【カミはいない と薄々は解ってるけど 居ると考えた方が得だよね 】

と西村ひろゆきあたりなら言いそうだけど まあ近いものがあると思う。
キリスト教でさえ{何某の福音書 EVANGELION]てのがあって 新約聖書《マ マ ル ヨ 》←ここテスト出るぞぉww     というマルコ  マタイ ルカ ヨハネ の福音書があります。   

え?  四人しかキリストの言葉を聞かないの? ずるいぞ とみな聞きたがります。日々祈り御信託を得ようと信者たちは頑張る

それ変ですよね?  存在を信じて疑わないのならその声(実存)を求めるのは存在自体を疑ってる事にならんか?
しかし敬虔な信教と疑惑というパラドクスを内包したまんま1000年以上ネチネチやっとる訳ですからなかなか業が深い。

これ以上言うとキリスト教関係者から怒られそうなんでやめときますwwww 


イエスはどんな人間を愛するのか?



日本の神道 カミにもその《ひろゆき風 いゃ知らんでw》な感じに考えてますワタシ。

いや 存在どうのじゃなくて 日本のカミというのはたぶんヒトの形なんてしてないし 何なら言語も理解してないし知能すら無いと自分は考えてる

山一個とか 目に見えない山脈ぐらいデカい蛇(くちなわ)とか。  圧倒的なパワーと理不尽な振る舞い荒ぶる自然

それに翻弄される人間たち て感じ。

では敬虔な気持ちや信心するのは無駄か?  
ノンノン。 ちゃんと準備して身体を清め カミに挨拶し 願う。 

それがもし叶えばすぐにお礼参りする 今度は世の中の安寧を願う。   その繰り返しでしょう。

カミさまたちは気まぐれだからちょうど子供がアリの行列に岩を置いて進路を塞いだり 大量の水をかけて洪水をおこしたり結構残酷なことをする、そんな感じだと思う。




でも なぜ敬虔な気持ちでカミに祈り感謝するのか
 例えば
どうか裕福な家の次男あたりでイケメンとのご縁をお結び下さい! 何卒!  と願いが叶った時

   ラッキー!  運も実力のうちよ 自分の魅力が怖い!♪   さー次は?
なんて人  イヤでしょ? 笑

たぶんアリでも汚いオーラを放ってると思う 
   そんなアリには…    水攻撃 蟻地獄 生き埋めのコンボww 

でも 中にはたまに「このアリ なんか綺麗な かっこいいわ 
  虐めるのはやめといたろ  何なら角砂糖でも呉れてやろ 」と感じると美しいオーラのやつもおると思う。

カミに対して勝手に願い事ばかりして感謝のない人は他人にも感謝の気持ちはない。  傲慢と打算による執着だけでは幸せにはなれないと思う。

つまり願い事を受付る場ではなく 真摯な態度での所作振る舞い  カミに対しても人に対しても誠実に接する   神社行った時だけチーンとして実生活は荒んでたら運はついて来ない


早朝、いやされる空間


健康的で真っ当な自分らしさで生きる  

感謝の気持ちを忘れずに。


カミはそういう者にたまに恵みをくれる。



明日もご自愛下さい

【了】