主人公寅子は、法務局で民法の部分改正プロジェクトに参加することになった。

昭和22年といえば、戦後の混乱がまだまだ続いていた頃だ。

全国の主要都市は、空襲で焼け野原になり、多くの人々は住む家を失った。

工場は破壊され、戦地に動員された若者たちの復員も完全には終わっていない。

 

つまり、国民の衣食住を支えるインフラが、戦争による打撃から立ち直れていない時期だ。

米国主導の国連支援と、厳格な食糧管理により、辛うじて国民の生活は成り立っていた。

そして、GHQの主導で日本国憲法が起案され、昭和21年に公布された。その第14条には、

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とある。この考え方に基づき、民法も改正されることになったわけだ。

 

国の在り方が変われば、その中で生きる人々の暮らし方も変わる。「お国のため」「天皇陛下のため」が、大日本帝国国民の規範だったわけだが、戦後は「民主主義」を規範とする日本国民となった。

 

いつの時代でも、人間は時代の変化に適応して生きることを求められる。しかしながら、明治維新以来の歴史的転換期を前に、適応しきれぬ人たちもいたし、それによる悲劇も多数発生したと聞く。

 

配給の食糧だけでは生きられぬと知りながら、食糧管理法を担当する法の番人として、闇の食糧を一切受け付けずに、栄養失調で命を落とした裁判官(ドラマでは寅子の友人の花岡)などだ。

 

また、昔から「ギブミーチョコレート」と、米兵に群がる子供たちの姿はよく映画に出て来た。「寅に翼」でも、GHQの民法改正担当ホーナーが、戦争未亡人となった寅子、義姉の花江の子供たちのためにチョコレートを届けてくれるシーンがあった。

 

喜ぶ子らの姿を見て涙ぐむホーナー。彼もまたナチスドイツのユダヤ人迫害で、多くの家族を失っていた。

昨日まで鬼畜米英と憎みあっていた米国人。しかし、敵国人もまた戦争により傷ついていた。そして、人として向き合えば、彼らも人としての優しさ、弱さを抱えて生きていることがわかるのだ。

 

オヤジの父親は学徒出陣組だが、戦地からの復員後GHQで勤務した。兄弟が多かったので、彼らを食べさせるため、給料が高かったGHQに職を求めたそうだ。

 

昼に、粗末な日の丸弁当を食べていると、同僚の米兵が、帰りに弁当箱一杯にハムやソーセージを詰めて渡してくれたという。

 

また、食糧倉庫に物資を搬入する若い米兵が、腹をすかせて見つめている戦災孤児に気づき、わざわざ袋の砂糖をこぼしながら、気付かぬふりをして歩いて行くのを見たそうだ。何の権限もない二等兵に出来る最大限の行為だったのだろう。

 

米軍の食糧、ピーナツバターを盗んで見つかり、追われて気げる途中に無理やり飲み込んで、のどに詰まらせて窒息する悲劇もあったとのこと。

 

一緒に酒を飲むと、戦地での悲惨な出来事と共に、戦後の混乱期の話をポツリ、ポツリとしてくれたものだ。

 

こうした日常の出来事が、学校の教科書に載ることはないだろう。(当時は、ありふれた出来事だったのかも)しかし、これらの小さな事件こそ、「戦争が市民にもたらすもの」、「人間性というもの」の本質を考えさせる良い教材になるのではないか。