こんにちは!
久々に生八ツ橋のお問合せ・・・まだ売ってるのか~? ってお問合せで 思い出しました。
岩槻生八ツ橋・さいたま生八ツ橋を作っていました。
もちろん製造は京都に在る老舗の八ツ橋製造元さんです。
なぜ さいたまで八ツ橋??? 経緯は・・・・・以下長文です
室町時代 岩槻城の城下町として栄えた「さいたま市岩槻区」は 江戸時代初期から脈々と受け継ぐ日本一の日本人形生産地です。
悠久の昔から受け継がれてきた人の幸を祈って丹念に手作りする人形師の心、いつくしむ心、子供の幸運を願う親の心を後世に伝え続けている町です。
岩槻城の城址に造られた岩槻城址公園の菖蒲池には 公園の象徴とも言える朱色の八ッ橋が架けられています。
八ツ橋といえば京都銘菓ですが その名の由来は一説には三河(現在の愛知県)の八ツ橋伝説からとする説がございます。
昔、若くして夫を亡くし2人の男の子を育てるために、木を拾ったり浦(今の逢妻川)で海苔を取ったり貧しいながらも、子どもの成長を楽しみに暮らしていた母親がいました。
ある日 海苔を取りに行った母を追って川にきた子供達は母のもとへ行こうとして川に流されてしまいます。
子供の死を嘆き悲しんだ母親は 髪をおろして師孝尼という尼になりもし川に 橋さえあれば子供たちは溺れなかったろうと思い「どうかこの川に橋をかけることができますように」と、一心に祈りました。
祈りが届き 観音様のご神託で得た材木で 橋をかけることになりましたが、当時の逢妻川は流れが速く いく筋にもクモの手のようになっていて まっすぐ一本の橋を架けることはできませんでしたが、たがいちがいに板を渡して、どうにか向こう岸に届く八つの橋が出来ました。
承和9年(842年)5月、八本の橋の数にちなんでこの地を「八橋」と名付けられました。
その二人の子供の供養塔は、愛知県知立市八橋町の無量寿寺境内に、母親(師孝)の供養塔は同じく八橋町の在原寺境内に 現在もひっそりと建っています。
八橋町に伝わる母子の物語に感動した京都の和菓子職人が、この伝説を広めたいという思いで誕生させたお菓子が八ツ橋だと言われています。
子を思う母親の心を菓子に託し広く伝える京都の銘菓八ッ橋と 子供の成長を人形に託す人形の町埼玉県さいたま市。
偶然の出会いではございますが、親の子供に対する深い愛情の奥深さとその想いに感謝する心は 時を超えいつの時代も変わらぬものでありますようにとの願いを込めて 「埼玉限定 生八ッ橋桜花」を製造し、さいたま市内大手量販店や催事で販売しておりました
イトーヨーカドーにて生八ツ橋・うなぎ煎餅販売中の様子
(有)御殿八ッ橋本舗の前社長が工夫をこらし 桜の八ツ橋・栗の八ツ橋等を作られ、埼玉県まで発送して下さっていました。
残念ながら既に社長もお亡くなりになり 現在はお取扱は致しておりませんが、この伝説は知らない方も多いと思いますので伝えていきたいと思っております。
岩槻と言えば日本一の人形のまち!
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