こんにちは。先日無事大学進学に成功したことをご報告したさいがきです。高校の半分くらいはWithコロナの波に飲まれ様々な行事が大幅縮小という憂き目にあい、一番楽しみだった修学旅行は消滅しました。受験期間中も当たり前ですがろくに遊びに行けず(TLのオタクほど私は頭が良くない)、SNSも休止、野球はシーズンをほとんど見ることが出来ず、鬱憤が溜まりに溜まりまくった反動もあり、進学が決まった途端すぐに学校で仲のいい日本史オタクと一緒に京都へ旅立つことにしました。準備期間は1週間ちょい、2泊3日であらかた行きたいところには行き尽くす荒業でヘロヘロでしたが、ものすごく充実した3日間でした。今回はその様子を、地理や歴史、更にはネット上の話題も含めながら書き散らしていこうと思います。

 

 

1日目(3月23日)

07:30の東京駅で友達と待ち合せました。理由は簡単で、同行の友達は伊勢崎線沿線の人なんですよね。大宮とかでもよかったのですが、何となく東京で待ち合わせることにしました。なのでまずは高崎線の電車で東京駅を目指します。といっても上野行の電車だったので見送るか悩みましたが、せっかくの地平ホーム着の列車だったので飛び乗ってまずは上野を目指します。

写真なし 820M 高崎線普通 上野行 宮原06:31-上野07:02

 

平日の朝ラッシュでしたが意外と空いていました。もう少し遅い時間だとお察しのとおりの大混雑になるでしょうね。

大宮で少し乗ってきましたがまあすし詰めにはならずに上野に到着しました。上野止まりっていうのも空いてた理由かな。上野駅は15番線着。久々の上野駅地平ホームでした。旅の出発といえば上野の地平ホームですよね。これから向かうのは京都ですが。

 

 

 

地平ホームのアレ。いよいよ出発!

 

で、前述のとおり、東京駅集合なので、後続の上野東京ラインで東京へ移動し、朝ご飯を調達します。

写真なし

1827E 東海道線直通普通 国府津行 上野07:11-東京07:16

 

高架ホームまで行く途中になんか170cmくらいの高さの梁みたいなやつ(深刻な語彙力不足)あるじゃないですか、たぶん上野駅使ったことのあるひとはなんとなくわかってくれると思うんですけど...あの一部だけ天井が低いやつ。

皆さんあれ普通に通ったら頭当たりますよね?え?普通に通っても頭ぶたない?

ところで最近身長が170cmない男には人権がないとかいう言葉が大炎上しましたね。これ以上は何も言いませんけど。

 

東京駅で友達と合流。駅弁屋で崎陽軒のシウマイ弁当を購入して新幹線ホームへ入場します。こうやって駅弁を買う機会があるとシウマイ弁当を買ってしまうのはもはや性です。

東海道新幹線は中学の修学旅行以来3年半ぶりですので、私も友達もテンション爆上げで乗る新幹線の入線を待ちます。

大体新幹線の折り返しって10分ちょっとで済むので、一本前ののぞみを見送ってから207号で出発します。

 

 

 

 

207A 東海道新幹線のぞみ207号 東京08:00-京都10:15

 

特に狙ってはいなかったのですが、この207号はN700Sの運用です。幸先の良いスタートと言っていいでしょう。

自由席車両でしたので早めに並んでいましたが、見事に並ぶ列の先頭を確保できました。乗車開始とともに乗り込みます。

陣取ったのは1号車、背もたれ自由の最後部を選びました。友達が窓側、私が通路側です。通路側ということでちょっとげんなりしていましたが、N700Sって通路側にもコンセントついてるんですね。神かよ。ありがたく使わせてもらいました。

ついでにwi-fiも飛んでるので繋いで高校野球見てました。30分ごとにログインしなおさないといけないので面倒くさかったです。

 

定刻通りに東京を出発。8時丁度の出発は狩人のあの歌を思い出します。目的地は信濃路ではありませんが、ネ友の皆さんからするとあなたの知らない人と2人で春まだ浅い所へ旅に出てるわけですからまあ似たようなもんでしょう。

 

品川、新横浜と順調にお客を積んでいき、自由席が埋まりました。

ここで列車は相模川橋梁に差し掛かります。鉄道唱歌では大磯の章で「馬入川」と唄われる川ですね。馬入川の由来は、鎌倉時代にこの川に橋が架けられたとき、落成供養のために訪れた頼朝が乗っていた馬が暴れて落ちたかららしいです。さらに江戸時代はアユの産地としても知られ、将軍へ上納されていたため、「鮎川」と呼ばれたこともあるそうです。

 

最初の通過駅は小田原。北条氏の城下町として栄えた町です。神奈川県側の箱根越えのスタート地点とも知られ、大きな宿場町でもありました。今は圧倒的にかまぼこと提灯で有名ですね。小田原駅にはバカデカい小田原提灯が吊り下げられています。

続きまして熱海を通過。たまに間違える人がいますが、熱海は静岡県です。地形的にはどっちつかずみたいなところはありますが、関東地方の都市ではありません。それは即ち新幹線乗車から1時間足らずで関東脱出に成功した、ということです。新幹線って速いですね。

熱海を通過すると新丹那トンネルに差し掛かります。熱海の有名なものと言えば温泉ですが、丹那のあの辺には多賀火山という火山があり、丹那新丹那両トンネルは難工事になったそうです。多賀火山は宇佐美火山→多賀火山→湯河原火山と続く火山活動の名残で、現在では箱根山に繋がっていきます。

丹那トンネルを過ぎると三島を通過します。栄えている印象があるのは隣町の沼津のほうですが、箱根や修善寺、御殿場方面へのアクセスが良好なのは三島なイメージです。三島にも伊豆国一之宮三嶋大社という大変格式高い神社もあり、三島も三島で観光地となっており、新幹線を沼津に止めろという声もありますが、私は三島で正解なんじゃないかと思っています。

 

このあたりから富士山がよく見える区間に入ります。

 

続いて富士川の豊かな水資源を活用した製紙産業が盛んな富士市の新富士、県都ながら新幹線には少し冷たくあしらわれてしまっている(?)静岡、牧之原台地をくぐって緑茶で有名な掛川、音楽とウナギ(音街ウナかミスティア・ローレライかな?)の町で全国で2番目の面積を誇る浜松を通過し、浜名湖に差し掛かります。琵琶湖は法律上は川である、とはよく言いますが、この浜名湖も法律上では河川指定されています。二級河川都田川水系都田川に分類されているようです。1498年に地震と高潮で砂州が決壊したため、浜名湖は汽水湖になっています。なので生物が非常に豊富なんだとか。在来線だと弁天島駅で降りてみたりできて浜名湖をゆっくり感じられますが、新幹線、ましてやのぞみ号なんかは全然ゆっくり堪能できません。めっちゃ広い湖だな~、終わり、みたいな。今度は在来線でゆっくり通ってみたいですね。

 

あ...架線柱...

 

朝っぱらからアイス食ってました。皆さんは何味派ですか?私はバニラ一択です。

なんかイチゴが美味いとかいう話を聞いたんですけど実際どうなんでしょうね。やっぱバニラしか勝たんよな?

 

列車は気づけば愛知県に入り、東三河の中心都市、豊橋を通過します。ナウマンゾウの化石が出土したこともあるらしいですが、大方ナウマンゾウと言えば野尻湖の印象ではないでしょうか。

続いて三河安城。快速も止まらない駅として有名ですね。例の案内もちゃんとありました。ここで東京を出てから大体1時間30分が経過。次の駅はいよいよ名古屋。新横浜から閉じたままの新幹線の乗車口がようやく開きます。

09:41に名古屋に到着。実はまともに降りたことはありません。名古屋では半分くらい乗客が入れ替わり、再びドアを閉めて発車。次は目的地・京都です。新幹線は大垣に停車せず、少し外れた羽島市の岐阜羽島を経由します。需要よりスピードのほうが求められているわけですからまあ仕方ないのではとは思っているんですけど実際どうなんですかね。

山が近くなると天下分け目の古戦場、今は雪と新幹線が毎冬戦う不破郡関ヶ原町、伊吹山が後ろへ下がると滋賀県は米原に突入します。南びわ湖駅は無事に計画がどっか行ってしまいましたのでここが最後の通過駅ですね。と同時に日本の鉄道路線の中でも駅間距離がトップレベルに離れている米原-京都の区間に入ります。さすがの新幹線でも駅間距離が離れているのがひしひし分かります。しかもそこまで面白みのある景色というわけでもないので、意外と退屈なんですよね。今回は友達がいたのでずっと喋ってましたが。

唐橋が架かる瀬田川、歌枕としても名高い逢坂山をぶち抜き、比良山地を抜ければ京都府です。ぼちぼち降りる準備を始めます。

 

さて、このブログ内では在来線でいうところの山科のあたりまでしか進んでいませんが3200文字を突破しました。この調子だと帰りの新幹線に乗る頃には20000文字は軽く突破する気がするのでパート分けながら書くことにしますね。

 

なんだかんだ準備をしていると京都に到着です。

 

 

地図上じゃあ長い道のりだった。新幹線快適すぎ。

 

京都駅に到着しました。皆さんご存知の通りクソデカい駅です。どこに行くか全く決めていなかったので、とりあえず大階段を登って上の広場で会議することにしました。

改めて見るとえげつない階段ですねw土合なんかよりしんどいかも?

ある程度登ってから後ろを振り返ると京都駅の構造の芸術性に気付かされます。

 

ホントすごい形ですよね。原広司さんという方が設計なさったそうです。

 


京都駅ビルは「京都は歴史への門である」という設計主旨から、平安京の都市の特徴である条坊制(碁盤の目)を取り入れ、玄関口としての象徴である「門」を烏丸通と室町通に配しています。

また、中央コンコースを谷に見立てた段丘を東西に延ばし、中央部はガラスと金属でカバーされたアトリウム。空を映し出した壮大な内部空間と空に溶け込む外観を作り出しています。

 

 

 

 

 

 


と、デザインコンセプトを引用しましたが、かなり惹きこむ力のある駅ビルですよね。建築はよくわかりませんが、旅行者を京都の町に引き入れる最高の門になっていると思います。少なくとも私はテンションぶち上げだったわけですしね。

 

穏やかな公園って感じ。かなりまったりした時間が流れてました。子供を遊ばせてる人もいらっしゃいました。

 

京都タワー。今回は行く予定がなかったので外から見ただけ。中身が空洞だそうです。

スカイツリーとかも構造で取り上げられることがありますけど京都タワーも変わった構造らしいですね。

 

降りてきました。反対側にもいろいろありますがしんどいのでパス。

 

超久々の京都でテンション爆上がりです。

で、先ほど行った会議の結果、まずは東寺を目指すことにしました。

新幹線から見える五重塔のあるところですね。

近鉄電車で一駅で近くまで行けたり、バスが出てたりしてますが、我ら若人いざ歩かん。

のんびり喋りながら東寺を目指します。

 

東寺はまたの名を教王護国寺(正式名称はなんか長くて覚えていませんが、宗教法人としての登録は教王護国寺)と言いまして、東寺真言宗の総本山でもあるお寺です。

平安京守護の官寺として桓武天皇によって建立されたのち、嵯峨天皇から弘法大師 空海に下賜されました。

日本史Bで受験した人には、両界曼荼羅や風信帖でなじみのあるお寺かもしれませんね。


こっちには教王護国寺と書かれている。


まあこれはこれで。時間帯もちょっと悪くて逆光気味。


金堂だったかな?中は写真撮れません。まあ基本どこもそうですけど。


もう少し季節が進めば綺麗でしょうね。


提灯は東寺と書かれている。門も重厚感がありますね。


私たちが訪れた時期は梅や桃は終わりかけ、桜はちょうど開花宣言の頃でしたので、花と絡めた写真は基本的にはありません。本来ならば東寺は初夏に蓮の時期が一番の見ごろだと思っているのですが、今回は五重塔と枝の目立つ桃かなんかの写真でどうぞ。

 

初日は基本的に徒歩移動でした。京都駅へ戻ると、次はJR奈良線で稲荷駅(快速を止めろ)を目指します。


1635M 奈良線普通 城陽行 京都12:36-稲荷12:41

こいつもかなりの中古ですよね。結構きれいめに見えてますけど。


前は時間が足らず登れなかった稲荷山の山頂に行くためです(おもかる石あたりまでは履修済み)。稲荷山は全体が伏見稲荷の神域に含まれ、参道としてある程度整備された道が続きますので軽装でも問題ありません。さすがにハイヒールの女の人やサンダルの学生が平気な顔で登っていたのにはびっくりしましたが。

この日は薄曇りでしたが当日朝方までの雨の影響もあって湿度は高く、少し歩いただけで汗ばむような、そんな天気でした。

 

それでは神域へ入ります。


稲荷駅へ降り立ったのが12:30すぎ、そこから拝殿にお参りし、千本鳥居を抜け稲荷山へ挑みます。


まずはここから


ちょっと奥まると...


階段開始


険しい道のりではありません。が、ずっと階段、しかもなだらかな階段と急な階段が雑じっているのです。

蓄積ダメージがやばいんですねこれがまた。しかも帰ってくる頃のほうが飯屋は空いているだろうとかバカみたいな推測で先に登りを選んだもんですからエネルギーが圧倒的に足りません。途中途中で神秘的な空間だったり展望台的なところが来たりしますが、感動と疲労が伯仲する始末。茶屋さんもありますが、たぶん一回休んだらしばらくは再起不能でしょうね。

 

なんて書くとそんなにしんどいのになんか割に合わないスポットだなぁ...と思うかもしれません。

登ればわかります。頂上で奥宮にお参りした時の晴れやかなあの気持ちは何にも変えることはできませんよ。


圧倒的な存在感。格式の高さがひしひしと。


こちらからお参りができます。


ただし、そこからの降りもまたきついものです。ひたすら階段を降り続けるわけですから。あんだけ登ってふらっふらなのに長年人が通い続けてすり減った石段を延々降るのです。その間もずっと鳥居が続きます。なんかどこか別の世界へ連れていかれるんじゃないかなんて思いながら下りました。奥宮の御朱印は中腹で頂けます。山頂じゃないので注意。いくつか種類がありましたので2種類頂きました。



 

忘れていたので伏見稲荷大社について軽く解説すると、和銅年間に創建されたと伝わっています。創建は秦伊侶具による、という伝説も山背国風土記に残っています。






様々な神様が坐していらっしゃいます


豊穣の神々をお祭りする「稲荷神社」の御本社であり、現在では五穀豊穣から現在は商売繁盛、交通安全、家内安全、産業興隆、芸能上達にご利益があると云われています。また併せて四季の神もお祭りされていることで知られています。日本史では「荷田春満」という高名な国学者がおりますが、彼の父親は伏見稲荷の社家の人間だそうです。

 

あともう一つ。稲荷山の上にある一の峰二の峰三の峰、あれ元は古墳だったらしいですね。詳しい話は知りませんけど。


神域に古墳って...とか思いましたが、思えば今は山科から第二京阪を結ぶ新十条通りが稲荷山をトンネルでぶち抜いてるので瑣末な問題なのでしょう。というかご神体をぶち抜くってなかなかのぐう畜っぷりですね、京都。

 

ヘロヘロになりながら山を下り、せっかくだからということで稲荷寿司を購入。

これ買わないのは犯罪級ですよ!


おばちゃんが巻き寿司をおまけでつけてくれました。ホテルに入ってから食べましたがめちゃうまでした。本当にありがとうございます。

 


駅もいい雰囲気


写真なし

列番不明 京阪電車普通 出町柳行 伏見稲荷??:??-東福寺??:??

帰りは京阪電車で東福寺へ。15:00過ぎの到着でしたが、16:00で閉門という風の噂を聞きつけまして大急ぎで向かいました。道中も路へ入れば雰囲気がムンムン漂ってくるある意味京都らしさのある所でした。近くに高校もあり、学生の帰宅とかぶってしまいましたが。結局途中で道に迷ったこともあり、閉門30分前の到着となってしまいました。落ち着いてお参りはできませんでしたので、ここは再履修ですね。



臨済宗のお寺で、京都五山第四位の禅寺という非常に格式高いお寺なだけに残念です。通天橋にも行けなかったので、今度ゆっくり見て回りたいと思います。まあ東福寺は紅葉の名所とよく言いますので行くなら秋ですかね。


不動明王がいらっしゃいます。


これが山門だっけ...


広々していて心地いいです。


ちなみにまた日本史Bの話になりますが、新安沈船って出てくるじゃないですか、韓国沖で沈んだ唐船なんですけど。

あれが積んでる木簡に「東福寺」の文字が入ってることでも有名ですね。さすがは京都五山第四位のお寺ですよね。

 

さて、1日目の行程はこれにて終了し、宿へ入ってだらけます。河原町九条のビジネスホテルでした。

ちょっと経ったら近くのコンビニで飲み物やらお菓子を買い漁り、夕飯の話も考えながら部屋でテレビを見つつ駄弁ります。

カールが売っていたのでついつい買ってしまったのは私が関東の人間だからでしょうね。あの奥歯に詰まる感じが懐かしかったです。会議の結果、とりあえず天一という運びになり、近鉄の高架下の天下一品までぶらぶら歩きました。

私は天一童貞でしたので、麵の硬さとかよく知らなかったので店員のお姉ちゃんに迷惑かけたかもしれませんがまあおいしかったのでいいでしょう。やっぱラーメンは正義だね。本当は本店行きたかったけどまあいいか。


喰らえ飯テロ!

 

宿戻ってから忘れかけてた伏見稲荷の稲荷寿司を食べてそのまま就寝。食べすぎかと思いましたが、良く思い返せば結局昼飯食べてなかったのでたぶん大丈夫。のはず。

 

2日目は嵐山の方向を目指すことで合意。風呂入ってさっさと爆睡しました。山歩いたからか、寝つきは死ぬほどよかったですね。日ごろの運動不足が出てしまいました。こんだけ疲れてると起床事故やらかしそうで怖いな...せっかくの旅行だし朝から楽しみたいんだけど...

 

案の定長くなってしまいました。

2日目もアホみたいに移動して行きたい所に行きまくったのでバカ長くなりそうです。

恐ろしい量になりそうですがそれもご愛敬。それではまた~。