久しぶりに、上野公園で満開の桜を楽しんだ。花見酒代わりに、ランチで一杯ひっかけて、ほろ酔い気分で散策だ。コロナ禍前以来の7年ぶりか。見物するのは桜ばかりではない。国際色豊かな花見客も当然見ることになる。青色のブルーシートの上は宴会の真っ最中。中には、すっかり出来上がって、散る寸前の酔客も目立つ。
この季節は、日本中の随所で、其々風情のある桜の景色を楽しめるのが良い。千鳥ヶ淵周辺の桜は、北の丸公園を背にして、どことなく厳かな雰囲気が漂う。目黒川沿いの桜のトンネルも美しい。オヤジの地元、さいたま市なら、氷川神社隣りの大宮公園の桜、見沼田んぼの桜回廊(総延長20㌔、日本一の長さと称している)も一見の価値ありだ。
いわゆる桜の名所ばかりではない、駅前の小さな公園の桜。幼児たちが滑り台、ブランコで、はしゃぐ姿をいつも優しく見守ってくれている桜の木。この桜が開花し満開を迎えると、巡り来る季節をしみじみと感じさせてもらえるのだ。
花見の起源は奈良時代らしい。唐から伝来した梅の花見が始まりだそうだ。平安時代に遣唐使が廃止されると、貴族たちは梅の代わりに、桜の花見を楽しむようになる。鎌倉時代には、武士も花見をするようになり、江戸時代になると、花見は庶民にまで拡がった。(8代将軍徳川吉宗が、庶民の娯楽として奨励したそうだ。)
面白いことに、花見の拡がり方は、日本酒のそれとほぼ一致している。中国から伝わった麹を用いて、朝廷が酒を造り始めたのが奈良時代の頃。(造酒司という役所が担当)平安時代には、僧侶が酒造りを主導し、僧坊酒として高い評価を得る。
鎌倉時代には、民間にも造り酒屋が生まれて、武士も酒を嗜むようになる。江戸時代には、ほぼ酒造りの技術が確立して、庶民も日本酒を楽しめるようになった、こう考えると、花見の歴史は、花見酒の歴史と言い換えても良いのではないか。桜の木の下で、酔いつぶれている花見客は、数百年前のご先祖様の姿に重なるのだ。
花見の起源は中国(梅の花見だが)と言うことで少し触れると、北京市には玉淵潭(ぎょくえんだん)公園という、元朝時代からの広大な宮廷庭園があり、桜の名所として知られている。日中国交正常化(1972年)の翌年に、日本から送られた桜の木も植えられている。
桜の季節には見物客で大いに賑わうが、その公園の土産物屋で、プラスチック製の桜の造花が売られているのを見た。決して精巧なものではない。昔、近所の商店街の店舗の軒先に、なんとなく飾られていたやつだ。
驚いたことに、多くの中国人がそれを買っているのだ。(日本では、まず売れないだろう。)咲き誇る桜を楽しんで、写真に納めれば十分な気がするのだが。この辺りの感覚、感性の違いはなんとなく面白くはある。


