銅像として各地に立つ、英雄太田道灌公。
しかしその家族のことは意外に知られていません。
(家族以外のことも、あまり知られていないのですが‥)
そんな道灌公のご家族について書こうと思う、
第2回です!
まず、道灌父太田道真資清さまです!
スケキヨさんですよ。
太田家の歴史を伝える「太田潮田系図」によると、
「武州河越城主属于扇谷管領之指麾麾執二十八万騎之惣団」
とあって、大軍団の指揮権を持っていた人だったようです。
扇谷上杉家(上杉清子さんの実家)の執事(家老)をしていたのです。
(覚えていますか?上杉清子さんは足利尊氏のお母さんです)
永享九年に京都で足利将軍にお目通りした際に
与野と戸田の笹目を領地としていただいたのです‥。
道灌公に後を譲ってからは、越生の龍穏寺に隠棲しました。
道灌公よりさらに埼玉に縁の深いスケキヨさまです‥。