそういうものなのだろうか。商売とはそういうものなのか。私が非現実的な理想を掲げているのだろうか・・・。
たまたま今はまぐれでそれが成功している。ただ、それは一時的なもので、成功しているように見えているだけだと思う。長続きはしないだろう。いつかやっていることがバレる時が来る。目先の実績や利益だけを追求しすぎている。まだ若いからそうなるのかもしれない。でも、気が付いたときにはもう手遅れとなるだろう。
10年、20年先のことを考えたら私はもっと本当の意味でのお客さん第一主義が必要であると思う。正直、申し訳ないけど10年後どころか5年、いや3年後にはもう私はここにはいないと思う。だから割り切ってぼったくり商売をやっていればいいかもしれない。でも、私はだからといって自分の生き方や人生観を捻じ曲げようとは思わない。今はそれで実績も出しているから文句も言われまい。
私はおこがましいかもしれないが、この会社の最後の良心でいたい。でも、それは決してヨコシマな動機ではなく、本当にお客さんに感謝している上、1人の人間として関係作りをしていくことを一番大切にしているからだ。だから自分がしたことに対してお客さんも返してくれる。結果は付いてくるものだ。
だから私がいなくなった時、その意味がわかるようにしておきたい。私がごっそりお客を持っていくことで。
鉢呂 前経済産業大臣が辞任した。原因は失言だという。ひとつ明らかになっているのは福島県を視察して言った「死の街」という発言。これは実際テレビカメラの前でも言っており、国民の目にも明らかである。そしてもうひとつの理由が、放射能を付けた付けないという言動である。マスコミが主張しているものの、これは極めて不明点の多いことである。なぜなら、カメラも何もなく記録に残っていない。我々国民が判断することができない理由も含んで辞任するという。
私は真実は一体なんなのか、いろいろと調べていたが、さまざまな情報を総合するとおそらくこういうことではないかと分析する。
福島県から戻り、記者の前に現れた鉢呂氏は大臣などが被災地を視察する時によく着ている防災服を着たままだったという。当然放射能が多い地域も行っている服のままであるから、その防災服に付いている放射性物質については心配はある。その点、記者がしつこく言った場面があったようだ。しかし、就任したばかりということもあり、震災対応で寝る間もない大臣であるから、当然着替えている時間もなく、少しイラっと来た鉢呂氏が記者に一歩近寄ったというような話である。マスコミはその先を「放射能をつけてやる」などと言ったとしているが、そうした発言があったかどうかは確証がない。確かに、放射性物質が付着している服を着ていて、それを指摘され近づいて来れば「俺に付ける気か!!」ということになる。つまり、この事件に関しての本当の解釈は、新聞記者が「ボク、大臣に放射能付けられそうになった!!」ということである。まったくもって個人的な恨みを記事にしたに過ぎない。実際、鉢呂氏はそのようなことは言ってないだろう。なぜなら、新聞各紙全部が全部表現が違う。
これは大変な問題である。なぜなら記者の勝手な私怨で国民のために働いている大臣を辞任に追い込む。映像にも音声にも残っていない不確実な根拠により、国民が知ることができない理由で、大臣を辞めさせるのである。こんなことが通るならマスコミはすべての人間を陥れることができる。ありもしない捏造によって人の人生を台無しにして来た事実は枚挙に暇がない。こうした誤った権力の乱用というものを、そろそろ厳しく罰する法律を作るべき時に来ている。
私は鉢呂氏はこうした言動の責任を取ったのではなく、こうしたマスコミの腐った手に乗ってしまったことで辞任したと見ている。確かに与党経験が未熟な民主党議員はそうした揚げ足取りをされまくっている。まだ、マスコミを信用していたりする人もいる。やはり一人前の政治家になるためには、そうしたメディアとの関係をどう築けるかということが重要になってくる。私は、前の記事で野田総理はマスコミの息があまりかかっていない総理でいいと言った。短期間の代表選によって、マスコミにコントロールされることなく、日本の総理が決まった。しかし、メディアにとってはそれはおもしろくないことである。今までほとんどの政権で、総理になれたのも俺たちのおかげだろ?と言える関係を築き、そしてうまい汁を吸ってきたのだから。しかし、野田総理はそうではない。さて、どうしてやろう。大臣を何人辞めさせられることができるかな・・・。こういうことである。俺たちの力があれば大臣の一人や二人の首など飛ばしてやれる。マスコミは今、そればかり狙ってつまらん質問をしては失言を引き出すことに一生懸命だ。
つまり、これからまだまだ槍玉に挙げられる大臣は出てくる。その度に大臣は辞任するのか。私は最近のこのすぐに辞任するという風潮はおかしいと思っている。プリクラ流出したからグループ辞めます、ブログが発覚したからキャプテンは辞める、この前もあるマイナーなアイドルが体調不良で仕事を遅刻しただけでその仕事を降りていた。なんなんだろうかと思う。一見すると辞任することは重い責任の取り方のようにも思える。しかし、本当はそうじゃないだろう。人間なのだから間違いはあるし、失敗だってある。そうしたことを乗り超えながら立ち向かう姿勢こそが、今必要なことじゃないか。そういう芯の通った人間が政治家として求められるし、マスコミがなんと言おうと良い仕事もしているのなら総理、党はもとより野党もそれを認めて守るくらいの一体感がなぜない。私はどちらかといえば自民党に望みを持っていたが、野党になってからの自民党はひどいもんだ。君たちが与党の頃はまったく同じことをしてなかった?と問いたい。くだらない足の引っ張り合いをする暇があるなら、この国のためのことを考えて欲しい。今は政権の座に就くことは二の次にしろ。
私はもっと国民にはその先の報道しないところを見てもらいたいと思う。鉢呂大臣は実は大臣就任前から福島をよく訪れて、子どもたちが安全に生活できるように尽力していたということを。この辞任を大変残念に思い、マスコミはいらんことをしてくれたと思っている人は被災地だけでなく自民党にも実はいる。経済産業省の内部でもアグレッシブに悪い人材を放出しようとしていたという。良い仕事をしようとすると叩かれる。おそらく、記者と官僚は癒着しているのだろう。
国民はこんなことにもう騙されてはいけない。マスコミが国民不在で勝手に政治を牛耳るなどということはあってはならない。こんなマスコミは早急に放送免許を取り消さなければならないし、私たちも見ないようにしないといけない。そして、今のこの国に必要なのはすぐに辞任する逃亡癖のある人間ではなく、良いことを最後までやり通せる肝の据わった人である。私たち国民もすぐに資質がないとか、辞任しろというのではなく、その人の本当にやろうとすることで評価して、くだらない言葉狩りに惑わされないようにしなければならない。
私は真実は一体なんなのか、いろいろと調べていたが、さまざまな情報を総合するとおそらくこういうことではないかと分析する。
福島県から戻り、記者の前に現れた鉢呂氏は大臣などが被災地を視察する時によく着ている防災服を着たままだったという。当然放射能が多い地域も行っている服のままであるから、その防災服に付いている放射性物質については心配はある。その点、記者がしつこく言った場面があったようだ。しかし、就任したばかりということもあり、震災対応で寝る間もない大臣であるから、当然着替えている時間もなく、少しイラっと来た鉢呂氏が記者に一歩近寄ったというような話である。マスコミはその先を「放射能をつけてやる」などと言ったとしているが、そうした発言があったかどうかは確証がない。確かに、放射性物質が付着している服を着ていて、それを指摘され近づいて来れば「俺に付ける気か!!」ということになる。つまり、この事件に関しての本当の解釈は、新聞記者が「ボク、大臣に放射能付けられそうになった!!」ということである。まったくもって個人的な恨みを記事にしたに過ぎない。実際、鉢呂氏はそのようなことは言ってないだろう。なぜなら、新聞各紙全部が全部表現が違う。
これは大変な問題である。なぜなら記者の勝手な私怨で国民のために働いている大臣を辞任に追い込む。映像にも音声にも残っていない不確実な根拠により、国民が知ることができない理由で、大臣を辞めさせるのである。こんなことが通るならマスコミはすべての人間を陥れることができる。ありもしない捏造によって人の人生を台無しにして来た事実は枚挙に暇がない。こうした誤った権力の乱用というものを、そろそろ厳しく罰する法律を作るべき時に来ている。
私は鉢呂氏はこうした言動の責任を取ったのではなく、こうしたマスコミの腐った手に乗ってしまったことで辞任したと見ている。確かに与党経験が未熟な民主党議員はそうした揚げ足取りをされまくっている。まだ、マスコミを信用していたりする人もいる。やはり一人前の政治家になるためには、そうしたメディアとの関係をどう築けるかということが重要になってくる。私は、前の記事で野田総理はマスコミの息があまりかかっていない総理でいいと言った。短期間の代表選によって、マスコミにコントロールされることなく、日本の総理が決まった。しかし、メディアにとってはそれはおもしろくないことである。今までほとんどの政権で、総理になれたのも俺たちのおかげだろ?と言える関係を築き、そしてうまい汁を吸ってきたのだから。しかし、野田総理はそうではない。さて、どうしてやろう。大臣を何人辞めさせられることができるかな・・・。こういうことである。俺たちの力があれば大臣の一人や二人の首など飛ばしてやれる。マスコミは今、そればかり狙ってつまらん質問をしては失言を引き出すことに一生懸命だ。
つまり、これからまだまだ槍玉に挙げられる大臣は出てくる。その度に大臣は辞任するのか。私は最近のこのすぐに辞任するという風潮はおかしいと思っている。プリクラ流出したからグループ辞めます、ブログが発覚したからキャプテンは辞める、この前もあるマイナーなアイドルが体調不良で仕事を遅刻しただけでその仕事を降りていた。なんなんだろうかと思う。一見すると辞任することは重い責任の取り方のようにも思える。しかし、本当はそうじゃないだろう。人間なのだから間違いはあるし、失敗だってある。そうしたことを乗り超えながら立ち向かう姿勢こそが、今必要なことじゃないか。そういう芯の通った人間が政治家として求められるし、マスコミがなんと言おうと良い仕事もしているのなら総理、党はもとより野党もそれを認めて守るくらいの一体感がなぜない。私はどちらかといえば自民党に望みを持っていたが、野党になってからの自民党はひどいもんだ。君たちが与党の頃はまったく同じことをしてなかった?と問いたい。くだらない足の引っ張り合いをする暇があるなら、この国のためのことを考えて欲しい。今は政権の座に就くことは二の次にしろ。
私はもっと国民にはその先の報道しないところを見てもらいたいと思う。鉢呂大臣は実は大臣就任前から福島をよく訪れて、子どもたちが安全に生活できるように尽力していたということを。この辞任を大変残念に思い、マスコミはいらんことをしてくれたと思っている人は被災地だけでなく自民党にも実はいる。経済産業省の内部でもアグレッシブに悪い人材を放出しようとしていたという。良い仕事をしようとすると叩かれる。おそらく、記者と官僚は癒着しているのだろう。
国民はこんなことにもう騙されてはいけない。マスコミが国民不在で勝手に政治を牛耳るなどということはあってはならない。こんなマスコミは早急に放送免許を取り消さなければならないし、私たちも見ないようにしないといけない。そして、今のこの国に必要なのはすぐに辞任する逃亡癖のある人間ではなく、良いことを最後までやり通せる肝の据わった人である。私たち国民もすぐに資質がないとか、辞任しろというのではなく、その人の本当にやろうとすることで評価して、くだらない言葉狩りに惑わされないようにしなければならない。
新聞社のHPの記事に「復興増税に6割が賛成」なる話が出ていた。安住とかいう財務大臣もテレビに出演し、「税金を納めてもいいだなんて、こんな尊い声はない」などと発言していた。しかし、私は不思議でならない。誰がそんなことを言っているのか?聞いたことがないのである。
我々のような若い世代に増税してもいいよと言えるような生活をしている者はいない。私のような曲がり者は例外としても、まともに人生歩んでいるやつだって、生活が苦しいと言っている。日本の会社の97%を占める中小企業に勤務している20~30代の給料は、もはや仕事をするのが馬鹿馬鹿しくなるレベルにあるのだが、それでも仕事があるだけマシとみんな我慢しているのである。
そういった現実の中で、まだ私のような気楽な独身族は最低限の贅沢もできるが、結婚して子どもでも産まれれば家計のやりくりに苦労するのが普通である。特にこの島根・鳥取の賃金レベルの低さは悲惨なもので、大学生のアルバイトと変わらない!と思うくらいである。共働きが当たり前。2人で働いてやっと都会の1.5人分の収入を得る。
そんな我々の世代に、誰が増税OKと言う者がおるのか。結論から言えばおりません。では、誰がこんなことを言っているのか。老人なのでございます。散々借金を作り、若い世代に先送りして来た高齢者。現在も若い世代よりもたくさんの年金をもらっている年金生活の老人が、ワシは先も短いし(貯蓄だってたくさんあるから)、少しくらい増税されてもかまわないと、こう言っているに過ぎない。
これはまったく国民の意見を反映しているとは言えないわけです。若い世代を無視した増税議論であり、野田首相の言う「負担を次の世代に先送りにしない」という耳障りのいい言葉は、実は「負担を次の世代に押し付ける」という意味なのです。
私たちの世代としては、負担先送りいいじゃないとなります。当然です。今までそうしてきたのになぜ突然私たちの世代になったとたん、親や祖父母世代の作った借金と自分たちの代で起こった災害などの負担を一緒にかぶらなければならないのでしょうか。そんなバカなことはあるかとなります。
税金は平等に徴収しなければなりません。同じ痛みを分かち合わなければならない。そのためには金持ちからは多く取らなければならないし、年金生活の高齢者からも取らなければいけない。さらに、増税をお願いする政治家や役人は賃金を3割以上カット。そうしなければいつの間にか恒久的な増税になるに違いありません。その他、わけのわからない公益法人をすべて廃止したり、日銀に多少のお金は新規で刷らせるといったことも必要です。
こうしたあらゆる手を打ち、すべての人、世代が痛みを分け合わなければ我々の世代は増税なんて受け入れることはできません。私たちの世代だって黙っているわけではない。東京がロンドンのようになる日はそう遠くないと私は思っています。もう40代以上に日本は変えられないと思う。
無能な彼らが「ゆとり」と笑う世代が日本を救うことになると私は確信しています。私は少しだけ上の世代になってしまうけれども、早く若い世代の手にこの国を取り戻さなければならない。そう思っている同世代の人は多いのではないかと思います。
我々のような若い世代に増税してもいいよと言えるような生活をしている者はいない。私のような曲がり者は例外としても、まともに人生歩んでいるやつだって、生活が苦しいと言っている。日本の会社の97%を占める中小企業に勤務している20~30代の給料は、もはや仕事をするのが馬鹿馬鹿しくなるレベルにあるのだが、それでも仕事があるだけマシとみんな我慢しているのである。
そういった現実の中で、まだ私のような気楽な独身族は最低限の贅沢もできるが、結婚して子どもでも産まれれば家計のやりくりに苦労するのが普通である。特にこの島根・鳥取の賃金レベルの低さは悲惨なもので、大学生のアルバイトと変わらない!と思うくらいである。共働きが当たり前。2人で働いてやっと都会の1.5人分の収入を得る。
そんな我々の世代に、誰が増税OKと言う者がおるのか。結論から言えばおりません。では、誰がこんなことを言っているのか。老人なのでございます。散々借金を作り、若い世代に先送りして来た高齢者。現在も若い世代よりもたくさんの年金をもらっている年金生活の老人が、ワシは先も短いし(貯蓄だってたくさんあるから)、少しくらい増税されてもかまわないと、こう言っているに過ぎない。
これはまったく国民の意見を反映しているとは言えないわけです。若い世代を無視した増税議論であり、野田首相の言う「負担を次の世代に先送りにしない」という耳障りのいい言葉は、実は「負担を次の世代に押し付ける」という意味なのです。
私たちの世代としては、負担先送りいいじゃないとなります。当然です。今までそうしてきたのになぜ突然私たちの世代になったとたん、親や祖父母世代の作った借金と自分たちの代で起こった災害などの負担を一緒にかぶらなければならないのでしょうか。そんなバカなことはあるかとなります。
税金は平等に徴収しなければなりません。同じ痛みを分かち合わなければならない。そのためには金持ちからは多く取らなければならないし、年金生活の高齢者からも取らなければいけない。さらに、増税をお願いする政治家や役人は賃金を3割以上カット。そうしなければいつの間にか恒久的な増税になるに違いありません。その他、わけのわからない公益法人をすべて廃止したり、日銀に多少のお金は新規で刷らせるといったことも必要です。
こうしたあらゆる手を打ち、すべての人、世代が痛みを分け合わなければ我々の世代は増税なんて受け入れることはできません。私たちの世代だって黙っているわけではない。東京がロンドンのようになる日はそう遠くないと私は思っています。もう40代以上に日本は変えられないと思う。
無能な彼らが「ゆとり」と笑う世代が日本を救うことになると私は確信しています。私は少しだけ上の世代になってしまうけれども、早く若い世代の手にこの国を取り戻さなければならない。そう思っている同世代の人は多いのではないかと思います。
本日、野田佳彦氏が国会で第95代内閣総理大臣に指名された。日本国では象徴であるが事実上の国家元首である天皇陛下から任命を受けなければ就任にならないため、正式な総理大臣の就任は9月2日の見込みである。
元々今回の民主党代表選挙では、有力とされていたのは前原と野田の2名であった。しかし、最終局面で小沢一郎が海江田万里を支持する旨発言したため、突然海江田が主役クラスに躍り出た。「神輿は軽くてパーがいい」。小沢が言ったとされる有名な台詞である。そもそも経済産業大臣として今回の原発問題関連の追求により「ボクもうイヤ・・・」といわんばかりに委員会で泣き出し、責任を取って辞任すると言っていた人間が代表選=総理候補者選びに出ようというのがそもそも理解不能(なぜ昇格する?)だったが、おそらく裏で小沢に出馬をそそのかされたのだろう。
党内でその時点で最大のグループを誇っていた小沢の支持を得られれば、この乱立状態の中で総理になれる可能性は一気に高まる。本来海江田など絶対総理になれるわけがないのだから、たとえ小沢の犬に徹することになっても悪い話ではない。しかし、小沢もドSだ。「僕が小沢政治を嫌いなほんとの理由」なんて本を書いた人物を神輿で担ぐ。これで総理になれば海江田は二度と小沢に足を向けて寝られない。頭が上がらない。際立つは海江田の身の程知らずと愚かさである。
その海江田総理実現。これだけは避けなければならなかったわけだが、さすがの民主党議員もわかっていたのか。突然髪型を変え威厳がある風に偽ったが、短時間では風格の無さや頭の悪さを誤魔化すことはできず、あの幼稚な演説でやっぱりやめたという議員も多数いたようだ。
本来なら、私は前原総理十分あったと思う。というよりも、野田総理の方が意外な展開であろう。しかし、前原は昨年韓国人からの献金問題で外務大臣を辞任しただけでなく、お世話になった人とはいえ韓国籍の人物を外務大臣の椅子に座らせている写真などが流出。若年層人気が一気に落ちてしまったばかりでなく、この代表選のさなかにも外国人からの献金が発覚しており、今この人を推すのは危険という雰囲気が流れてしまった。そのため、今回の入閣もなく政調会長となっている。
今回、代表選が唐突に行われて、あっという間に決まってしまった件についてはマスコミだけで非常に批難されていた。しかし、この日程を決めたのは誰だろうか。岡田幹事長だろうか? なかなかやるなと思う。少なくともこの日程を決めた人物は、多少この国のことをまじめに考えている人ではないかと思う。もちろん民主党のこともだ。当然これで失敗すれば民主党は選挙で大敗し、存続すら危うい。
なぜ、私がそう思うのかというと、例えばこの民主党代表選を立候補から投票まで1週間取ったとしよう。私はおそらくそのくらいの期間があれば前原総理になったと思う。前原は純日本人にとってはあまり喜ばしくない政策を求める筋の人も支援しているし、何より野田よりはるかに甘いマスクで今時テレビなんか見ている層のウケもいい。1週間もあればおバカの「お」はおばさんの「お」と言われる人たちを前原推しに変えてしまうことは十分に可能である。そして、国会議員もまた情けなくその雰囲気に流され勝ち馬に乗ろうとする。
マスコミは政策論争ができないとか、こんなに簡単に日本の総理大臣を国民不在で決めていいのかなどとキレイごとを並べて不満を露にしていたが、なんのことない本音は俺たちが総理を決められないじゃないかと!ということである。
今の日本、本当に大変な時である。震災だけではない。この国の行く末がどうなるのかという大事な絶対に外せない総理選び。それに芸能人的な人気の視点なんて絶対入り込んではいけない。ましてや日本の腐りきったマスコミの意向が反映されてしまうなんてあってはならないことである。マスコミに借りを作ってはいけない。それを最小限に阻止したという点で、私は民主党を少し評価している。
野田新総理大臣は、自身が「どじょう」と言ったように見た目はカッコいいとは言えないし、まだカリスマ性もそんなに見えなければ、国民から人気があるわけでもない。しかし、これまでの日本の総理はそうした変なことで選ばれすぎた反省がある。今はそういう時ではない。実務派、誠実な人柄、党内だけでなく野党も含めて信頼を得られる人。そうした人が一番総理になるべき時である。また、変なイメージ先行ではなく、リアルから入れる人。私が積極的ではないにせよ、この候補者の中では野田氏を推したのはそうしたことからである。
振り返れば11年前。小渕総理も存在感が地味であれこれ言われた。よく考えれば見た目が地味とかそういうことを総理に求めている日本のマスコミのレベルの低さをこの歳になれば理解できるのだが、当時の私はなんとなく確かに小渕氏ってちょっと華がないよな・・・なんて思ったりしていた。だが、そんなことで国のリーダーを決めるのはもうやめよう。そのためには野田新総理には十分な実績を残してもらわないといけない。私は期待している。
元々今回の民主党代表選挙では、有力とされていたのは前原と野田の2名であった。しかし、最終局面で小沢一郎が海江田万里を支持する旨発言したため、突然海江田が主役クラスに躍り出た。「神輿は軽くてパーがいい」。小沢が言ったとされる有名な台詞である。そもそも経済産業大臣として今回の原発問題関連の追求により「ボクもうイヤ・・・」といわんばかりに委員会で泣き出し、責任を取って辞任すると言っていた人間が代表選=総理候補者選びに出ようというのがそもそも理解不能(なぜ昇格する?)だったが、おそらく裏で小沢に出馬をそそのかされたのだろう。
党内でその時点で最大のグループを誇っていた小沢の支持を得られれば、この乱立状態の中で総理になれる可能性は一気に高まる。本来海江田など絶対総理になれるわけがないのだから、たとえ小沢の犬に徹することになっても悪い話ではない。しかし、小沢もドSだ。「僕が小沢政治を嫌いなほんとの理由」なんて本を書いた人物を神輿で担ぐ。これで総理になれば海江田は二度と小沢に足を向けて寝られない。頭が上がらない。際立つは海江田の身の程知らずと愚かさである。
その海江田総理実現。これだけは避けなければならなかったわけだが、さすがの民主党議員もわかっていたのか。突然髪型を変え威厳がある風に偽ったが、短時間では風格の無さや頭の悪さを誤魔化すことはできず、あの幼稚な演説でやっぱりやめたという議員も多数いたようだ。
本来なら、私は前原総理十分あったと思う。というよりも、野田総理の方が意外な展開であろう。しかし、前原は昨年韓国人からの献金問題で外務大臣を辞任しただけでなく、お世話になった人とはいえ韓国籍の人物を外務大臣の椅子に座らせている写真などが流出。若年層人気が一気に落ちてしまったばかりでなく、この代表選のさなかにも外国人からの献金が発覚しており、今この人を推すのは危険という雰囲気が流れてしまった。そのため、今回の入閣もなく政調会長となっている。
今回、代表選が唐突に行われて、あっという間に決まってしまった件についてはマスコミだけで非常に批難されていた。しかし、この日程を決めたのは誰だろうか。岡田幹事長だろうか? なかなかやるなと思う。少なくともこの日程を決めた人物は、多少この国のことをまじめに考えている人ではないかと思う。もちろん民主党のこともだ。当然これで失敗すれば民主党は選挙で大敗し、存続すら危うい。
なぜ、私がそう思うのかというと、例えばこの民主党代表選を立候補から投票まで1週間取ったとしよう。私はおそらくそのくらいの期間があれば前原総理になったと思う。前原は純日本人にとってはあまり喜ばしくない政策を求める筋の人も支援しているし、何より野田よりはるかに甘いマスクで今時テレビなんか見ている層のウケもいい。1週間もあればおバカの「お」はおばさんの「お」と言われる人たちを前原推しに変えてしまうことは十分に可能である。そして、国会議員もまた情けなくその雰囲気に流され勝ち馬に乗ろうとする。
マスコミは政策論争ができないとか、こんなに簡単に日本の総理大臣を国民不在で決めていいのかなどとキレイごとを並べて不満を露にしていたが、なんのことない本音は俺たちが総理を決められないじゃないかと!ということである。
今の日本、本当に大変な時である。震災だけではない。この国の行く末がどうなるのかという大事な絶対に外せない総理選び。それに芸能人的な人気の視点なんて絶対入り込んではいけない。ましてや日本の腐りきったマスコミの意向が反映されてしまうなんてあってはならないことである。マスコミに借りを作ってはいけない。それを最小限に阻止したという点で、私は民主党を少し評価している。
野田新総理大臣は、自身が「どじょう」と言ったように見た目はカッコいいとは言えないし、まだカリスマ性もそんなに見えなければ、国民から人気があるわけでもない。しかし、これまでの日本の総理はそうした変なことで選ばれすぎた反省がある。今はそういう時ではない。実務派、誠実な人柄、党内だけでなく野党も含めて信頼を得られる人。そうした人が一番総理になるべき時である。また、変なイメージ先行ではなく、リアルから入れる人。私が積極的ではないにせよ、この候補者の中では野田氏を推したのはそうしたことからである。
振り返れば11年前。小渕総理も存在感が地味であれこれ言われた。よく考えれば見た目が地味とかそういうことを総理に求めている日本のマスコミのレベルの低さをこの歳になれば理解できるのだが、当時の私はなんとなく確かに小渕氏ってちょっと華がないよな・・・なんて思ったりしていた。だが、そんなことで国のリーダーを決めるのはもうやめよう。そのためには野田新総理には十分な実績を残してもらわないといけない。私は期待している。
菅直人まもなく前首相が、放射線に汚染された瓦礫を処分するための中間貯蔵施設を福島県内に設置することを要望したという。ただ、最終処分地と考えていないという点は引っかかるものがある。
これから書くことは福島や東北の方々にとっては非常に厳しいものであり、気分を害する人もいるかもしれない。しかし、明日はわが身。同じく原発から30キロ圏内に住む住人であり、また小さい頃から広島のお隣で無言の圧力もあり、原爆など核兵器に関する教育を、おそらく東日本の子どもより圧倒的にたくさん受けてきた一人の意見として受け止めて欲しい。
私は今回の件に関しては賛成であり、最終処分地も原則県内であるべきだと思う。つまりは、福島で出た瓦礫は福島県内で処分。岩手で出た瓦礫は岩手で処分というように、外には持っていかないということを徹底しなければならないと思う。
これには1つは、放射能などに汚染された物質を汚染されていない地域へ持ち出すというのは、絶対にあってはならないことというのがある。みなさん覚えているだろうか。2年くらい前、宮崎県で口蹄疫が流行し、宮崎県内の牛や豚などが大量に殺処分された。同様に、この島根県でも鶏インフルエンザが起これば鶏は全羽が殺処分されたのである。
なぜ処分されるのかというと、少しでも被害を少なくするためである。同じ地域、あるいは他県にウイルスが広がれば食の安全だけでなく、畜産物の安定供給にも関わる問題が生じる。農家の生活も大打撃を受ける。こういったことで全力で拡散を阻止するわけである。
今回、こっそりと東北で出ている瓦礫を他の都道府県に持ち込んで処分するといった提案が出ているが、それは口蹄疫や鶏インフルエンザウイルスを全国にわざわざ拡散させることと同じである。目に見えない放射性物質。だからこそ楽観的になってしまうのか。いや、おそらく陰には悪い企みも相当にあるに違いない。
つまり、今後福島を中心に東北では必ず放射性物質による健康被害が明らかになってくる。信用できないこの国の政府。電力会社ともグルであってもおかしくない。細野豪志原発問題担当大臣が真っ先に外で処分するなどと発言することは、本当に危機感を感じる。原発問題担当の大臣である。それまで素人だったとしても、ここ半年で原発や放射能汚染に対して、それなりに学んだはずだ。そんな人がこういうことを平気で言う。怖すぎる。いやはや、本気でそんなことを言うのであれば、細野の地元である静岡でまずはやるべきだ。静岡県民に選ばれたのであるから当然のこと。本気で安全と思っているならなんの躊躇もないはずだ。
福島県民のみなさんにとっては残念な話だが、汚染物質はむやみに移動させない。これは原子力事故の世界的常識、鉄則である。チェルノブイリですら何もかも放置。いまだ住民は帰ることを許されていない。チェルノブイリのことを少しでも知っている人ならわかったはずだ。この国の政治家が国民の生命と財産を守ると普段言っていることは全部嘘だったこと。何もかも旧ソ連以下の対応だったことも。
この他、瓦礫の処理は地元の雇用、被災者の自立支援につながるということもある。私はそういった意味でもなるべく被災地で処理をして、その人材はすべて地元の人を登用すべきだと思っている。ある被災者がこういうことを言っていた。ボランティアに対する違和感だ。直後は本当にありがたかったボランティア。今も無償で来てくれる善意を前に表立っては言えないけれど、半年近く経った今、本音は彼らがやっている瓦礫の片付けなどは私たちに仕事としてやらせて欲しいという切実なものだ。時給がいくら安くてもいい。その日自分で稼いだお金で食えるだけでいいから、それが自分の復興の第一歩なんだという訴えである。
私はそれまでボランティアに関しては大賛成だったが、この方の訴えを聞いて、いつまでもボランティアが押し寄せるというのも問題なんだと考えを改めた。被災者自立のためにかかる費用は国が負担しても私はいいと思う。被災者の人たちだっていつまでもボーっとしていたいわけではない。何か足がかりを求めておられると思う。そういった人たちの声にも耳を傾けて欲しい。
福島県内の方、そして高い濃度で汚染されてしまった地域の方には厳しいが、向こう30年はいろいろ難しい。戻って住むことは諦めるしかない。そういった地の瓦礫をわざわざ処理することにどれだけの意味があるのかも私は疑問である。
また、食物関係も県外に出荷しない方がいい。消費するなら県内でするべきである。本当にきつい言い方であるが、福島県内の農作物、食品全部続けることができないくらいのことが起こったのだ。これは安っぽい同情心とか被災者を応援したいという気持ちは抜きにしなければならない。こういう部分こそ国民の生命と財産を守ると公言している政治家が政治的責任において、はっきり地元の方々に宣告すべきなのである。それに対する賠償は当然しっかりとされなければならないわけだが、日本は政治家も逃亡癖があるため、こうした厳しい判断からは常に逃げている。
ただ、私たちは福島で起こっていることを他人の不幸、自分には関係ないことで済ましてはいけない。災害や有事の際に原発事故が起こると、ここまで何もかも失ってしまうことをよく記憶し、このようなものに頼ってきた自分たちの生活を見つめ直さなければならない。そして、いつそういうことが自分の身にも降りかかるかもしれないということを考えなければならない。今回の件でもおそらく自覚しないだけで健康被害を受けることは多々あると思う。自分の事として受け止めないといけない。私は福島をはじめ東北の物は今後当面避ける。この国では自分の身を守れるのは自分しかいない。
これから書くことは福島や東北の方々にとっては非常に厳しいものであり、気分を害する人もいるかもしれない。しかし、明日はわが身。同じく原発から30キロ圏内に住む住人であり、また小さい頃から広島のお隣で無言の圧力もあり、原爆など核兵器に関する教育を、おそらく東日本の子どもより圧倒的にたくさん受けてきた一人の意見として受け止めて欲しい。
私は今回の件に関しては賛成であり、最終処分地も原則県内であるべきだと思う。つまりは、福島で出た瓦礫は福島県内で処分。岩手で出た瓦礫は岩手で処分というように、外には持っていかないということを徹底しなければならないと思う。
これには1つは、放射能などに汚染された物質を汚染されていない地域へ持ち出すというのは、絶対にあってはならないことというのがある。みなさん覚えているだろうか。2年くらい前、宮崎県で口蹄疫が流行し、宮崎県内の牛や豚などが大量に殺処分された。同様に、この島根県でも鶏インフルエンザが起これば鶏は全羽が殺処分されたのである。
なぜ処分されるのかというと、少しでも被害を少なくするためである。同じ地域、あるいは他県にウイルスが広がれば食の安全だけでなく、畜産物の安定供給にも関わる問題が生じる。農家の生活も大打撃を受ける。こういったことで全力で拡散を阻止するわけである。
今回、こっそりと東北で出ている瓦礫を他の都道府県に持ち込んで処分するといった提案が出ているが、それは口蹄疫や鶏インフルエンザウイルスを全国にわざわざ拡散させることと同じである。目に見えない放射性物質。だからこそ楽観的になってしまうのか。いや、おそらく陰には悪い企みも相当にあるに違いない。
つまり、今後福島を中心に東北では必ず放射性物質による健康被害が明らかになってくる。信用できないこの国の政府。電力会社ともグルであってもおかしくない。細野豪志原発問題担当大臣が真っ先に外で処分するなどと発言することは、本当に危機感を感じる。原発問題担当の大臣である。それまで素人だったとしても、ここ半年で原発や放射能汚染に対して、それなりに学んだはずだ。そんな人がこういうことを平気で言う。怖すぎる。いやはや、本気でそんなことを言うのであれば、細野の地元である静岡でまずはやるべきだ。静岡県民に選ばれたのであるから当然のこと。本気で安全と思っているならなんの躊躇もないはずだ。
福島県民のみなさんにとっては残念な話だが、汚染物質はむやみに移動させない。これは原子力事故の世界的常識、鉄則である。チェルノブイリですら何もかも放置。いまだ住民は帰ることを許されていない。チェルノブイリのことを少しでも知っている人ならわかったはずだ。この国の政治家が国民の生命と財産を守ると普段言っていることは全部嘘だったこと。何もかも旧ソ連以下の対応だったことも。
この他、瓦礫の処理は地元の雇用、被災者の自立支援につながるということもある。私はそういった意味でもなるべく被災地で処理をして、その人材はすべて地元の人を登用すべきだと思っている。ある被災者がこういうことを言っていた。ボランティアに対する違和感だ。直後は本当にありがたかったボランティア。今も無償で来てくれる善意を前に表立っては言えないけれど、半年近く経った今、本音は彼らがやっている瓦礫の片付けなどは私たちに仕事としてやらせて欲しいという切実なものだ。時給がいくら安くてもいい。その日自分で稼いだお金で食えるだけでいいから、それが自分の復興の第一歩なんだという訴えである。
私はそれまでボランティアに関しては大賛成だったが、この方の訴えを聞いて、いつまでもボランティアが押し寄せるというのも問題なんだと考えを改めた。被災者自立のためにかかる費用は国が負担しても私はいいと思う。被災者の人たちだっていつまでもボーっとしていたいわけではない。何か足がかりを求めておられると思う。そういった人たちの声にも耳を傾けて欲しい。
福島県内の方、そして高い濃度で汚染されてしまった地域の方には厳しいが、向こう30年はいろいろ難しい。戻って住むことは諦めるしかない。そういった地の瓦礫をわざわざ処理することにどれだけの意味があるのかも私は疑問である。
また、食物関係も県外に出荷しない方がいい。消費するなら県内でするべきである。本当にきつい言い方であるが、福島県内の農作物、食品全部続けることができないくらいのことが起こったのだ。これは安っぽい同情心とか被災者を応援したいという気持ちは抜きにしなければならない。こういう部分こそ国民の生命と財産を守ると公言している政治家が政治的責任において、はっきり地元の方々に宣告すべきなのである。それに対する賠償は当然しっかりとされなければならないわけだが、日本は政治家も逃亡癖があるため、こうした厳しい判断からは常に逃げている。
ただ、私たちは福島で起こっていることを他人の不幸、自分には関係ないことで済ましてはいけない。災害や有事の際に原発事故が起こると、ここまで何もかも失ってしまうことをよく記憶し、このようなものに頼ってきた自分たちの生活を見つめ直さなければならない。そして、いつそういうことが自分の身にも降りかかるかもしれないということを考えなければならない。今回の件でもおそらく自覚しないだけで健康被害を受けることは多々あると思う。自分の事として受け止めないといけない。私は福島をはじめ東北の物は今後当面避ける。この国では自分の身を守れるのは自分しかいない。
