調べ物で昔のブログなどを巡ってたら、葉室宮司のことを書いたところがあって、とてもいい話なので、又忘れないように載せておきます。
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2009年9月19日
元春日大社の宮司の葉室さんの出された本のファンでして、順々に読んでました。名医であり、すばらしい宮司さんです。
(戦後、まだ口唇裂の専門家がいなかった時に 大学病院に全国から頼ってくる患者さんを見て、その専門となった先生です。)
本もとても分かりやすくて「神道」を扱っているのに 読みやすくてためになる本でした。
で、「間」が大事なんです。それを今度もっとくわしく本に出そうと思ってます。と言われてたので楽しみにしてましたら、今年の1月にお亡くなられたので残念に思ってました。間についての本は出せなかったのかと、、
そしたら、ある人がそれを書いてるのを見つけました。
「葉室宮司の定例講和を毎月聞きに行っていたことがあるが、数ある中でも説くに印象に残っているものがある。泣き止まない赤ん坊の顔を手術をするとき、いつメスを入れるかと言う例を挙げて神を語ったときの話。
手術中、局所麻酔をされて手術を受ける赤ちゃんは大声で泣く。息を吐き出しながら泣いて、また大きく息を吸い、また大声で泣くことを繰り返すのだが、息を吐ききった瞬間と息を吸いきった瞬間、赤ちゃんの動きが完全に止まる。その一瞬、「スッとメスを入れる」のだそうである。この動きの止まった「間(ま)」に神が居るという。
葉室元宮司の話は、誰でも容易に身近に想像できる病気や妊娠のことなど現実的な話を例に挙げて、科学的、医学的な見地から、人に神を感じさせる力をお持ちの人物であった。
武道の技や礼儀作法の体の動きが止まる一瞬の「間」、それに空間の「間」でも同じことがいえるのではないか。動きが止まる「間」に神が居る。人は、礼節を体で表現する人の動きが止まった瞬間、礼の中の丁寧と愛情を感じ、それを敬意として受け取る。また、一瞬動きを止めることで、相手にも礼を返す機会をさり気なく与える先に礼をする人の配慮ともなる。日本の礼法はすばらしい先祖が伝えてくれた智慧の宝庫である。せっかくの動きも「間」を抜かして、ダラダラと動きを流してしまう人を「マヌケ」と言う。
頭を下げるだけの単純に見える礼一つとってみても、自分の敬意を相手に本当に伝えたいのなら、背筋をまっすぐに保ったまま、腰から折って、あごを引く。頭を下げ切ったら、動きを止めて「間」を入れる。このように、動きの細部にも意識を向けることが要求される。神棚の水を毎日変えるように、単純な動きにも手間をかけることで、自分の礼儀作法に愛情がこもり、心が相手に伝わるのではないかと思う」
前に茶道の家元の人が、最近は喫茶店などで お水やお茶をドンと置いて行くウェイトレスさんが多いけど、お茶を出すときなどは そっと置き、一呼吸置く間がいいとか言ってた気がします。
がさつな私はこの間がまったくないものなあ~~ たしかに間抜けだ
~舞の先生(中口 幸七氏、元伊勢神宮雅楽長)も間が大事と言ってましたわ。
「花がふんわりと咲くように、風に花がほわっとゆれるように、、」
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名古屋にいたころはよく図書館で本を借りて読んでました。
その頃のブログを読むと、本の内容のことが多く書かれてて、いいお話がいっぱいなのね。忘れちゃってるけど。
ネットですと自分の好みのとこしか見ないですが、図書館だと、何かないかなあと探してる時に、別のジャンルにも目が行くので新しい発見がありますね。