淡路島で1番高い山、


諭鶴羽山に自分の足で登り、


たぶん、


40年ぶりくらいに😅


諭鶴羽神社に参拝させてもらいました。


最初は、


結婚して初めてのお正月に、


義父が車で連れて行ってくれた時だと思うと、


あれから、


時は流れて、


義父母も見送り、


子どもたちも巣立ち、


双六でスタートに戻ったかのごとく、


また、


夫と二人、


田舎暮らしをしている今、



諭鶴羽山に登ったのも


面白いことだなあなんて思います。






諭鶴羽神社は、


どんなだったか、


全然覚えてなくて😅


とても新鮮な気持ちで


参拝させていただきました。





帰ってから、調べたこともふまえて、


忘れないように書いておこうと思います。

✨✨✨✨✨✨✨✨

〜備忘録〜


諭鶴羽山は、神仏習合のお山である。




五大修験道の聖地として、古くから信仰されていた。


清少納言の枕草子にも、

「峰はゆつるはの峯、阿弥陀の峯、弥高の峯」と謳われている。


元熊野とも言われている。

御祭神が熊野速玉大社と同じ、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命である。

平安時代、1163年の長寛勘文、「熊野観現御垂迹縁起伝」に、

唐の天台山の神が英彦山、石鎚山、諭鶴羽山を経て、熊野新宮の神蔵の峰に渡られたことが書かれている。



熊野速玉大社、熊野那智大社の宮司様参拝の記念碑✨




修験の山として、たくさんの堂宇が建ち並び、栄えていたが、

戦国時代に2度の焼き討ちに遭い、

また、明治の神仏分離令、修験道廃止令により、諭鶴羽山の修験道は消滅してしまっていた。


平成20年、境内に大日堂建立され、大日如来勘定されて、500年ぶりに採燈大護摩供法要が復活した。

これは、50年ほど前から、山田智泉という行者さまが、1人諭鶴羽神社に来て、境内に小さな護摩壇を作り、採燈護摩供を修していたことにより、

彼の没後に、その意志を継ぐ多くの行者が集い、復活されて、現在も、春のお彼岸の頃に行われている。






神社自体も、明治になり、宮司のなり手がなかった時に、村長であった今の奥本宮司のおじいさまが引き受けられて、

それから3代に渡り、ご奉仕をされている。


今の奥本宮司は、諭鶴羽古道を守る会を地域の方と結成され、手弁当で道の整備などをされている。


奥本宮司さま


宮司さま先頭で、諭鶴羽古道を守る会の皆さんと一緒に早春登山⛰️



休憩所に地元の灘小学校の卒業記念の絵があり、

諭鶴羽の歴史がよくわかった😊




地震で沈んだ村があったなんて、知らなかった〜‼️




西行法師も淡路島に来られてたんですね〜‼️





淡路島では、お正月に高い山に登り、お餅を焼いて食べると、一年間無病息災という昔からの言い伝えがある。

早春登山では、休憩所でお餅をいただき、美味しかった😋



まとまりなく、

ずらずらと書き並べてしまったけれど、


たくさんの方の働きがあって、

復活されたお山なのだと知り、


その思いが、感じられる

気持ちのよいお山でした。


3月20日の採燈大護摩供法要には、

ぜひ、また登って参加したいと思います。

(火渡りもできるとか😅)