最近のニュース番組で、「日本の円安問題」がテーマにならぬ日は無い。

1ドル100円以下が、当たり前の時代に生まれ育った若い世代にとって、1ドル160円台乗せのニュースが驚きなのはわかる。

だが、金本位制下の固定相場、「1ドル360円」は振り返り過ぎにしても、1973年に変動相場制に移行した後、1980年代の半ばまでは1ドル200円は当たり前だった。

 

1985年9月、ニューヨーク・プラザホテルでのG5(当時ドイツは、西ドイツだった)で、ドル円相場の円高誘導が決められ、2,3年後には150円まで円高になったのだが。(プラザ合意)

 

プラザ合意の日、輸出企業の外国為替担当だったオヤジは、たまたま出張でニューヨークに滞在しており、いきなり前日比10円ほど円高となったのを見て、ショックを受けた記憶がある。(歴史の証人の一人なのだ)

 

1980年代末、ニューヨーク駐在となり、米国で生活する機会を得た。ドル円相場は、既に120-140円程度になっていたが、毎日のランチで、パストラミのサンドイッチ、骨付き肉のBBQ、大きなトンカツ3枚付きの定食(日本食料理屋も出ていた)など、当時の日本とは比較にならぬ、安くてボリューミーな食事を食べ続けたものだ。(おかげで、帰国時には10㌔体重が増えた)

日本からの観光旅行客も殺到し、ティファニーを始め、ブランド物を買い漁る。生保など日本の機関投資家が、ロックフェラーセンターなど、米国内の不動産を買い占めたのもこの頃だ。

 

「巡る巡るよ時代は巡る」、歌の文句じゃないが、2024年の今日、世界中の人々が日本に訪れ、安く、美味しい和食を味わい、日本の歴史的建造物、豊かな自然などエンジョイしている。中国を始め、世界中の富裕層、投資家が日本の不動産投資に夢中だ。

 

為替相場は、その時点での各国の国力(政治、経済、軍事など総合した)、及び将来に対する期待感を反映したものと言えるだろう。マーケット参加者の多くが円という通貨を欲しがれば円高になるし、その逆は円安だ。

 

しかし、為替相場の歴史的推移を見ればわかるように、円安、円高と言う言葉は、その時点での相場の方向性を示す(正しくは「円安方向」、「円高方向」だ)が、決して絶対的なものではない。(プラザ合意後に、1ドル160円を付けた時は、何たる円高!とショックを受けたのだから)

 

ただ、オヤジ世代は「円安」は気にならぬが、「円弱」と言われるとどうも引っかかる。高度経済成長時代に生まれ、日本が発展することが常識だった世代なのだ。

 

もちろん、バブル崩壊後の、失われた30年を身をもって体験してきたが、日本が弱国と言われるのは潔しとしない。(対ドルだけでなく、他国の通貨に対しても円安なので仕方ない面もあるが)

今は確かに、経済を始め多くの問題を抱えてはいる。しかし、経済、科学、文化など基本的な国力、教育に裏付けられた日本人の力量(精神力含め)に疑いを持ちたくないものだ。輝かしい将来に向けて、上を向いて歩こうではありませんか。