街の至る所に存在しているのに、普段意識されないものの代表格が電信柱ではないか。散歩の犬にオシッコをかけられる。かくれんぼの子供が身を隠す。存在が思い出されるのはこんな時ぐらいか。

 

若いころ、上司や先輩に「電信柱みたいにボーッと突っ立ってんじゃねえ」と怒鳴られた記憶のある方もいるだろう。(いまなら差し詰めパワハラか)

 

(以下電柱殿の言)ちょっと待った。冗談じゃねえぞ。工場や商店、飲食店の機器が稼働するのも、家のテレビやエアコンが働いて快適な生活が送れるのも、電力線をオイラが支えているからだろ。

 

皆が家族や仲間に電話が出来るのも、今はネットとかいう奴にも使われるらしいが、通信線を通してやってるからじゃねえか。「右も左もわからねえ若造といっしょにされてたまるか。」

そんな電信柱も電線の地中化により、やがて姿を消していくらしい。

防災の観点から望ましいというのは理解するが、街の景観の面からそのほうが良いというのはどんなもんか。(無くなってスッキリ!!なんて言うのは、電信柱に失礼ではないか)

日本の電線地中化は、「共同溝方式」と言って管路に電力線、通信線をまとめて収容するやり方だ。これは、諸外国の「直接埋設方式」と比べてメンテナンスし易く、長持ちする反面、コストがかかる。

 

ロンドン、パリなど欧米の大都会が100%近く無電柱なのに比べ、東京は23区でも、まだ10%以下しか進んでいないのが実態だ。家の近所でも、「電線地中化」が言われて久しいが、確かにあまり進んでいる印象はない。

 

日本は地震が多いし、この頃の気候変動で落雷も増えた気がする。防災の面から、やがては電信柱は役割を終えて、過去の遺物になって行くのだろう。

学校の帰り道、友達とじゃんけんグリコをしながら家路をたどったこと。夕焼け空の下、舗装も進まぬ道沿いに、並んで立っていた電信柱。その風景を忘れることはないだろう。(そうでしょう。ご同輩)